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第29話

押し倒そうと迫るサクリアの異常な熱量。

背後から迫るユエルとミサリアの冷たい殺気。

俺は暴走するサクリアの背中にそっと手を回し、そのまま強く、けれど優しく抱きしめ返した。


「アルトぉ……」


「一人で痛みを背負うのは、俺の役目だ。無理させてごめんな、サクリア」


ぽんぽんと子供をあやすように背中を叩く。

その瞬間、サクリアの赤い瞳から暴走の濁りがスッと消え去った。


長い年月、魔王として常に頂点に君臨し、孤独に世界を支配してきた孤高の存在。誰かに甘えることなど許されず、常に強者として振る舞うしかなかった。

そんなサクリアが、初めて見つけた絶対的な安心感。

赤い瞳からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ち、俺の胸にすりすりと額を押し当ててきた。


「ばか……私は、あなたの妻なのよ。もっと頼りなさいよ」


強がりな声は微かに震え、そこにあるのはただの恋する乙女の顔だった。


俺はそのまま片手を伸ばし、振りかぶられていたユエルの聖剣の峰を指先でそっと押さえる。


「ユエルも、いつも俺のために剣を振ってくれてありがとうな。でも、たまには後ろで休んでていいんだぞ」


「アルト……」


戦闘狂として常に最前線を走り続けてきたユエルが、武器を下ろしてポカンと口を開け、やがて顔を真っ赤に染めて俯いた。


さらに俺は、超重力魔法を練り上げていたミサリアに微笑みかけた。


「姉さんも。毎日美味しいご飯を作ってくれて感謝してる。俺にとって、この家が帰るべき一番大切な場所なんだ」


「……うぅっ、アルトったら、急にそんなこと言って」


家族を守る使命感からヤンデレになりかけていたミサリアも、両手で顔を覆ってへなへなとその場に座り込んだ。


最強の三人が、俺の不器用な言葉一つで完全に毒気を抜かれ、ただの可愛い家族に戻っていく。

空は青く、風は穏やかだ。

誰一人犠牲にしない。これこそが俺の求めていたスローライフの形なのだ。


全員でこのまま温かい日向ぼっこでもしようか。

そう思って俺が満足げに目を閉じた、まさにその時だった。


カチャリ。


俺の手首に、冷たい金属の感触が走った。

目を開けると、いつの間にか銀縁眼鏡を怪しく光らせたイルマが、俺の右腕に銀色の手錠をかけていたのだ。

しかも、その手錠の反対の輪はイルマ自身の左腕にガッチリと繋がれている。


「白昼の公然猥褻、ならびに風紀紊乱行為です。労働基準監督官として、対象者を二十四時間体制で拘束・監視いたします」


「えっ、監視って、手錠で」


「はい。食事も、お風呂も、就寝時も、すべて私がこの距離で密着して指導します」


イルマが事務的な口調でとんでもないことを言い放つ。

だがその頬は完全に真っ赤に染まっており、ただの職権乱用という名の合法的な抜け駆けだった。


「この泥棒公務員! さっきの感動を返せえええ!」


「許さないわ。その手錠ごと腕を消し飛ばしてあげる」


感動で涙ぐんでいたはずの三人の瞳に、先ほどよりも遥かにドス黒い、純度百パーセントの嫉妬と殺意が再点火した。

手錠で繋がれたイルマが俺の腕にぴたりと抱きつく中、四人の女たちによる血で血を洗う第二ラウンドのゴングが今まさに鳴り響こうとしていて――

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