ライムライト
「この辺りでどうだ?」
「もう少し下で……あ、その辺で良さそうです! バッチリです!」
二月十四日、バレンタインデー。
この日の朝、いつもより早くからカフェ・ライムライトに来た私と理市さんは、店内の壁面に小さな額縁を取り付けていた。
三つ目を飾り終えた理市さんが、遠目に配置を確認していた私の隣までやってきて、腕組みして額縁をかえりみる。
「ふむ。良いな、店によく馴染むよ。君に描いてもらって本当に良かった」
「こ、光栄です……」
照れくささと嬉しさで頬が熱くなる。
なぜなら、今壁に飾られたばかりの絵は、私が描いたものだからだ。
カフェ・ライムライトの店内や小物をモチーフに描いた水彩画。
年明け直後に理市さんに正式にお仕事として依頼を受け仕上げた絵は、今日から店の一角を飾ることになっていた。
大好きなこの場所に自分の描いた絵を置いてもらえるなんて、本当に感無量だった。
そうしてしみじみと額縁の絵を眺めていると、どうも視線を感じる。
いつの間にか理市さんが私を見つめていた。
目が合うと微笑んでくれる。いつもながらとはいえ極上の笑みで、胸がキュンとしてしまう。
十二月三十一日の事件が無事に終わったあと、私と理市さんは正式に恋人同士になった。
両想いだったことには本当に驚きながらも、今日までずいぶんたくさんの話をした。私の思い、理市さんの思い、今まで聞けなかった彼自身についてのこと、それにこれからのことも。
それでもまだまだ話したいことは尽きなくて、私は彼と顔を合わせるのを心待ちにする毎日を送っている。
(ライムライトの仕事も、絵の仕事も充実してる。理市さんと想いが通じ合って、そばにもいられて……。こんなに幸せで良いんだろうか……)
絶望のどん底にいた去年の春を思い出すと、まだ実感がないくらい。
もう少しであれから一年が経つ。私の周りの環境は大きく変わり、それ以上に私自身も変化した。
全てのきっかけは、このカフェ・ライムライト。そして理市さんと再会したおかげで――。
「考えごとか?」
「はい。ちょっと去年の春を思い出して……。今の私は、あまりにも幸せすぎだと思って。なんだかしみじみしちゃってました」
本音を笑顔とともにそのままを口にすると、理市さんも微笑んで私の髪を優しく撫でてくれる。
「俺もしみじみ幸せだと思うよ。君がそう言って笑っていてくれることが」
愛する人と屈託なく笑い合える、ささやかだけど幸福な時間。
この一瞬一瞬が、途方もなく尊いものに感じられた。
いけない。そろそろ開店の準備に戻らなくては。
そう思って動き出そうとすると、理市さんに手招きされた。
「風優子。これ、受け取って」
「へ? これは……」
手渡されたものに目を落とす。
柔らかなターコイズブルーの小さな箱に、白いサテンのリボンがかけられている。
これはあの……相当有名なブランドのものでは。
慌てて顔を上げて理市さんを伺う。
「開けてみて」
「はっ、はい!」
小箱を開けると、中にはローズゴールドにきらりと輝く一粒のダイヤモンドのはめられたピアスがあった。クラシックな雰囲気で大人っぽい。
飾らないモダンでシンプルなデザインは、ひと目で気に入ってしまった。
ダイヤモンドは四月生まれの私の誕生石だけど、もしかして覚えていてくれたの?
「あの、これ……私に? 本当に良いんですか……?」
大学生になった時にピアスホールを空けてから色々なピアスを身につけてきたけど、安物ばかりだったのだ。
それに実は、こんな高価そうなアクセサリをプレゼントされるの自体が初めてだった。学生時代にネックレスはもらったことがあったけど、正直これと比較してはいけないと思う。
ピアスを見つめてまごまごしていると、「もちろん」と理市さんが笑みを深くする。
「君に似合うと思ったから。それに」
「それに?」
そのあと続けられた言葉に、私は自分の頬が熱くなるのを感じた。
「こういうデザインのピアスなら、いつでも着けていられるだろ? それ、いつも着けていて。俺の独占欲を満たさせて?」
柔らかい口調なはずなのに、どこか強引で。
独占欲という思いがけない言葉にもドキドキしてしまう。
私のことを欲しがってくれているというのが、すごく恥ずかしくて、でも嬉しくてたまらない。
理市さんはきれいな長い指で私の耳に触れる。快さと少しのくすぐったさ。耳朶がすぐにかっと熱くなってきてしまう。
私を伺うように首を傾げて覗き込む仕草だけで、クラクラしそうなくらいに色気がすごい。
どうしよう……。本当に、本当に、好き……。
何とか少しでも気持ちを伝えなくちゃ。
「ありがとうございます。早速このピアスを着けます、今からでも! あの、言葉にならないくらい嬉しくて……。ありがとうございます」
「俺も嬉しい。……でもすまないな、大人げない男で」
「ううん。それも嬉しいんです。自分がちゃんと理市さんのものって感じがするのが」
照れ笑いしながら理市さんを見ると、何かを堪えるような顔で眉間にシワを寄せてうつむいてしまった。
あ、あれ? 怒らせてしまうようなこと言っただろうか?
慌てて尋ねようと口を開きかけた時に、突然抱きすくめられた。
「君はもう……本当に。そういうところだぞ」
力強く抱き締められて高鳴る胸の鼓動は、聞こえてしまわないか心配になるくらい。
ため息とともに切なそうな声が吐き出される。
「頼むから、朝から俺の理性に試練を課さないでくれ」
「えっ、ええと……?」
「全部君が愛おしすぎるのが悪い」
はあ、とひときわ大きく息をつくと、理市さんは懐いた猫のように私の肩に頭を乗せた。
間近で息づかいを感じると、なんだかたまらない気持ちになる。
私はそっと理市さんの大きな背中に手を回し、抱き締め返した。
ずっと、ずっと、この人と一緒にいたい。
改めて強くそのことを感じていた。
そして私たちの新しい『約束』をずっと大事にしていきたいと心から思った。
バレンタインデーのカフェ・ライムライトはなかなかの混雑になった。
イベント柄か、今日はコーヒーと一緒にチョコレートがよく出る。
実は私も理市さんに渡す予定のチョコレートがあるのだけど、渡せる頃にはお互いチョコを見るのも嫌になっていそうなのが少し笑えてしまう。
カウンターと何回目かの往復をしながらふと思う。
今の私は、春に働き始めたばかりの頃と違って、お店が忙しくなっても笑顔で乗り切れる。
カウンターでコーヒーを淹れる理市さんの呼吸とも、よく合わせた動きをできるようになった。
用意されたコーヒーをお客様の前に運び、店の中をくるくると立ち回るのも慣れたものだ。
レコードのジャズが次の曲へ変わる。
カランとベルが鳴り、また新たなお客様が扉を開くのを知らせてくれる。
「いらっしゃいませ!」
挨拶の声は、もう震えたり裏返ったりしない。
いつの間にか私に身についた自信は、堂々とした振る舞いに結びついていた。
――ここはカフェ・ライムライト。
街角のビルの地下にある、クラシックで落ち着いた素敵なお店。
美味しいコーヒーとチョコレート、手作りのケーキ。それに軽食がいくらか。
マスターと私、二人でお客様をおもてなしします。
ライムライトは、舞台照明。
訪れた方の人生のひと時を照らし出す、ささやかな灯り。
つらい時も、楽しい時も。
願わくば、あなたが素敵なひと時を過ごす、小さなお手伝いができますように。
ようこそ、カフェ・ライムライトへ。




