第八話 絆の一撃
ついに解放され、その姿を現した魔王が、セルンの目の前で変生していく。
全身が劫火に包まれたかと思えば、大きく膨れあがっていく。
炎の巨人化。それがレクシオン・グリームニルの神器の力と聞いていたため、セルンに驚きはなかった。ただ、大きくなって数十メートルという話であったが、今の彼の大きさはそれよりも二周りは大きかった。
全長は百メートルを超えるだろうか。人間が視認できる範疇を遥かに超えて、まるで山を目の前にしているかのよう。
「■■■■ッ!」
巨人と化した魔王は、その腕を振るった。
頭上を覆い隠すほどの一撃は、まるで隕石が落ちてくるかのようだった。圧倒的な質量による一撃。その巨体を前に逃げることもままならず、並の勇者ならば、この一撃をもって死ぬしかないだろう。
「トアレ!」
「応!」
だがセルンは並ではない。雷となって攻撃の範囲外から逃れると、空中を蹴って、魔王と同じ目線の高さにまで飛び上がる。
ぎょろりと三つの瞳がセルンをにらみすえる。魂を凍らせる殺意の波動。だがそれもセルンには通じない。トアレと共に戦うセルンが怖じ気づくことはありえない。
巨人に対し、セルンは鎌を振るった。
雷光が瞬き、巨大な稲妻の一刀が袈裟懸けに巨人を切り裂く。
まさに山を真っ二つのと同じ手応えをセルンが感じ中、上下に別たれた魔王の上半身がゆっくりと倒れていく。
下半身だけになった魔王は、しかし生きているようで、切断面からうねくる触手を伸ばしてセルンに攻撃を加えていく。
千を超えているのではと思われる無数の触手は、一本一本が触れるものすべてを溶かす酸を吹き出しながら、セルンを追いすがる。あの酸が、ああなったレクシオンの神器の力なのだろうか? ならば、とセルンは酸が降りかからない遠くの位置から雷刃を放って一気に切断する。
だがその切断面からも再び触手がのび、今度は別の能力を先から放つ。
炎を。氷を。岩を。一本一本の触手がまったく異なる能力を発現させて、セルンをいっせいに狙った。
「なんだあれは! 巨大化に炎に氷に岩まで!? 奴の神器の能力は一体なんなんだ!」
トアレの疑問の声もむべなるかな。レクシオンの行使した神器の能力は、ひとつはふたつでは説明がつかない。トアレのような、元を正せば神器殺しの雷という源の姿も感じさせない。すべてが別々の祈りから誕生したと思しき能力だった。
それらを縦横無尽に振りかざし、レクシオンが襲いかかってくる。
幸い、一撃一撃の力はさほどのものではなかった。炎も、氷も、岩も、セルンの放つ雷が真正面から吹き飛ばす。
さらにレクシオンそのものを蒸発させんと、セルンは一際強力な雷撃を放った。
レクシオンはそれを受けて身体の半分以上を失うが、残った身体はより元気になって動き出す。次なる触手は、その先端から雷を放った。それはセルンの放った雷を相殺する威力であった。
「……そういうことか」
セルンはこのタイミングで雷を使ったレクシオンの能力について、理解した。
「相手の力を奪い取り、行使する力。それがあの魔王の力なんだ」
「では我らが戦えば戦うほどに、奴はパワーアップしてしまうというのか!」
今のレクシオンは上下に別たれても平然と動いている。もはや人間の組成ではなくなっているのだ。急所を狙って命を奪う、ということはできないのだろう。
「なら」
一撃の下、すべてを吹き飛ばす。
セルンは縮んだレクシオンの姿を視界ないに収めると、一気に雷撃を解き放った。それは神の振るう破壊の鉄槌となって、レクシオンの身体すべてを黄金の輝きの中に昇華させた……かに思えたが、光が消え去ったあとに、紅蓮に燃え立つ炎の巨人の姿は健在だった。
「今の攻撃を防ぐのか」
「マスター。我は見ていた。今のこちらの攻撃を、奴は自分を結界に包むことで耐え抜いたのだ」
「結界?」
「そうだ。ゼスティ・グリームニルの使っていた結界だ」
「つまり奴は敵から能力を奪えるだけではなく」
「死んで吸収した味方の力も使えるということだ」
二人の予想を証明するように、レクシオンの身体がさらに変化する。その身体から幾人もの人間の腕や足が生え、無数の顔があらわれる。それらは鼻も、口もない無謀の貌。ただ、その額にのみ燃える炎が浮かび上がっている。
それらの貌が口を開き、絶叫をあげるたびに、別の場所から触手が生えて能力を振るった。
つまりあそこに見える貌こそが、ほまてその力を持っていた魔王候補たち。レクシオンは死んだ大勢の仲間を取り込んでいたのだ。
「■■■■■」
彼らは叫びながらセルンに攻撃を加えてくる。
「■■■■■■■■■■■■」
得体の知れない異界の音を奏でながら、我先にと攻撃をぶつけてくる。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
それらすべてに、セルンは底なしの怒りを感じた。勇者を必ず殺す赫怒の意志を感じ取った。
「仲間の怒りを束ねて自分の怒りに変える。だからお前は、そんなにも怒り狂って見えたんだな」
ゼスティの中にいたときから感じていた怒りの正体はこれだったのだ。すべての魔王候補の怒りの集合体。それが目の前の魔王の正体だった。
「……そんなものを一人で背負って、個人の意識が残ってるはずがない」
レクシオンは自分の怒りではなく、みんなの怒りを代行すると決めたのだろう。彼の器に押し込められた無数の貌は、額の瞳から血の涙を流しながら、それぞれの神器を駆動させ、最強の攻撃を発動する。
それらは一カ所に収束した結果、すべてを無に帰す一撃となって世界に具現した。セルンめがけて一直線に向かってくる。
「トアレ!」
「応よ! 全力全開!」
それに対し、セルンも最強の一撃をもって応える。二人の間を循環する絆という名のエンジンを回し、黄金の雷光を束ねて放つ。
互いの攻撃は中央でぶつかり合い、激しく火花を散らす。
どれだけの神器を集めようとも、器であるレクシオンの限界は超えられない。これはセルンとレクシオン、勇者と魔王のどちらの器が優れているかという勝負だ。
ならば負けられない。トアレが信じる自分を疑うことはできない。
「俺の方が強い!」
揺るぎない自負を持って、セルンはレクシオンの攻撃を押し返していく。
そのまま無数の貌と共に魔王を滅ぼさんとして、
「させんよ」
「そうじゃな」
今まさにレクシオンを倒すことができる直前、二人の人影がやってきて邪魔をする。
ラクサスとミルヒアイゼンだ。二人はそれぞれユーゴとレナスロッテを倒すと、魔王の危機に駆け付けた。
「病み上がりだ。少しくらいは協力してやらないとな」
「そうじゃな。今の我らでも、少しくらい手助けしてやることは」
できる、とミルヒアイゼンが笑った直後、彼女の身体を後ろから魔王の触手が貫いていた。
触手はすぐさま魔女を分解すると、その力のすべてを吸収する。
「……まあ、そうだよな。お姫様を守れなかったナイトなんざ、誰より先に怒りをぶつけて当然か」
魔女があっけなく消える様を横目で見て、ラクサスは肩をすくめる。
「敗者は勝者のために。それが黒の世界の掟だ。いいぜ。持っていきな」
そう言って笑うラクサスを今度は貫き、触手は力に変換する。
覚醒に至った魂二人、それを取り込んで魔王はより強大な力を得た。
いや、戻ったというべきか。元々、半年前に取り込んでいたラクサスとミルヒアイゼンの神器が、残っていた二人の意識をくべられたことで駆動する。森羅万象を暴く魔法の力と、森羅万象を切り裂く剣の力がを手にし、魔王の放つ力も格段に増した。
「ぐっ!」
「マスター! 気張れ!」
押し負けそうになったセルンを叱咤するように、トアレが叫ぶ。
彼女はより想いを巡らせて、力を爆発させる。
「我ら二人が揃って倒せぬ敵などない! そうだろう!」
「もちろんだ! 負けてたまるか! 俺は魔王を倒すために今日まで戦ってきたんだ!」
トアレから力を受け取って、セルンは叫ぶ。
「俺は勇者だ! 絶対に勝つッ!」
雷光一閃。すべての力を注ぎ込み、セルンの放った一撃がレクシオンの巨体を貫いた。
その身体が光の中に溶けていき、無数の貌が断末魔の絶叫をあげ、ひとつ、またひとつと消えていく。
終わった。と、その様を見ていた誰もが思った。
あの攻撃を受ければ、いくら魔王であってもひとたまりもない。
だから……
「■■■■」
魔王レクシオン・グリームニルは観念した。
みんなから受け取った想い、それを叶えるためには、魔王では足らないのだと観念し。
「■■■■■■■■」
すべてを昇華する光の中、その手を天空に向かってのばし、称える。
誰かを。
なにかを。
神に、祈り を
◇◆◇
レクシオンの人生は、怒りと共にあった。
民草に理不尽を強いる滅びへの怒り。最愛の妹に苦痛を強いる残酷な現実への怒り。それを原動力として、彼は強くなった。
これは正しき怒りだと信じた。この胸の怒りこそが正しい世界を導くのだと、彼は心の底から信じていたのだ。
だからレクシオンはなんら恥じることなく、『憤怒』という名の神器を発現し、これをもって覚醒に至った。
……もしも不幸があるとすれば、彼の責任感が人並外れて強かったことだろう。
同じ志を抱いて集った魔王候補たち。彼らの死に際、レクシオンはその想いを真摯に受け取った。
世界を救って欲しい。
勇者に必ず勝って欲しい。
みんなに笑顔を届けて欲しい。
この痛みを白の奴らにぶつけて欲しい。
それらはすべて祈りという名の怒りの亜種。それに彼は、魔王として応えた。
――ああ、任せろ。お前たちの魂、そのすべて引き受ける。
彼の神器ならばそれができた。同じ怒りを胸に懐いているのならば、その力を奪い取れるという強奪の神器。敵ならば無理矢理に、同胞からは託されるように、彼はその力を受け取った。際限なく引き受けていった。
彼はその度に強くなった。
無数の怒りを背負って、無限の怒りを飲み込んで、彼は強く、強く、強くなっていった。
けれど強くなればなるほどに、彼の根底にあったものは歪んでいった。人それぞれ正しさには違いがあるということに、まだ若い彼は気づけなかったのだ。すべてを背負ってしまえば、自分を見失ってしまうのは当たり前のことなのだと、気が付いたときには遅かった。
すべてを一人で背負った結果、彼は自分の怒りを制御できなくなってしまった。結果、自滅に近い形で敗北を喫し、そしてそのたった一度の致命的な敗北が、彼が守ろうとしたものを壊してしまった。
「お兄様は死なせない。わたしが絶対に死なせない!」
彼を守ろうとして、最愛の妹は覚醒に至った。
死の間際にいた彼を救うために、彼女が彼の背負っていたものすべてを引き受けることになった。その重さに押し潰され、痛みに涙し、怒りに狂いながら、必死になって死ぬために全力疾走することを強いてしまったのだ。
そうして、確定していた結末に彼女は至った。
ゼスティは兄を解放し、レクシオンは押さえきれない怒りのままに妹を喰い殺した。
……それだけならば、レクシオンはまだ耐えられた。
妹を殺した悲しみを胸に、この罪深い命を終わらせることができただろう。
けれど、ゼスティは最後に呪いを残した。
『――いいよ。わたしを食べて。全部を持っていって』
彼女は微笑みながら死を受け入れた。
『――お兄様。わたし、幸せ。すごく、今、しあわ、せ、よ……』
こんな残酷な結末を、許し難い兄の愚行を、幸福だと笑って死んだのだ。
――その現実を前に、彼の魂は発狂する。
歪んでいる。歪んでいる。この世界はあまりにも歪みに歪んでいる。
正さなければ。正さなければ。この胸の怒りに従って世界を正さなければいけない。
勇者さえ倒せばそれが叶うはずだった。
けれど……勇者は強かった。
自分たちのすべてを合わせてなお、理不尽なほどに強かった。
――その理不尽を前に、発狂した魂はさらなる高みへと狂い墜ちる。
「勇者よ。我が怒りの前に死に絶えろ」
呪うべき勇者をにらみつけながら、彼は告げる。
「世界よ。我が怒りの前に死に絶えろ」
それはもはや人の言葉ではなかった。混沌に沈んだその魂は、人の領域を遥かに超えて、天蓋すらも突き抜けた。
その左手の刻印に込められた人々の祈りを手放して、代わりに異界の理を詰め込んでいく。
このどうしようもない世界を正すために必要なのは、多くの人々の祈りなどではない。もっと強く、この世で最も強い、この世界とは異なる世界の力に他ならない。
それがどのような邪悪なものであれ、この残酷な現実よりは遥かにマシだ。
そうだろう? と彼は自分に語りかける。
是、と彼が飲み込んだ魔王候補の魂が応える。
ならばもはや、そこにいるのはレクシオン・グリームニルという個ではない。魔王候補たちの祈りを受け取って誕生した、すべての怒りの代行者。『魔王』という名の理想の具現。
その誕生を、異界の神が祝福する。
――ここに黒の世界が望んだ、最凶の魔王は誕生する。
「神器覚醒――」
すべてを無に帰すために、魔王は顕現する。
「邪神変生・魔王降臨」
セルンの光が無明の暗黒に飲み込まれる。
その中より現れる三眼の魔王。それはすべての輝きを吸収して、より大きく、なお巨大に膨れあがっていく。瞬きのうちに山をも超える大きさにまで巨大化し、けれど止まることなく膨張し続ける。それははや一個の生命ではなく、ひとつの宇宙、ひとつの世界だった。
「まずいぞ、マスター。このままこやつの世界が際限なく広がれば、この世界そのものが奴の世界に飲み込まれる!」
神器として魔王の力に危機感を覚えたトアレが叫ぶ。
「そうなれば、誰も生きてはいられぬ! 奴のそれは他者の生存を赦さぬ、憤怒の世界だ!」
トアレの言葉は正しかった。
炎の巨人は人の言葉をしゃべることはなかったが、その三眼がより雄弁に語りかけてくる。
殺す。殺す。一人残らず殺し尽くす。
この世界にあるものはすべて間違っている。ゆえに正す。殺し尽くす。
聖戦のルールも関係なく、白も黒も関係なく、すべてを等しく無に帰る。
そんな概念に成り果てた魔王が、その腕を振り上げた。
「まずい!」
セルンは仲間の方を見やる。
今の魔王にとって、その一撃は世界を滅ぼす一撃に他ならない。ここで放たれれば、全員が死ぬ。
「やるしかない! トアレ、行くぞ!」
「応!」
再び、セルンは全力全開で雷光を放って魔王の攻撃をはねのけようとする。
だがまったく通じない。魔王の拳はゆっくりと、世界そのものに等しい重さをもって墜ちてくる。
「おぉおおおおおおおお――ッ!」
セルンは吼えた。
「みんなを殺されてたまるかぁああああああ――ッ!」
その一念で、必死になって魔王を押し返す。
向こうが自分の世界を押しつけてくるのならば、セルンもまた世界を押し通すのみ。
「トアレぇええええええ!!」
「わかっている! マスター!」
諦めない。そうだ。諦めてたまるものか。
二人ならば超えられる。世界も、神も、なにもかもを超えられるのだ。
かつてないほどに心を共鳴させた二人の前に、ついに魔王の拳が止まった。さらにはゆっくりと、その拳が押し返されていく。
セルンの想いが、トアレの想いが、二人の絆が世界を超えて。
「■■■■■」
ならば話は簡単だった。その絆を、我らの絆をもって断ち切ればいい。
「神器覚醒――」
魔王の中から響く少女の声。小さな、小さな、世界の声。
「――『救済を拒む小世界」
魔王にとって、最大最凶の象徴が、無慈悲にその力を振るう。
「ぁ」
結界がセルンとトアレの間に差し込まれ、それが二人の立ちがたい絆をあっけなく断ち切った。
あらゆる法則を無視し、ルールを超えて。
魔王が取り込んだゼスティの神器が、すべてを嘲笑うかのようにトアレを封じこめる。
直後、神器を失ったセルンの身体を、憤怒の世界がいとも容易く押し潰した。




