第七話 魔王の帰還
「ラクサスも本気を出したようじゃな」
剣鬼が本当の意味で動き出したのを見て、ミルヒアイゼンもそれに続く。
「ならば儂もそろそろやるとしようか」
ミルヒアイゼンを形作る本が発光すると、パラパラとページが千切れ飛び、人の形となる。
光が消えたあと、そこには金色の髪を三つ編みにし、後ろに流した少女の姿があった。
年齢は十八前後。肌を覆い隠す司書のような服の隙間からのぞくのは、滑らかな褐色の肌。瞳は理知に富み、怜悧に輝いている。
「やはりこれがないといかんな」
かつて人だった頃の姿を再現したミルヒアイゼンは、最後にどこからともなく片眼鏡を取り出してかけると、素早く魔法を構築して向かって来ていた攻撃を防ぐ。
「まったく、人の変身の最中に攻撃してくるとは、礼儀のなっていない奴め。いや、人外に礼節を説くのは無意味というものか」
本から人間に変化すれば大抵の者は驚いて手を止めるが、レナスロッテは一切動じることなく魔法攻撃を続けていた。もはやその精神性は常人に推し量れる域を超えている。まさに怪物じみた精神の持ち主だった。
「怪物には力をもって。さあ、これがヴォルゼンツアー最後の魔法じゃ! 派手にいこうか!」
ミルヒアイゼンは一息で複数の魔法を同時に組み上げると、レナスロッテに向けて放った。
それはこれまでよりも格段に威力の増した攻撃だった。レナスロッテの放った魔法を真っ向から打ち破り、彼女を頭上から強襲する。
レナスロッテは回避しようとするが、足が動かなかった。いつのまにか灰色の大地が盛り上がり、レナスロッテの動きを拘束していた。咄嗟に防御壁をはって威力を削るが、それでも複数の光の炸裂によって、レナスロッテはその場に倒れふすことになった。
「……これはまた、もはや魔法というよりかは別のなにかですね」
血反吐を吐きながら、レナスロッテはつぶやく
並列詠唱。高速詠唱。どちらか片方でも至難の技とされる魔法の秘儀を、ミルヒアイゼンは同時に行ってみせた。数も規格外に多い。おおよそ魔法という枠組みを超えた規模の攻撃であった。
「生憎と、これは立派な魔法じゃよ」
「これを魔法と言い張るのなら、果たして代償にとしてなにを支払っているのでしょうか?」
レナスロッテは確信をつく。ここまでの魔法だ。なんの代償もなしに行使できるとは思えない。大切なものを捧げなければ術理に合わない。
わかりやすいところで言えば寿命だろうか。いや、そもそも人の姿をなくしたミルヒアイゼンに寿命などあってないようなものだ。であれば、代価にはなり得ない。彼女が捧げたのはもっと別のなにか。今の彼女に残った大切なもの。
「記憶でも捧げているのですか?」
「はははっ、一瞬で見抜いてくるの。その通りじゃ。ミルヒアイゼンの魔法は、知識を代価に使う」
ゆえにこそ、歴史を詠み、叡智を求めて来た。すべては魔法の探求のために。けれど今、その知識を投げ捨てるように費やして、ミルヒアイゼンは戦っていた。
「信じられませんね。大切な記憶を捧げるだなんて」
「なんじゃ、思いの他ロマンチストなことを言うのじゃな」
「当然でしょう。わたくしには失ってはいけない記憶があります。失いたくない記憶があります。やろうと思えば、きっとあなたと同じことができるでしょうが、それを実行することは不可能ですね」
「ではこのまま圧殺されるといい」
ミルヒアイゼンは再び魔法を唱えていく。記憶が欠け落ち、思い出が消えていくが、恐怖は感じない。どれだけ記憶が消えたとしても、消えない想いがこの胸にはある。
「ミルヒアイゼンさん、でしたね。ひとつ聞いても?」
レナスロッテは破滅の輝きを見上げながら、ミルヒアイゼンに尋ねた。
「あなたはなぜそこまでされるのですか? あちらのラクサスさんもそうですが、あなた方にとって、この戦いはもはや意味のないものでしょう?」
「意味のないじゃと?」
「ええ、そうです。勝っても負けてもあなた方の死は確定しているのですから」
ミルヒアイゼンも、ラクサスも、今命を燃やして戦っている。その証拠に、その身体は少しずつ光になって崩れ始めていた。
「それなのに、唯一残った思い出までをなげうって戦っているのはなぜですか? 世界を守るため、だなんて理由であなた方が戦っているとも思いません」
「……そうじゃな。儂も、ラクサスも、世界のことは正直そこまで気にしておらん」
滅び行く世界を救いたいという気持ちはもちろんある。だがその一点だけで言えば、二人ともが多くの魔王候補たちに劣っていた。
「むしろ、こうも思うよ。守るべき子供を苦しめてまで救う価値などあるのか、とな」
「ゼスティさんですか?」
「そうじゃ。あの子は幼い。守らなければならない子供じゃった。そんな彼女を戦場に連れ出してしまった時点で、我らの道理は破綻しておる」
「ならば、なぜ?」
「決まっておろう。他でもない、その子供のためじゃ」
ミルヒアイゼンは思い出をさらに捧げて、魔法の威力を高めていく。
残ったのは戦いを始めたその思いのみ。
「誰よりも幼い子供ががんばっておる。ならば、年長者としては見守ってやらねばなるまい。あの子が一分一秒でも長く家族と一緒にいられるように、がんばるしかあるまいよ!」
「なるほど」
ミルヒアイゼンは残っていた疑問のすべてに理解がいった。納得もいった。
「では、今しばらくあなたの我が儘にお付き合いしてあげましょう」
「はっ、口の減らぬ化け物じゃな!」
ミルヒアイゼンは魔法を放つ。
レナスロッテは自分の命の灯火だけを消さないよう、それを慎重に凌いでいくのだった。
激しさを増していく戦いを横目に見て、ゼスティは二人に感謝を贈った。
「ありがとう、ミルヒ。ラクサス」
二人とは、本当はもうとっくの昔にお別れをしなければならなかった。
ミルヒアイゼンも、ラクサスも、息をするだけで苦しい状態なのだ。死が彼女たちにとっては救いであり、二人のことを思うのならば、もっと早くにお別れを告げるべきだった。
もういいよ。あとはわたしに任せて――そう言って、休ませてあげるべきだったのだ。
けれど、ゼスティは言えなかった。
仲間がいなくなるのが怖くて、寂しくて、二人に我が儘を言ってしまった。一緒にいて欲しい。最後まで付き合って欲しい。その言葉に、二人は頷いてくれた。お兄様と約束したからな、とそう笑って頷いてくれたのだ。
そして今も、地獄のような苦しみに耐えながら戦ってくれている。
一分一秒でも、ゼスティが家族と一緒にいられるように、踏ん張ってくれているのだ。
……許されないとわかっていながら、それでも本音を言うのなら。
ゼスティは、聖戦なんて始めたくはなかったのだ。
「……お兄様。お兄様。嫌だよ。お兄様」
ぽろぽろと双眸から血の涙を零しながら、ゼスティは自分の中にいる兄に向かって縋るようにつぶやく。
「一緒にいたい。ずっと、ずっと、一緒にいたいの。本当は、お別れなんてしたくない」
ゼスティの役目は、その命をもって魔王を復活させること。つまり兄を復活させたとき、ゼスティは死んでしまうのだ。それはどう足掻いても避けられない。
死ぬのは怖くない。だけど、兄と別れるのは怖くて悲しかった。
叶うなら、ずっとこのままがよかった。今のこの状態は痛くて辛いけれど、それ以上に嬉しかった。お兄様をすぐ近くに感じられて、とてもとても幸せだったのだ。
けれど……それももう終わりにしないといけない。
黒の世界を救うには、大切なみんなを守るためには、魔王がどうしても必要で。
魔王様を帰還させるには、ゼスティは死ななくてはいけなくて。
「……ああ。本当に、なんてこの世界は残酷なんだろう」
ゼスティは何度も思ったことをつぶやきながら、セルンを見やった。
「セルン。わたしも、あなたみたいになれればよかった。愛しているから殺すのだと、そう言い切れる強さが欲しかった」
そうすれば、ゼスティの兄はとっくの昔に死ぬことができていた。二人と同じで死こそが救いであるあの人を、殺して救うことができたのに。
「でも、わたしはそうはなれなかった。弱くて、弱くて、一緒にいたいと願ってしまった。少しでも長く一緒にいたいって、そう思って……」
大好きな人を苦しめて。
そして今、この現実という名の残酷な世界に戻そうとしている。
「あなたのローリエへの愛、理解できないと思ったけれど、簡単なことだったのね。あなたは自分の幸せよりも、大好きな人の幸せを願っただけの話。そしてわたしは、大好きな人よりも自分の幸せの優先してしまった」
「……それが悪いわけじゃない」
「なによ、慰めてくれるの?」
セルンの言葉に、ゼスティは笑った。それはいつもの小馬鹿にするような笑みではない、子供のような無邪気な笑みだった。
「ふんだっ。今更、わたしの好感度を稼ごうとしたって遅いんだから。わたしの気を引きたかったら、遅れることなく最初から魔王候補として戦うことが絶対条件よ」
「そうか。悪かったな、遅刻して」
「本当よ。あなたがもしこっちの世界にいてくれれば、きっと」
魔王にだってなれたかも知れない。
そしたら今、こんなことにはなっていなかったのかも知れない。
けれど……
「それでも、そう、今はわたしのお兄様が魔王なの。レクシオン・グリームニル。それが最高で最強の、わたしの魔王様の名前よ」
だからね、お兄様。そろそろ、お別れの時間みたい。
嫌だけど、涙が出るくらい嫌だけど、それでもバイバイを言わないと。
だって、みんなそのためにがんばってきたから。
わたしも、そのためにがんばってきたら。
だから……。
「神器覚醒――」
ゼスティは神器を呼び出すと、最愛の人に別れを告げた。
「さよなら、わたしの『救済を拒む小世界』」
それは神器の覚醒であり、覚醒ではなかった。
ずっと維持し続けていた覚醒を解くと、ゼスティの額の瞳が消えた。
元々、ゼスティは『千里眼』の種族特性は持っていない。これは兄を封印したことで表れたもの。レクシオンの感情を伝えるための触覚のようなものだった。
それが消えた。覚醒神器『救済の拒む小世界』の解除によって、ゼスティの中に封じられていたレクシオンが解放される。
同時に、ゼスティの身体から急激に生命力が失われていく。
幼い身体から、無理矢理命が奪われていく。
それをゼスティは拒まない。
なぜならば、こうしなければ兄は蘇ることができなかったからだ。
レクシオン・グリームニルの神器『憤怒』は、怒りを向ける相手から『力』を奪い取る強奪の神器だ。彼が心からの怒りを抱いた相手からならば、彼は生命力を奪い取ることができる。
そしてその矛先が今、長く封じ込め続けてきたゼスティに向けられた。
怒っている。怒っているのだ。兄は自分に対し、怒ってくれているのだ。
「ごめんね。待たせてごめんね。苦しめてごめんね、お兄様」
生命力だけではなく、肉も、骨も、想いも、すべてを兄に喰われながらも、ゼスティは微笑みを崩すことはなかった。
「いいよ。わたしを食べて。全部を持っていって」
そうして、兄の一部になる。最後の最後に、その役に立てるのだ。
ああ、それはなんて幸せなことなんだろう。
「お兄様。わたし、幸せ。すごく、今、しあわ、せ、よ……」
最後の最後まで幸せそうに微笑みながら、ゼスティはその髪の一本、肉の一欠片、魂に至るまでをすべて魔王に奪われた。
跡形もなく消えてしまったゼスティに代わって、セルンの目の前に、彼女とよく似た紫色の髪をした青年が現れる。
右手には黒き翼の刻印。
彼は妹の血を全身に浴びた状態で、しばし天をじっと見仰いだあと、セルンの方をゆっくりと振り返った。
燃え上がる三つの瞳がじっとセルンを見つめると、彼は全身から紅蓮の炎が迸らせた。
あふれ出る赫怒は、紅蓮に燃え盛る巨大な魔人の腕となって具現する。その腕が大地を掻きむしり、大気を穢していく。そうすることで、彼は世界そのものを吸収して自分の力に変えていく。
だが足らない。まるで足らない。
その舌の上に残る妹の味を消すには、それだけの量ではまったく足らなかった。
「■■■」
彼はセルンを見て言った。
「■■■■■」
なにかを言った。
「■■■■■■■■■■■■■■■」
だがそれはもはや人間の言葉にはなっていなかった。ただただ、すべてを破壊する怒りの意志だけをまき散らしながら、レクシオン・グリームニルは動き出す。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」
魔王が今、すべてを無に帰すための戦いを始めた。




