第六話 緒戦
虹の境界線を超えて辿り着いた聖戦の舞台。それは灰色の空と大地がどこまでも広がり、それ以外にはなにもない世界だった。逃げることも隠れることもできない、まさに決戦の舞台にふさわしい異界である。
セルンたち勇者側が参戦するのとまったくの同時に、ゼスティたち魔王側も姿を現す。
ゼスティとラクサス、そしてミルヒアイゼンの三人以外に人影はない。
となれば、あの三人の誰かが魔王ということになるのだが、レナスロッテの見立てではそれは違うとの予想だった。
今は姿を見せていないが魔王はいる。
「行くわよ、ラクサス。ミルヒ」
彼らはゼスティの指示に従って動き出す。
同時に、セルンたちも動き出した。
『『神器解放――』』
セルンとユーゴ、マリエールが神器の解放に移る。
初手での神器解放は必要不可欠。だがその隙を狙って仕掛けてくる者がいた。
ラクサスが剣を抜き放つと、その巨体からは想像もできないスピードで近付いてくる。動きの俊敏さはもちろん、最初から神器の解放を捨てているとしか思えない躊躇のない動き方だった。
神器解放は戦う上での大前提。その枠組みの中に、彼はいないだろう。
託すべきは自分の腕のみ。あるいは、もう神器の解放自体ができないのかも知れない。
ラクサスは剣を唯一の武器として、一番槍として向かってくる。
「させない!」
それを迎え撃つのはリコリスだった。
彼女もまた、神器の解放を捨てて自分の拳を信じて駆け出していた。二組の中央で、ラクサスとぶつかる。
すぐ様始まる剣と拳の応酬。種族特性によって強化された身体能力を駆使し、閃光のようなスピードで剣を振るうラクサスに対し、リコリスはなんとか拳を合わせて捌いていく。
ラクサスは強かった。シャルティエとの戦いで開花した神器の祝福、その恩恵を使ってようやくリコリスは彼の動きに喰らいついていけるという有様だった。
それでもラクサスの動きが止まったのは事実。その隙を使って、セルンたちは解放を終える。
同時に、解放以外の手段で敵に攻撃を加えようとしていた二人が動き出す。
レナスロッテとミルヒアイゼンが魔法を放ち、仲間の援護を始める。
二人の狙いは的確で、ほぼ完全に軌道が一致していた。中央でぶつかりあった魔法が火花を散らし、輝きを放って炸裂する。
援護は二人に届かなかった。純粋な力量を要求されたリコリスの反応が、ついにラクサスの剣速についていけなくなった。
大振りになってしまった拳を屈んで避けられると、伸ばした腕に剣鬼の刃が触れた。
リコリスの二の腕をするりと冷たい刃が通っていき、音もなく両断される。
「っ!」
あとからやってきた痛みと灼熱に悶えながらも、リコリスは右手だけで応戦を続けるが、片手でラクサスの攻撃は防げない。
「どうした? 嬢ちゃん。これで条件としては同じだぜ?」
「リコリス!」
そのとき、後ろから鋭く名前を呼ばれ、リコリスは素早く後ろに下がった。
彼女の代わりに前へ出たのは、聖剣を構えたユーゴだった。
「来たか、聖剣の坊主」
リコリスの代わりに戦いへやってきたユーゴを、ラクサスは獰猛な笑みを浮かべて歓迎する。
「今度こそ、お前を仕留めさせてもらう」
「はんっ、できるものならやってみろ」
ユーゴの剣と氷剣を組み合わせた攻撃を、一刀の刃ですべて叩き伏せながらラクサスは言う。
「俺もあのときより強いぜ」
「みたいだな」
飄々とした振る舞いはなりを潜め、ラクサスは闘志を剥きだしにしていた。
「面白い。そうでなくては」
それを受けて、ユーゴもまた闘志を露わにして戦い始める。
剣戟が始まる。共に剣に生きたその人生のすべてをぶつけて、二人は激しくしのぎを競い合う。
戦う二人を横目に、他の面々も次の行動に移る。
聖戦前に決められた作戦の上では、ユーゴは元々ラクサスの相手を務めることになっていた。あちら側において、純粋な戦闘能力は彼が最強だ。好き勝手に動かれないように、ユーゴには相手を努めてもらわなければならない。
もう一人の仲間であるミルヒアイゼンは、レナスロッテが足止めの役割を負っていた。
こうしている今も、色とりどりの魔法による応酬を続けている。
「やるな」
そのページから魔法を放ちながら、ミルヒアイゼンはレナスロッテを賞賛する。
魔女である彼女だからこそ、レナスロッテの魔法の腕には舌を巻くしかない。
彼女は出力こそ高くなかったが、魔法の扱いに関してはとてつもない領域にあった。魔法行使には精神が深く結びつく。少しでも心が揺れれば、魔法の威力、軌道に影響が出るのだが、レナスロッテにはそれがない。
決して揺れることなく、従って魔法が乱れることはない。綺麗すぎて、いっそ人間味がないほどに、それは美しい魔法であった。
だがそれはミルヒアイゼンも同じ。彼女の場合、レナスロッテと違って揺れない心を持っているわけではないが、こと魔法に関してだけは別だった。
魔法のない黒の世界において、唯一魔法と共にあることを選んだ魔女という種族。その最後の一人であるミルヒアイゼンにとって、魔法を使うということは呼吸することに等しい。その扱いを失敗するなんてことはありえない。
この攻防は永遠に変わらない。これは永遠に終わらない。
二人は共にそう認識し、だからこそ手を止めることなく魔法を放ち続ける。
「リコちゃん、大丈夫ですか?」
「うん!」
一度後退したリコリスを、マリエールが薬と布を使って治療する。
最低限、血止めだけをしてもらったリコリスは、再び立ち上がって戦況に目を配る。
聖戦前に決められた作戦では、リコリスは最初に他の面々が解放する時間を稼ぎ、そのあとはマリエールの護衛という役目を振られていた。
マリエールはセルンが大怪我をしたときの治療要員であり、その前に神器を使うことを固く禁じられていた。神器を使用してしまった最後、相手は他の面々を無視してでもマリエールを殺しにかかってくることが容易に想像ついたからだ。
マリエールはリコリスの治療ができないことを歯がゆく思いながらも、ぐっと堪える。
聖戦は勇者と魔王、どちらかの死によってのみ決せられる。仲間が何人死のうとも、最後に勇者か魔王を殺した方が勝ちなのだ。
だからこそ、セルンは解放を超え、神器の覚醒まで終わらせた。
いつでも全力で戦える状態を整えて、ゼスティへと近付いていく。
ゼスティは逃げも隠れもせず、またセルンに対して攻撃を加えることなくその場で待ちかまえる。
「ゼスティ。魔王はどこだ?」
セルンは単刀直入に尋ねた。
ゼスティはふんっ、と小馬鹿にするように笑う。
「白々しい。本当はわかっているんでしょ? 魔王様がどこにいるのか」
そうだ。わかっている。わかっているからこそ、セルンはゼスティには手を出せなかった。
ここでゼスティを殺すのはあまりにも簡単だった。けれどそうした場合、魔王を倒すという聖戦の目的を果たせなくなる可能性が高かった。
「ええ、そうよ。そのとおり。魔王様は、お兄様はわたしの中にいる!」
敵を前になにもできないセルンを嘲笑いながら、ゼスティはネタ晴らしをする。
「わたしの覚醒神器は対象をあらゆるものから守り、聖戦のルールすらも超える。それでずっとお兄様を守っているの。わたしはお兄様の守護者なのよ!」
セルンは無言でゼスティの首に鎌の刃を突きつけた。
「わたしの首を刎ねる? ええ、いいわよ。やってみなさい。その場合、お兄様は二度と解放されないだけ。あなたたちは永遠に、敵も誰もいないこの世界で彷徨うといいわ!」
「……魔王を解放しろ」
「お願いは額を地面につけてするものよ。それか手土産を持ってくるのが筋でしょう? そうねぇ、仲間全員の首を持ってきたら、今ここでお兄様を解放してあげてもいいわ」
「冗談はよせ。そんなことをするくらいなら、お前を殺して魔王が解放される可能性に賭けさせてもらう」
その種の取引には応じられない。それはゼスティもわかっているのだろう。それ以上はからかったりはしなかった。
「あなたに言われなくても、お兄様の解放はするわ。わたしはそのための魔王代行だもの」
ゼスティはセルンに無防備に背中を見せて離れつつ、振り向きつつ言う。
「でもそのタイミングはこちらで決めさせてもらう。それまで待っていなさい、勇者」
「…………」
セルンは無言で鎌を下ろす。
隣のトアレは悔しそうな顔でつぶやく。
「……すべてレナスロッテの言ったとおりの展開になってしまったな」
レナスロッテはゼスティの覚醒神器の力から、魔王の状態をこう推察した。
恐らく、魔王は過去の支配者級モンスターとの戦いで命を落としかけ、そのギリギリのところでゼスティの神器によって封印されたのだと。
そしてゼスティの神器は、本当に聖戦のルールを超えて見せた。
聖戦前に神器の解放ができないというルールを覆し、ゼスティは覚醒状態を維持したままこの世界へやってきた。ずっとずっと、ゼスティは覚醒を保ち続けながらこれまで戦っていたのだ。
であれば、向こう側は焦る必要はない。状況が自分たちに有利になった瞬間を見計らって、魔王を解放してぶつけてくるだろうと言っていた。
セルンはそれまで動けない。仲間の戦いに割り込むことも可能だが、その場合、魔王による不意打ちを食らう可能性がある。今なお、魔王の神器がどういったものであるかは確定していないのだ。一瞬の隙が致命傷になる可能性は十分に考えられる。
少なくとも、向こう側には死に瀕したところを封印された魔王を、戦闘可能状態にまで回復する術があるはずだ。下手なセルンの消耗は、魔王との本番に悪影響を与える。
聖戦序盤。セルンは、仲間を信じて待つことを余儀なくされるのだった。
そしてそんなセルンの前で、二つの戦いが大きく動き出そうとしていた。
「ああ、いいぞ。ラクサス!」
興奮を隠しきれない声でユーゴは叫ぶ。
その身体には多くの傷がつけられていた。
一方で、ラクサスの身体に傷はない。隻腕の剣鬼は一方的にユーゴを追い詰めていた。
強い。強い。強すぎる!
これまで多くの敵と戦ってきたユーゴだったが、こと剣の腕ではラクサスは間違いなく一番強かった。認めざるを得ない。剣だけでいえば、ユーゴよりも遥か高みにある。
その事実が嬉しく、気持ちを昂ぶらせる。
聖戦で見出した好敵手。その存在に、ユーゴの魂は覚醒の境地に至ろうとしていた。
「ずいぶんとまあ、楽しそうに戦ってくれるな」
剣を振るいながら、ラクサスはユーゴに呆れた視線を向ける。
「冷静そうに見えて、その実、とんだ戦闘狂だ。強い相手と戦うのが、心の底から大好きだって面をしてるぜ」
「ああ、そうだとも。強い相手と戦うこと。それが私の喜びだ!」
そして、それがユーゴにとって覚醒の条件でもある。
本当の意味で全力を出せる好敵手。その戦いにおいてのみ、ユーゴの覚醒は行える。
「行くぞ、ラクサス。ここからが本番だ」
剣の技量では勝てない。けれど、テンペスターの戦いとは決して剣の腕のみで決せられるわけではない。
それを証明するために、ユーゴは満面の笑みで叫んだ。
「神器覚醒――『永久に輝ける蒼き聖剣』!」
氷結世界が具現する。
「さあ、凌いでみせろ!」
爆発的に増大した力をもって、ユーゴはラクサスに攻撃を仕掛ける。
無数の氷の刃。それをラクサスは恐ろしい技量で切り取っていくが、技術で補える質量には限界がある。一個の世界に等しい氷結の剣戟を前に、ラクサスはじりじりと追い詰められていく。
同時に、その身体の動きが緩慢に鈍っていく。身体が端から凍り付いていた。
覚醒は覚醒でしか破れない。その原則に基づけば、神器の解放すらしていないラクサスは、いかに技量が高くともユーゴの放つ絶対零度の冷気から逃れる術はなかった。
ラクサスの身体に、ユーゴ以上の傷が刻み込まれていき、そして……
「獲った」
動きが鈍った瞬間を見逃すことなく、ユーゴの放った突きがラクサスの心臓を貫いた。
終わった。相手の心臓が完全に停止しているのを刃を通じて確認し、ユーゴは自身の勝利を確信した。
だが直後、振るわれたラクサスの剣が、ユーゴの身体を深々と切り裂いた。
「な、に――?」
驚きに目を見張りながら、ユーゴは一端距離を取る。
「ちっ、浅かったか」
ラクサスは舌打ちする。
「馬鹿な。今、たしかに剣が心臓を貫いたはず」
「ああ、心臓な。たしかに串刺しにされたな」
「……動きが止まっていることも確認した」
「そうだろうとも」
ラクサスは呵々と笑うと、なんでもないような口ぶりで告げた。
「なにせ、半年も前に止まってる。今になって、動き出す道理もないだろうよ」
「……ではなんだ?」
ユーゴの背中が、氷結の冷たさではなく、純粋な恐怖によって冷たくなった。
「貴様は心臓が止まっているにもかかわらず、半年以上も動き続けていたと?」
「そう言うことだな。まあ、俺たち『鬼種』は身体の頑丈さが売りなんでね。心臓を潰されたくらいならしばらくは動けるし戦える。ま、それでも半年保たせるのはなかなかに骨だったがな」
ユーゴは理解した。
目の前の男はもうとっくの昔に死んでいるのだ。少なくとも、自分ならば死んでいるような状態にもかかわらず動いている。心臓を串刺しにしたところで止まるはずがない。
ならば、とユーゴはその首を狙う。
首が胴体から離れれば、さすがに死ぬだろうと。
「――焦ったな?」
突っ込んだユーゴの首を逆に狙うように剣が振るわれた。
剣での防御は間に合わない。ユーゴは氷を操ってギリギリのところで盾を作って防いだが、わずかに首を切り裂かれていた。
流れ出る血の熱さから察する。今、もう少し深ければ首をが飛ばされていた。
そしてそれ以上に驚きなのは、今の攻撃の速度が、これまでよりも遥かに速かったことだ。
見れば、ラクサスは身体を凍り付かせていた氷が、瞬く間に蒸発させられていた。彼の身体が猛烈な熱を帯びているのだ。
「それはなんだ? 神器を使えるのか?」
「ああ、違うぜ。鬱陶しい氷だからな。ちょいと根性で溶かしてみただけだ」
意味がわからなかった。根性? それで身体が熱を帯びると? 剣速が速くなると?
「は、ははっ」
ユーゴはくつくつと喉の奥で笑うと、最高の笑顔で聞いた。
「私はユーゴ・テンペスター。あなたの名前を今一度教えてもらいたい」
「ったく、子供みたいな顔しやがって。ま、人生最後の相手としちゃあ、悪くないがな」
ラクサスから放たれる威圧感が増していく。
まるで消えかけのろうそくが、消える間際にその炎が一瞬だけ大きくなるように。身体に残った力のすべてを燃やしながら、剣の鬼は名乗りをあげた。
「俺の名はラクサス! 黒の世界で魔王の次に強い男だ、覚えておきな!」




