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第九話  さよならは笑顔と共に




 セルンが強くなればローリエもまた強くなり、ローリエが強くなればセルンも強くなる。


 お互いがお互いを高める合う関係性である以上、二人の戦いは終わらないと思われた。


 けれど、想いに限界はなくとも、肉体の方には限界がある。かつて黒の神器が力を注ぎ込み続けた結果、セルンの身体が耐えきれなくなったように、たとえ覚醒位階といえども耐えられる肉体の限界というものは存在する。


 そしてそこに到達するのには、ローリエの方が早かった。


「かはっ!」


 戦いの最中、ローリエが突如として口から血を吐く。


 セルンはその隙を見逃すことなく、雷撃を叩き込んだ。ローリエの身体が吹っ飛び、地面に叩きつけられる。


 彼女はすぐに起きあろうとしたが、途中で何度も咳き込んで血を吐いた。


「……もう少し、もう少しだけがんばって!」


 自分の肉体に向かって叱咤するローリエだったが、身体の不調が戻ることはなかった。


 そもそも人の肉体を奪って限界しているローリエが、肉体強度の比べ合いでセルンに勝てるはずがない。『王皇種ロイヤル』の肉体に加え、セルンは肉体や精神にかかる負荷をトアレと分け合っている。こと持久力において、セルンの右に出るものはいない。


「まだ、まだよ。まだ私は全力をセルンにぶつけられていない!」


 剣を支えにしてなんとか立ち上がるローリエだったが、もはや満身創痍という有様だった。


「お願い、コーラル。もう少しだけ!」


『――ふざけないで』


 ローリエの言葉に、肉体の本来の持ち主であるコーラルが答える。その脳内に直接響き渡る声は、セルンにも聞こえてきていた。


『勝手に人の身体を奪っておいて、もう少し? ふざけないで。そんなの許すはずがないじゃない』


「くっ!」


 ローリエが苦痛に顔を歪ませる。


 セルンとの戦いに意識を傾けていた結果、コーラルの意識を封じ込める力が弱まっていたのだろう。彼女の反撃に合い、ローリエは予想よりも早く限界に達してしまったのだ。


 驚くべきはコーラルの意志力か。一度は完璧にぺしゃんこにしたはずなのに、消えることなく立ち向かってくるなんて。


「……ふ、ふふっ、さすがは私をあの世から呼び戻して見せた勇者候補。セルンと同じでネームレスワンの神器を発現させた在り方は伊達じゃないか。いざというときの底力が違うわね」


『褒めてくれてありがとう。でも身体はこのまま返してもらう』


「いいえ、まだよ!」


 ローリエが力業でコーラルの意識をねじ伏せる。


「まだ、まだ私は戦える! 私は絶対に、私を諦めない!」


 剣を振りかぶり、ローリエはセルンに向かっていく。


 一振りごとに紅蓮の炎が迸り、大地を抉り、空の暗黒を打ち払う。


 けれど、コーラルを押さえ込みながらで、これまで実力が拮抗していたセルンに敵うはずがない。セルンが合わせるように刃を振るえば、ローリエの剣は粉々に砕け散ってしまった。


 さらにそこへセルンは蹴りを叩き込んで、ローリエを再び地面に這い蹲らせた。


 ローリエは土をつかんで立ち上がろうとするが、急激に衰えていった力は、立ち上がる力さえ彼女に与えない。


 まるで、死者は土に還るべきだと言わんばかりに。


「……ここまで、か」


 ローリエはどこか清々しい顔でそうつぶやいて、最後にセルンの顔を見るために顔を上げた。


 セルンは油断なく大鎌を構え、ローリエをじっと見下ろしていた。


 その目が語りかけてくる。もう終わりなのか、と。俺が尊敬した勇者はこの程度で終わってしまうのか、と。


 力をなくしたはずの身体の奥底から、再び力があふれてきた。


「あぁあああああああ――ッ!」


 咆吼をあげて立ち上がったローリエは、右手を天高く掲げた。


「燃えろ! 『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』ぁあああッ!!」


 真紅の輝きが収束し、燃え盛る紅蓮の剣となって再誕する。


 これこそがローリエ・エルジェラントの魂、その在り方。煌々と燃え盛る、なによりも凄烈な紅の聖剣だ。


 今、ここにいる自分は神器によって作られた魂の現身で、この手の剣も再現されたレプリカに過ぎない。


 そんなことはわかっている。わかっているのだ。


 死んだ自分はもうなにも成し遂げられないのだということくらい、最初からわかっていたのだ。


「それでも!」


 それでも諦められなかった。


「この理想は間違いじゃない!」


 誰も彼もが救われる世界、みんなが笑って終われる結末があると信じた。


 だって、綺麗だったから。


 白の世界も、黒の世界も、形は違えど、必死に生きようとする人間の有り様は綺麗だと思ったのだ。大切な仲間を救うために必死になって戦ったのならば、ハッピーエンドで終わらなければ嘘だと思ったのだ。


「私たちは人間よ! 幸せになるために、必死になって走ってるんだから!」


 決められたルールを超えて、残酷な世界に鉄拳を喰らわし、幸福な結末をこの手で掴む。


 それが格好いい勇者ってもので、ああ、それができたらきっと、そのときこそローリエは胸を張ってセルンに言えるはずなのだ。


『どう? あなたの憧れた勇者様は、本当に格好いい勇者様でしょ?』と。


 こんな無様で、なにもできなくて、好きな人を苦しめることしかできない自分じゃなくて、本当に最高の勇者様になれるはずなのだ。


 そうすれば、あの嬉しかった告白に対し、なんら恥じることなく胸を張って。


 はい、とそう答えられるはずだから。


 だから、だから……


「お願い、コーラル! この一瞬だけでいい、私に力を貸して! セルンに格好いいところを見せたいの!」


 その言葉に、ずっとローリエの我が儘に振り回されてきた少女は嘆息した。


 彼女は別にローリエの理想に同調したわけではない。ましてや、これまでの所行を許したわけでもない。


 ただ、一人の女として、大好きな男の子の前では格好つけたいという気持ちだけは理解できたから。


『……本当に、あなたは我が儘な人ね』


 苦笑して、コーラルは初めて自分から望んでローリエに手を貸した。


 その瞬間、ローリエの身体に力が満ち、決定的な終わりが確定された。


 ローリエはコーラルの願いによって招かれたもの。そしてその想いの源泉は、コーラルの自分はローリエであるという錯覚。即ち、ローリエこそが最強であるという思いこみにあった。


 けれど今、コーラルはローリエ・エルジェラントという人間の本質に触れて理解した。彼女は最強の勇者ではなく、ただ、大好きな男の子の前で格好つけたいだけの普通の女の子なのだと。


 最強の幻想は壊れた。ローリエはもう、この神器せかいにはとどまれない。


 それでもよかった。ローリエは今、未来のことなんて考えていない。


 目の前にいる一人の男のことだけを考えて、この瞬間に、すべてを燃やし尽くすと決めたのだ。


「行くわよ、コーラル!」


『ええ、思い残しがないように、全力で行って』


 燃え盛る剣を構え、ローリエは最後の疾走へ向かう。


 それをセルンは迎え撃つ。


「ようやく、ローリエも我らと同じ領域に立ったな」


 どこか上から目線で、トアレはこの戦いが始まってから初めて笑みを浮かべた。


「そうだ。神器だけでは意味がない。人間だけでは意味がない。人と神器が心を重ね合わせてこそ、本当の力になるのだ!」


 互いが互いを拒絶する歪な関係性を、人知れずトアレは哀れんでいた。自分と同じ神器にこそ心を砕くトアレは、それでは悲しいと思っていた。神器として生まれたのならば、最後は自分の勇者と心を通わせて欲しいと、そう思っていたのだ。


 そしてそれは成し遂げられ、今、かつてない力を発揮して向かってくる。


 だから――トアレもまた、自分の勇者と心を通わせ、全身全霊をもってこれを打ち砕く。


「マスター! 行くぞ!」


「ああ、これで終わらせる!」


 立ち上がったローリエに心からの賞賛を送り、敬意をもってセルンは鎌を振りかぶった。


 集う雷光。手向けの光をもって、最愛の勇者を送り出すためにセルンは走った。


「ローリエぇえええええ!!」


「セルン――――ッ!」


 そして雷光と紅蓮は最後の激突を果たし、そして――……。







       ◇◆◇







 ふと、幸せな夢を垣間見た。


 空に星。周りには森。目の前には、パチパチと燃える暖かなたき火。


 その夢の中で、セルンの隣にはローリエの姿があった。彼女はじっと炎を見つめている。たき火の明かりに照らされた彼女の髪が、燃えるように輝いてセルンの目を奪った。


「綺麗だ」


 と、セルンは声に出して言った。


「ありがとう」


 と、ローリエははにかむように笑って頬を赤らめた。


 そのまま、ローリエは夢を見ているようなそんな顔で、セルンに尋ねてきた。


「セルンはさ、この聖戦のあとになにかやりたいことはある?」


 いつか、どこかでされたものに似た質問。


 あのときセルンは、ずっとローリエと一緒にいたいと答えた。


 でもそれはもう許されない答えだった。他でもない、セルンとローリエの二人でそれを選んだ。


「そうだな。まだ考えつかない」


 だからセルンはあのときと同じようにそう答え、そのあとにそう続けた。


「だからさ、しばらくはユーストリア勇者学校に残って、やりたいことを探すつもりだ」


「そっか。セルンにも友達や仲間がたくさんできたものね。きっと、やりたいことも見つかるわよ」


「……ああ」


「私はそれを全力で応援してる。手紙にも書いたと思うけど、私ね、あなたには幸せになって欲しい。誰よりも、なによりも、幸せになって欲しい。私は理想を諦められなくて、色々と言ったけれど、そう思う気持ちも間違いなく本物だから」


「……うん」


 セルンは子供のように頷いて、零れそうになる涙を堪え、立ち上がる。


 それに合わせて、ローリエも立ち上がって向き直ってくれた。


 幼かったあのときとは違って、ローリエの身長はセルンよりも小さかった。肩も細くて、なんだか普通の女の子みたいだ。きっと、お花屋さんとかも似合うに違いない。小さな町で小さなお店を開いて、それで二人で過ごすのだ。


 セルンは愛想がよくないので、きっと裏で在庫の整理とかをしているのだろう。


 ローリエはそんなセルンに怒って、無理矢理店に立たせるかも知れない。そうしたら客足は減るだろうけど、それはそれで面白いかも知れない。


 人と接し、変わらない町並みを眺めて、移りゆく季節を二人で楽しむ。


 ゆっくりと穏やかに時間が過ぎていくはずだ。やがて子供とかもできて、喧嘩しながらもがんばって子育てをして、子供がお嫁に行くときには感動して泣いてしまって、最後はお互いに年を取ったとしわくちゃな顔で笑い会えたらどれだけ幸せだろうか。


 行かないで。ずっと一緒にいて――本当に言いたい言葉が口から出そうになる。


 けれど、セルンはその言葉を必死に飲み込んだ。


 代わりに、それだけを彼女の顔を見て告げた。


「俺、ローリエのことが好きだ」


「うん。私もセルンのことが好きだよ」


 ローリエが、ずっとその言葉を待っていたかのように、そう答えてくれた。


 今度はもう、本当かとは聞かなかった。聞かなくても、その世界一嬉しそうで、幸せそうな顔を見ればすべてが理解できた。


「世界で一番愛しているから、ごめんね。セルンとは一緒にいられないの」


 自分の一世一代の愛の告白は、断られる定めにあるのだと。


「……そっか。俺、振られちゃったか」


「そうよ。私はね、あなたを振っちゃうの」


 そう言って、ローリエはセルンの胸の中に飛び込むと、思い切り抱きしめた。


「これで私はもう思い残すことはないわ。理想は叶わなかったけれど、最後まで私は私を貫き通して、セルンが立派な男になったところも見届けられたんだもの」


 その身体が黄金の輝きに包まれて、足先から溶けて消えていく。


「……ああ、本当に。あなたと出会えたお陰で、私の人生はなんて幸せな人生だったんだろう」


「俺もだよ。ローリエと出会えて、本当に幸せだった」


 セルンもローリエを離したくないと言わんばかりに、ぎゅっと抱きしめる。


 もうそれ以上、言葉はいらなかった。ずいぶんと長い回り道をしたけれど、ようやく二人は想いを通わせることができたのだ。

 

 最後の最後に、ようやく。


 二人はどちらからともなく見つめ合うと、自分にできる最高の笑顔を浮かべて、そっと唇を重ね合わせた。


 触れるだけの優しい口づけ。


「ーーえへへ、セルンとキスしちゃった」


 そんな照れくさそうな言葉を最後に。

 セルンが愛した勇者は、今度こそ光となって旅立ったのだった。








 泡沫の夢が終わる。


 気が付けば、セルンは気を失ったローリエを抱きかかえていた。


 いや、もう彼女はいない。セルンの放った光の中で旅立った。コーラルが目覚めても、もう神器の解放はできないだろう。


「……マスター」


 神器を解除したトアレが、主に寄り添い声をかける。


「なんていったらいいかわからないが、その、泣いてもよいのだぞ?」


「大丈夫だ。今度はきちんとお別れできた。笑顔で見送ることができたんだ」


 だから、悲しくなんてない。


「……ローリエは最後まで理想を貫いた。格好いい、勇者だったよな?」


「そうだな。ああ、格好よかったぞ。勇者とはかくあるべしだな」


「うん。本当に、本当に……最高の、勇者だった……」


 セルンはそっと空を見上げた。


 黒の世界の空は、二人の戦いによって闇が晴れ、青い空が見えていた。大きな太陽が、すべてを照らすべくキラキラと輝いている。


 だから、そう、きっと眩しかったのだろう。

 太陽の輝きが、きっと、すごく眩しかったのだ。


 思わず涙が出てしまうくらいに、セルンの大好きな人が旅立った空は、とても綺麗な青空だった。



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