第十話 最後の勇者
「セルン・ベルクルト」
ローリエとの戦いに勝利したあと、セルンの名前を呼ぶ声があった。
戦場となった場所から離れた丘の上に、三眼の魔王代行が佇んでいる。傍らに魔本を侍らせた彼女は、口を歪めてせせら嗤う。
「愛する人をその手で殺した感想はどう? 嬉しい? ねえ、嬉しいのかしら?」
「貴様!」
ゼスティの言葉に、トアレが激昂する。
「今の戦いを見ていて、よくそのような言葉が吐けたな!」
「だけど事実でしょう? あなたは愛する人を殺したの。一緒に過ごせる未来をせっかく提示してあげたのに、それを無視して殺した。これを嗤わずになにを嗤うというの?」
「…………!」
トアレは怒りのあまり、声も出ないようだった。
セルンは自分の代わりに怒ってくれた相棒の頭に手を置いて宥めると、ゼスティをにらみ返した。
「嗤ってくれて結構だよ、ゼスティ。最初から、俺とローリエが一緒に過ごせる未来はなかったんだよ。そのことが、きっとお前にはわからないんだろうな」
「わからないわ。わかるはずがない」
ゼスティは首を横に振って理解の拒絶を示す。
「……けれど、約束だったものね。最後にもう一度だけ聞いてあげる」
そのまま、彼女は言った。
「セルン。わたしの仲間になりなさい。もしかしたら、まだその女の中にローリエの魂が残っているかも知れないわよ」
その誘いに、セルンはトアレを見た。
以前、即答で彼女の誘いを断れなかったのは、ローリエのこともあったが、彼女の場合はどう足掻いても一緒にはいられないとわかっていた。だからその誘いに心揺れ動いてしまったのは、他でもない、トアレの存在があったからだ。
セルンにとっての唯一無二の相棒だ。セルンを仲間に誘うということは、トアレを仲間に誘うということに等しい。
そしてトアレにとって、神器を聖戦後にまで残せる意味は大きいものだった。
「トアレ。どうする?」
だから、セルンは彼女に聞いた。
「マスター。そんなもの、聞くまでもないだろう?」
トアレは笑みを返した。
「我も彼女のようにありたい。ローリエのように笑いながら、笑顔のマスターに見送られたい」
「……そうか」
ならば、答えはひとつしかない。
セルンはゼスティに向き直ると、はっきりと告げた。
「断る。俺は、お前たちの仲間にはならない」
「……本当に?」
予想外だったのは、ゼスティが食い下がって来たことだった。
「本当に、仲間になる気はないの? せめて、一度この世界で暮らす人を見たらどう? 気持ちが変わるかも知れないわ」
「それも断る。俺はこっちの世界の人の暮らしには興味がない」
「なんで? あなたの愛したローリエは、あれだけこの世界のことを気にしていたのに、あなたは欠片もこの世界のことが気にならないの?」
ゼスティは両手を広げ、暗闇に染まった天を仰いだ。
「見なさい。あなたたちが切り開いた青空は、もう闇に閉ざされてしまってるわ。この空の所為で満足に作物も育たない。大地は枯れ果て、みんなは飢えに苦しんでる。モンスターだってたくさんいるわ。五つの大陸のうちの四つは滅び去って、国ももう二つしか残っていない」
「そうか」
「本当よ。見てもらえれば、どれだけみんなが苦しんでるかがわかるわ! だから!」
「もう一度言うぞ。俺は、そんなものに興味はない」
ゼスティの言葉は正しいのだろう。きっと、こっちの世界の人々は本当に苦しんでいるはずだ。
けれど、そんなものは見たくない。見れば心を寄せてしまうのは間違いなくて、きっと迷いが生まれてしまう。
それなら、最初から見なければいい。目を瞑って、耳を塞いで、口を噤んで立ち去ろう。
「俺はローリエとは違う。この黒の世界も救いたいだなんて思わない」
セルンの決定的な一言に、ゼスティはついに口を閉ざした。
「……そう」
ゼスティは心底失望した顔でセルンを見る。
「そう。そう。そうなのね。最初から、百人目の魔王候補なんていなかった。あなたなんかに期待したわたしが馬鹿だったのね!」
「そうだよ、ゼスティ。お前が馬鹿だったんだ」
セルンは彼女の赫怒の瞳をにらみ返す。その眼差しにも、大きな怒りが込められていた。
「最初に血と暴力で話を進めようとしたのはそっちだろう? レイリアが一体、何人の人を殺したと思ってる?」
「それはあなたたちがいつまで経っても勇者を選ばないからでしょ! わたしたちには時間がなかった。時間がなかったの。だから、自覚させないといけなかった。焦らせないといけなかった。そう思って、だからレイリアは嫌だったのに――」
「嫌ならやらなければよかったんだ。お菓子を買いに来たそのときに、自分の世界のみんなが苦しんでるからどうにかしたいって相談してくれればよかったんだ」
「そんなの、そんなの聞いてくれるはずがないじゃない!」
「そうだ、聞かなかったかも知れない。でも、聞いたかも知れない」
あのときはまだ、今回の聖戦において黒の陣営は白の世界になんら被害を与えていなかった。決して分かり合えない敵だとしても、それでもあのとき、彼女たちにはもっと他の選択肢があったのだ。
「それなのに、お前たちは血と暴力から始めた。始めたんだ。あの時点でもう、話し合いでなにかが変わることはなくなったんだよ」
「それは……だって……」
「人の幸せが許せないんだろう?」
セルンはその悪徳を糾弾する。
「人の不幸な様を見るのが愉しいんだろう?」
昔がどうだったかは関係ない。少なくとも今のゼスティは、許されない悪を胸に抱えている。
「怒り。僻み。嫉妬。理由は知らない。知りたくもない。けど、お前は俺たちの戦いを嗤った。お前たちからすればおままごとみたいなものだったかも知れないけど、それでも必死に戦っていた人たちを嗤ったんだ」
「…………」
「そんな奴とは組めない。ゼスティ、お前のキスなんてお断りだ」
もはや交渉の余地なんてない。セルンは勇者になるために、今の今まで戦ってきたのだから。
そして今、セルンは自分が目指すべき勇者の在り方を見定めた。
……ローリエはもしかしたら悲しむかも知れないけれど、それでもセルンは、これこそが彼女への最大の手向けなのだと信じている。
「俺は勇者になる。これを人類最後の聖戦にするために、お前たちの世界を滅ぼすと決めた」
セルンは右手の聖痕を掲げて宣言する。
その刹那、聖痕がまばゆい純白の輝きを放ち、その形を変えていく。刻印が手首のあたりまで伸び、さながら純白の翼のような形に変化した。
これこそが本当の聖痕。勇者に聖別された者にだけ与えられる、唯一無二の勇者の証。
「俺の名前はセルン・ベルクルト。最後の勇者だ!」
「――ふ、ふふふっ」
セルンの宣言を聞き、ゼスティが嗤う。
膨れあがる怒り。怒り。怒り。それは燃え盛る劫火となって、ゼスティの身体から噴き上がる。
「いいわ。受けて立つ。あなたがわたしたちの世界を滅ぼすというのなら、魔王様は絶対にお前を許さない。怒りをこめて殺してやる。その屍を踏みつけて、満面の笑みで笑ってやる!」
人の幸せが許せない? ああ、当たり前だろう許せるものか。私たちはこんなにも苦しんでいるのに、あなたたち白の民だけが繁栄を謳歌している。その事実の前に、嫉妬と怒りでどうにかなってしまいそうだ。
人の不幸が愉しい? ああ、当たり前だろう愉しいに決まっている。お前たちが幸福から地獄に堕ち、絶望する様だけが心を満たしてくれる。この怒りに染まった世界に、わずかな安らぎを与えてくれるのだ。
「ねえ、そうでしょ? お兄様。お兄様もそう思うわよね?」
ゼスティは瞳を閉じて、代わりに額の第三眼を見開く
膨れ上がる嚇怒の気配。セルンはその瞳の奥に輝く、黒い聖痕を見た。
セルンのそれと対を成す、黒き翼の聖痕。
「ああ、そういうことか。魔王は、お前の中にいるんだな」
あの瞳はゼスティのものではない。別の誰か、彼女の中に潜む憤怒の化身のものだったのだ。
そして勇者に聖別されたセルンだからこそわかった。それが此度の魔王であるのだと。
ずっと、魔王はゼスティを通じてセルンを見ていたのだ。
その戦いを、すべて。
「ええ、ええ、そうね。お兄様。やっぱり、お兄様もわたしと一緒なのね」
爛々と輝く瞳に向かってゼスティは何度も頷くと、閉じた瞳からはらはらと血の涙を流す。
「怒っているのね、お兄様。許せないのね、魔王様。ならば、そう、もうするべきことはひとつしかない」
「そうだな。もう、するべきことはひとつだけだ」
お互いを認識し、にらみ合う勇者と魔王。
そのとき上空に、透明な巨大な輪が浮かび上がった。
それは端からゆっくりと、白と黒が入り交じった光に染まっていく。
同じ輪は白の世界にも現れていることだろう。あの輪のすべてが光に染まったとき、戦いの舞台である異界への門が開くのだ。
決戦はまもなく始まり、もはや避けられない。
勇者は魔王を見上げ、決意をもって口を開いた。
魔王は勇者を見下ろし、怒りをもって口を開いた。
そして同時に、同じ言葉を、誓うように口にした。
「「――聖戦だ!!」」
世界の命運をかけた最後の決戦が、始まろうとしていた。
六章はこの話で終了となります。
ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございます。
よろしければ、感想・評価お待ちしております。




