第六話 すれ違う願い
廃墟の街を彷徨い続けたゼノとエルジェラントは、セルンたち同様ようやく生きた人間に出会うことができた。
しかし残念ながら、それは街の生き残りというわけではなかった。
廃墟のあちらこちらから顔をのぞかせるたは、全員が十五歳になるかならないかというくらいの子供ばかりだった。皆、一様に濁った瞳をしており、それぞれ異なる得物を携えている。
「……くそが」
見慣れすぎた子供たちの姿に、ゼノは殺意をこめてその名を叫んだ。
「テメェか、バルザック!」
「おいおい、ゼノ。義理とはいえ父親に対し、呼び捨てはないんじゃないかね?」
子供たちに守られるようにして、初老の男が顔を見せる。前フランキシス男爵、ゼノにとっては憎いことこの上ない男だった。
「それに私は君を育てた、言わば育ての親でもある。おお、まさに名実共に君の父親というわけだ。吐き気がするな」
「奇遇だな。俺もだよ」
ゼノは神器を構えると、バルザックの脳天に矢の矛先を向ける。
だがそれを察知して、一人の少年がバルザックの前に立った。
「おい、そこをどけ! そいつは守る価値なんかねえ男だ!」
「…………」
少年はゼノの言葉に、無感動な瞳を向けた。生きることも死ぬこともなんとも思っていない、無機質な顔だった。
「無駄だよ、ゼノ。わかるだろう?」
バルザックは子供の頭を優しく撫でると、他の子供たちも自分の周りに招き寄せる。
「私の調整は完璧だ。貴様のような極一部の例外を除き、私に逆らおうなんて考えない」
「ぐっ……!」
ゼノは歯がみしながらも、矢を射れないでいた。
ここで矢を射れば、間違いなくバルザックは殺せる。しかし子供たちも何人か巻き添えになるだろう。かといって接近戦に訴えようにも、子供たちはバルザックの肉壁になって守るだろう。
それをゼノは許容できない。彼らのような自分と同じ運命にある子供を救うために、ゼノは今日まで生きてきたのだ。殺せるはずがなかった。
「ふふふっ、射れないだろう? 貴様の弱点はわかっている」
バルザックは余裕の笑みで手を後ろに組むと、子供たちを防具にしながら近付いていく。
ゼノではなく、事態の突然の変移に戸惑っているエルジェラントに向かって。
「そこで大人しくしているといい。この私がわざわざこんな場所まで足を運んだのは、彼女に会うためなのだからね。なぁ、はからずして私の最高傑作になった失敗作よ」
「私?」
エルジェラントは警戒しつつも、バルザックに視線を向ける。
「……その嫌な声、どこかで聞いた覚えがある。たしか、そう、あれは……」
「そう、君がいた実験場だ。あれを指揮していたのは私だからね」
「…………」
エルジェラントの瞳に敵意と、それ以上の恐怖が混ざる。克服したと思っていたあの頃のトラウマが蘇る。
「私が怖いかね? 最強の神器を手に入れても、君はやはりあそこにいた失敗作のままらしい」
「来ないで!」
自分に近付いてくるバルザックに、エルジェラントは大声をあげて右手を突きつけた。
「そ、それ以上来たら、神器を解放する! するから!」
「それは困る。あの怪物に出てこられては、私も子供たちも皆殺しにされてしまうからね」
バルザックはある程度の距離で足を止めると、じぃっと舐めるようにエルジェラントの頭の先からつま先までを見つめる。
「さて、君への用件だが、他でもない。私と一緒に来る気はないかね?」
「一緒に?」
「そうだ。私はね、あそこにいるゼノや怪物をつれてきたセルンのことは憎たらしく思っているが、君には隔意を持っているわけではないのだ。むしろ、私の研究は正しかったのだと証明してくれた君には感謝しているくらいさ」
気持ちが悪いくらいの猫撫で声で、バルザックはエルジェラントに誘いをかける。
「どうだい? 私と一緒に来れば、君に多くのものを与えられると思うのだが」
「多くの、もの?」
「エルジェラント! 話を聞くな!」
ゼノが弓を引き絞りつつ、バルザックと会話するエルジェラントに制止を呼びかける。
「そいつと話せば話すだけ洗脳されるぞ! それはそういう詐欺師なんだ!」
「と、ゼノの奴は吼えているが、なぁに、少しくらいなら問題ないさ。少しくらいならね」
「……お前と一緒になんて行かない」
エルジェラントは後退ると、拒絶する姿勢を見せる。
「お前が私にした酷いことを、私はまだ忘れてない。ど、どうせまた私で実験するつもりでしょ?」
「否定はしない。私の人生はそのためだけにある。誰よりも、何よりも、強力な子供を作る! それが私の夢だからね!」
「……最低」
「そうだろう。そうだろうとも。私もこれが褒められたものではないことはわかっているよ。多くを不幸にしていることだと。だが君だけは別だ。私と一緒に来れば、君は失ったものを取り戻せる」
「失った、もの?」
「自分の本当の名前を取り戻したくはないかね?」
「っ!? わかるの!?」
「もちろんだとも」
バルザックは柔和な笑みを浮かべると、懐からヒモでまとめられた紙束を見せる。
「これは君の研究書だ。ここには君に施した施術の一切が載っている。当然、君を引き取ったときの情報もね」
「私の、過去」
エルジェラントにとって、もう絶対に取り戻せないと思っていたもの。ローリエ・エルジェラントになってしまう前の、本当の自分。
欲しい。失ってしまった自分を取り戻したい。
その思いが、エルジェラントを一歩前に踏み出させた。
「そうだ。欲しかろう? ここには君のすべてが詰まっている。そして、私が君にあげられるものはこれだけではないよ」
これ見よがしに研究書を見せびらかしたあとで懐に戻すと、バルザックはとんとんと右手の甲を叩いた。
「君の発現したローリエ・エルジェラントになるという神器、それは君の魂を食いつぶす悪魔の神器だ。私ならそれを、本当の意味で君のためのものに変えられる。ローリエの意志を殺し、その力だけを君の物にすることだって可能さ」
「それは……」
「そう、覚醒だ。私なら君を覚醒まで導いてあげられる。いや、これは君の過去を知る私にしかできないことだ」
それはエルジェラントにとって、なによりも甘い誘い文句だった。
「エルジェラント! 誘いになんて乗るなよ!」
ゼノが叫ぶ。それを聞いて、エルジェラントは一歩下がる。
そうだ。バルザックのことは信用できない。きっとまた自分のことを利用するだけ利用して捨てるつもりなのだ。あの研究書だって、本物かわからない。彼にとって、自分などたくさんいた実験動物の一体でしかない。覚えているはずが――。
「コーラル」
と、そのときバルザックは誰かの名前を口にした。
瞬間、エルジェラントの胸から込み上げてくるものがあった。それは熱い涙となって、瞳からあふれ出す。
「コー、ラル……それ、その名前……わ、私の……」
「そう、君の本当の名前さ。コーラル」
コーラル。コーラル。コーラル!
ああ、なんて懐かしい響きなのだろう。先程までは消えたように思い出せなかったのに、それが今は自分の名前だと認識できる。
「さあ、コーラル。私と一緒に来なさい。私と共に、偽物の勇者を討ち果たし、本物の君を取り戻そう」
「本物の、私……」
エルジェラント――否、コーラルは甘い蜜に吸い寄せられる蝶のように、ふらふらとバルザックの許へと吸い寄せられていく。
「エルジェラント!」
誰かが自分のことをそう呼ぶ。けれど、もう反応する意味がない。それはもう、コーラルにとってまったく関係のない名前なのだ。
考えてみれば、今、コーラルが抱えているものはすべて、ローリエ・エルジェラントとして手に入れたものに過ぎない。勇者候補としての立場も、快適なあの部屋も、すべてはローリエ・エルジェラントの神器と力に与えられたものに過ぎない。
ならば、捨て去ることに抵抗はない。
最初から、もうあそこには戻れないという予感もあったのだ。
……それでも、最後にコーラルは足を止めて迷う。
勇者候補としての立場にはまったく未練はないけれど。
それでも自分のことを友人だと言ってくれた女の子と、一方的にだが自分の仲間だと思っている男の子のことが気がかりだった。
「どうした? コーラル。本当の自分を取り戻したくはないのかね?」
「……取り戻し、たい。けど、私、は……」
「……そうか」
最後の最後で差し出した手を拒んだコーラルに、バルザックは素直に引き下がる。
「残念だ。どうやら心残りがあるらしい」
バルザックは横を振り向くと、忌々しそうに顔をしかめる。
見れば、そちらから一際小さな子供がやってくるところだった。服の上着に血がついており、手にはナイフを握っている。
「男爵様。すみません、し損じました」
「よい」
バルザックは一言で許すと、即座に撤退行動に移った。
「コーラル。私は一度ここでさらよならさせてもらうよ。だが安心して欲しい。またすぐに迎えにくるからね」
去り際に、バルザックはコーラルを見た。その瞳には、底抜けに暗い情熱が燃えていた。
「君の中の怪物は、きっと君を喰い殺すだろう。それをきっと、ハスターが証明してくれる。断言しよう。君は必ず生き残る。否、あれによって生き残らされるのだ」
憎悪の声も高らかに。セルンへのものよりも、ゼノのものよりも、遥かに強大な呪いを、バルザック・フランキシスはコーラルの中の怪物に向けていた。
「待っていろ、ローリエ・エルジェラント! 貴様は私が殺す! どんな手を使ってでも殺してやるぞ、この勇者めが!」
そしてその声を聞き、周囲のモンスターたちが集まってくる。いや、声ではなく、込められた呪詛にこそ反応を示したのだろう。
「くそっ、逃がすか!」
ゼノが去りゆくバルザックを追いかけようとするが、数名の子供が行く手を阻む。結局、ゼノがモンスターを倒し、子供たちを傷つけないよう無力化しているうちに、バルザックの姿は見えなくなってしまった。
「ゼノ! エルジェラント!」
「エルちゃん、大丈夫!?」
バルザックと入れ替わるように、別行動していたセルンたちがやってくる。
リコリスはコーラルの許へやってくると、心配そうな顔で見てくる。
そんな優しい彼女に、コーラルは言った。
「エルちゃんじゃない。私、コーラル」
「コーラルちゃん?」
「そう。それが私の本当の名前」
コーラルは微笑む。それは自分を取り戻したものだけが浮かべられる、自信の込められた笑みだった。
「ゼノ。なにがあったんだ?」
コーラルの変化を横目で見ながら、セルンは怒りの形相のゼノに尋ねる。
「バルザックの野郎が現れやがった。しかも、エルジェ……コーラルを仲間に誘ってきやがった」
「コーラル……それがエルジェラントの本当の名前なのか」
「そうだよ、セルンくん」
セルンのつぶやきに、コーラルが答える。
これまでは目と目を合わせることすら避けていたのに、今の彼女はまっすぐセルンを見て、普通に話しかけてきた。
「でも断った。君とリコちゃんのことを思い出したから」
そう言われても、セルンは意味がわからなかった。リコリスの存在が引き留める理由になるのはわかるが、どうしてそこで自分もなんだろうか?
「あいつ、一緒に私の中のローリエを殺そうって言ってきたの」
「ローリエを?」
「そう。だから気にはなった。けど、それは私たちの手でやらないといけないことだと思って。ね? 君もそう思うでしょ? セルンくん」
「どういうことだ? なにが言いたい?」
「なにがって、ローリエを殺すのは、ローリエのことを本当の意味で恨んでいる私たちがやるべきことだと思っただけ。私とセルンくんの二人でね。あいつは私の仲間じゃない」
コーラルはぎゅっとセルンの手を取ると、頬を染め、仲間に向ける笑顔を見せた。
「私のことを本当の意味で理解してくれるのは、セルンくんだけ。ね? セルンくんは、私の中のローリエを殺すのに協力してくれるよね?」
そこでようやく、セルンはコーラルの勘違いに気が付いた。
どうやら彼女は、セルンがローリエのことを恨んでいると勘違いしているらしい。自分がそうだから、セルンもそうだと思い違いをしている。ユーゴとの決闘での愛の叫びも、きっと聞いてはいなかったのだろう。
「……コーラル。よく聞いてくれ」
セルンはコーラルの勘違いを正すべく、その肩に置いて口を開いた。
「俺は――」
だがそのとき、天空から突如として世界を軋ませるような悲鳴があがった。
その場の全員が耳を押さえ、空を見仰ぐ。
見れば、これまで不動だったハスターがゆっくりと動き出そうとしていた。触手の至るところに眼球が現れると、その眼差しが一斉に眼下のセルンたちをにらみ据える。
――ついに、見つかってしまった。
「トアレ! エルジェラント! 用意しろ!」
「応!」
「え?」
咄嗟にセルンはそう呼びかけ、トアレは威勢よく返事をし、コーラルはどこか呆けたような返答をする。
しかし、その唇は自然と、言われるがまま戦闘準備に移っていた。
「「神器解放――」」
セルンとコーラルの二人は同時に神器を解放する。
「――『勇者殺し』!」
「――『機械仕掛けの勇者』!」
セルンの右手に雷光が集い、巨大な鎌となって現れる。
コーラルの口元に不適な笑みが刻まれると、その手に紅蓮の剣が握られる。
「さて、セルン。久しぶりに一緒に戦えるわね」
「ああ」
ローリエとなったコーラルのその言葉に、セルンは半ば反射的に頷き返すと、ハスターにその雷光の切っ先を向ける。
「ハスター退治だ」




