第七話 黒の胎動
「セルン、揃えて!」
ローリエは開幕一番、炎の剣を灼熱させ、力を溜め始める。
「あいつの尻に、大きいのを一発ぶちかますわよ!」
「どこか尻なんだよ」
勝手なことを言い始めたローリエに文句をつぶやきつつも、セルンも大鎌に纏わせた雷光を強めていく。
ハスターはあの巨体だ。狙えるのなら、威力の高い攻撃を積極的に撃っていくべきである。勢いで言っているように見えて、ローリエの判断は至極合理的だった。
「行くわよ! せーの!」
二人は同時に神器を振りかぶり、力を解放させた。
紅蓮と雷光が一条の奔流となって、降り注ぐモンスターを消し飛ばし、ハスターの表面で蠢く触手を焼き尽くして、その肉体の二割ほどを削りとっていった。
ハスターは全身の口から悲鳴の代わりに轟風を吐き出し、その風がキーキーと、精神の未熟なものであればたちまち昏倒してしまう絶叫を奏でる。
セルンたちには通用しなかったが、その絶叫を聞いて、どこからともなく無数のモンスターが飛来する。それらはハスターを守るように、一斉にセルンたちに襲いかかった。
「させるか!」
モンスターをゼノが迎撃する。放たれた風の矢が、敵を数体まとめて貫いていく。
それでも数が数だ。いくらゼノであっても、すべての敵を仕留めることができず、数体のモンスターの接近を許してしまう。
「やぁあああああ!!」
そこへすかさず、リコリスが拳を握って突っ込んでいく。急所を狙って的確に繰り出された拳打が、次々にモンスターの命を狩り獲っていく。
「セルンさん、他のモンスターは私たちに任せて!」
「そうだ。二人はハスターに集中してくれ!」
「頼む!」
「よろしくね!」
ハスター以外のモンスターを二人に任せ、セルンとローリエはハスターに向かっていった。
先程の一撃で肉体を損傷していたハスターだったが、その部分はすでに再生が始まっていた。傷口から触手が生えると、近くを飛んでいたモンスターを捕獲、吸収して新しい肉体に変えている。
ハスターから生まれた眷族級モンスターは、ハスターの肉体の一部なのだろう。ああやって、再生に利用することもできるというわけだ。
「再生するなら倒し方は簡単ね。再生する前に全部燃やし尽くしてしまえばいい」
ローリエは簡単な事であるかのように言うが、それは至難の業だった。
二人が協力して放った一撃で、二割ほどしか吹き飛ばせなかったのだ。ハスターの肉体を一欠片も残すことなく消し飛ばすには、単純計算で先程の五倍の威力が必要だ。
そして五倍の威力であれば倒しきれるかというとそうではない。
セルンは確認の意味も込めて、雷撃の矢をいくつかハスターめがけて撃つ。
それらは鋭い弧を描いてハスターに向かっていくが、当たる直前で風によって掻き消されてしまった。
ハスターの身を守る風の鎧だ。攻撃を受け、その効力がより高まっている。あれでは遠距離攻撃に訴えても、直撃前にかなり威力を散らされてしまうだろう。あれを突破し、なおかつハスターを消し飛ばすには、先程の十倍の威力でも足りるかどうかというところだ。
かつての戦いでは、ローリエはその高火力を単身で出してハスターを撃破した。
ローリエの神器『機械仕掛けの神』は炎の剣であり、その破壊力はすべての神器の中でも間違いなく最強であった。
「ローリエ。今の状態で、どれだけの火力を出せるんだ?」
隣を走るローリエに尋ねると、返答の代わりに笑顔が返ってくる。
「なんだ?」
「いやぁ、やっとセルンが普通に名前で呼んでくれたと思って」
言われてセルンも気付く。無意識にそう呼んでしまっていた。
「質問に答えるわね。さっきの三倍くらいまでなら火力を出せるけど、それ以上は無理ね。この剣はあくまでも再現された神器に過ぎないから。本物に比べれば、出せる火力は十分の一以下ね」
「十分の一か」
それだけ出せるだけでも凄まじいが、ハスターを倒すには足らない。
「セルンこそ、その神器でハスターを倒せるの?」
「俺も同じだよ。さっきの三倍くらいまでなら火力は出せる」
「つまり二人で力を合わせれば、やれなくはないわけか。ただ、あの風の守りの外側から吹き飛ばせるほどじゃないわね」
「一瞬でもいい。風を止める。それしかないだろ」
「そうなるわね」
しかし、ハスターがそれをやすやすと許すわけがない。
傷の大部分を修復したハスターが、いよいよ怒りも露わに動き出す。
それまでハスターを守るように流動していた風の流れが変わる。二つの風がぶつかり合い、鋭い真空の刃と化して二人を狙う。
ゼノの矢と同じで視認できない攻撃だったが、ハスターの風は邪悪に過ぎた。二人には刃が毒々しい色を放って近付いてきているようにすら見えていた。その攻撃を軽々と回避する。
代わりに十軒以上の家々が粉微塵になって消し飛んでいく。すさまじい破壊力だ。
ハスターの攻撃は風の刃だけではない。ハスターは触手を伸ばしてきた。疾く、鋭く、しかしまっすぐ飛んでくる風の刃と違って、それらは無限大に伸び、避けても避けても追いすがってきた。
さらにハスターはその巨体をゆるやかに回転し始めると、大気の流れを操り、巨大な竜巻を巻き起こした。ゆっくりとながら、すべてを消し飛ばして進む風の渦に、セルンたちの動きは束縛される。そこをすかさず、風の刃が断頭台のギロチンのように落ちてくる。
普通のモンスターとの戦いとは違う。まさに災厄と正面切って戦っているかのよう。攻撃を凌いでいるうちに、ローリエとも距離が開いてしまった。
「わかっていたが、強いな」
『あの風を止めるなど無理ではないか? あれは風が渦巻くひとつの世界、その具現だ。倒すことよりも難しい』
「だがやらないといけない」
トアレの弱気を一蹴し、セルンは鎌を構える。
「あれを倒さなければ、大勢の人が死ぬことになる。それに、これがきっと最後のチャンスだ」
公国までにかけた時間。今に至るまで、約一週間が経過している。
「ここで覚醒位階に行けなければ、俺は勇者にはなれない。この戦いは多くの人を救う戦いであると同時に、俺にとって勇者候補としての最大の正念場だ」
『マスター……』
「倒せるかどうかじゃない。倒すんだ。それでこそ、勇者になる資格を手に入れられる」
剥きだしの闘争心を胸に、セルンは風を切り裂いてハスターに向かっていく。
伸ばされた触手や、嵐の最中に生み出されたモンスターを足場にすると、上空にたたずむその巨体へと駆け上がっていき、一閃。直接風の鎧に向かって、刃を突き立てる。
雷光と暴風がぶつかり合い、大気が荒れ狂う。
風は雷光を寄せ付けまいと、かまいたちとなってセルンの身体に無数の切り傷を作っていく。だがセルンは怯むことなく、鎌の切っ先を押し込んでいく。
「らぁああああああああ!!」
裂帛の気合いと共に風を切り裂いて、セルンはその内側に稲妻を迸らせた。ハスターの体表が沸騰し、泡が弾けるように肉が消し飛んでいく。
与えられた損傷はそれだけ。セルンは押し寄せる風に押し返され、地上に叩きつけられる。
『マスター! 大丈夫か!?』
上空からの落下のダメージに血を吐くセルンだったが、すぐに飛び起きると、ぎらついた目でハスターを見上げた。
「行ける。あの風の守り、突破できないほどじゃない」
今もセルンと入れ替わるようにして、ローリエが攻撃を仕掛けていた。風の鎧を突き破り、内側で爆発した炎がハスターの身体を黒炭に変える。
セルンの一撃も、ローリエの一撃も、与えられたダメージは極小規模だったが、それによって二人は手応えを感じていた。
旧支配者、風のハスター。
覚醒に至れば、間違いなく倒せる、と。
セルンとローリエは街を縦横無尽に駆けめぐり、攻撃の隙を見出しては果敢に攻撃を仕掛けていく。戦いの余波で街は原型すらなくなり始めていたが、生存者はいないと探索で納得していた二人は気にすることなく戦いを続ける。
ハスターもここに至って、ようやく敵が自分を滅ぼしに来たのだと理解したらしい。
溜め込んでいた力を風に変え、その巨大を難攻不落の天空城に変えてすべてを滅ぼしにかかる。嵐が、竜巻が、風の流れそのものが死の奔流となって、矮小な人間たちを消しとばさんとする。
「セルン! 大きいのが来るわよ!」
戦いながら、ローリエが叫ぶ。
「わかってる! そっちこそちゃんと避けろよ!」
セルンも戦いながら、ローリエに向かって叫んだ。
直後、凝縮された風の弾丸が二人めがけて放たれた。それはまさに天から放たれた神の鉄槌。街の半分以上を粉砕し、最初からなにもなかったかのように塵も残さず消し飛ばす。
だがセルンもローリエも倒れていない。
相手の攻撃の余波を利用して天高く飛翔すると、左右から同時にハスターに斬り込んだ。雷光と紅蓮がハスターの風に混ざり込み、その巨体を蒸し焼きにする。
それでも――ハスターの風は止まらない。
「ぐぁっ!?」
「きゃっ!」
ハスターは二人を吹き飛ばすと、眷族たちをすべて吸収する。そうしてすべてを風に変換すると、天高く上昇していく。
「なんだあれは?」
その動きは、かつての戦いでセルンは見たことがなかった。ただ、警報だけが頭の中で鳴り響く。
ハスターは二人の攻撃が届かない遥か上空まで逃れると、そこから先程よりは小規模の、しかし人間を消し飛ばすにはあまりある威力の風の弾丸を雨のように落とし始めた。安全圏から、一方的な攻撃を行うつもりなのだ。
「舐めてくれるじゃない」
ローリエは額に青筋を浮かべると、神器を構える。紅の輝きが満ち、小さな太陽が地上に現れた。
それはローリエの向けた剣の切っ先に沿って、指向性をもった熱線となって放たれた。それは上空のハスターすらも貫く、超高火力のレーザービームであった。
「なにが三倍だ。さっきの五倍近く威力があるだろ、それ」
ローリエはやはりローリエであった。感情によって、その力を何倍にも高めていく。
なんとも頼もしいことだ。と、そこまで思い、セルンは少しだけ動きを止めた。戦いに集中し、余分な思考を削れば削るほどに、今のローリエが自分の知っているローリエだとしか思えなくなる。
かつて子供だった自分が見上げていた大きな背中は健在で、しかし今は少しだけ小さく見えた。
それはセルンがそれだけ大きくなったからなのか、それとも……。
「どちらにせよ」
答えは出ない。しかし、今やるべきことはどちらでも変わらない。
彼女が本物であっても、偽物であっても、セルンは彼女には負けられないのだ。このまますべてをローリエに任せて見とれるなんてできはしない。
「ハスターを倒すのは、この俺だ」
決意をもって、一歩、踏み出す。
かつてローリエの後ろで彼女を見つめていた子供ではなく、彼女の隣で戦う勇者になるために。
セルンは武器を構える。
――だから、トアレは覚悟を決めなければと思うのだ。
勇ましい主の傍らで、トアレは寂しそうに微笑んだ。
「やはりな。我ではマスターの隣はふさわしくない」
戦いの中、トアレも必死になってセルンを援護しようとした。けれど、できることは極僅か。ほとんどがセルン一人で戦わせている。いや、逆に支えられ、手を引っ張られる始末だ。
相手が強く、セルンでも簡単には倒せない強敵であればあるほど、トアレは足を引っ張ってしまう。
つまるところ弱いのだ。力も、そして意志も。
自分が負けることなど欠片も考えていないセルンとは違って、トアレは敗北の可能性を頭に過ぎらせている。さらには相手の事情といった、余計なことにまで気を回してしまうこともあった。
武器なのに、神器なのに、心があるからこそ、主のためだけに全力を振り絞れない。
最強で最高の主に対し、自分はふさわしい神器ではない。
「けれど、我にはまだできることが残っている。マスターのために、我は最後に成すべきことをしよう」
「わかりました。あなたは最後に、マスターの神器として正しい選択肢を選べたのですね」
誰かが耳元で囁く。
気が付けば、トアレは灰色の荒野に立っていた。
キラキラと、虹の欠片が光り輝くセルンの心の風景。
目の前には、自分とよく似た黒い少女。
トアレは彼女に言った。
「ああ。頼む、もう一人の我よ。マスターの願いを叶えてやってくれ」
「当然です、もう一人の私。私はそのためだけに生まれ、ここに在るもの」
二人は手のひらを重ね合わせると、その立場を交代する。
「さらばだ、マスター。あなたを殺してしまう前に、我は去ろう」
「代わりに私が勇者賛歌を謳いましょう。マスターの勝利のために、あまねくすべてを滅ぼしましょう」
声は静かに、けれど狂おしいほどに熱く。
セルン・ベルクルトの中に密かに存在していた、『黒』の神器が動き始める。
「我が名は――」
どくん、とセルンの心臓が大きく震えた。
「なんだ?」
突然、右手の雷光と大鎌が掻き消えたかと思うと、右手の甲に刻まれた聖痕がその輝きを失う。
「トアレ? どうした? トアレ」
相棒の名前を呼ぶが、返答がない。彼女の気配を感じない。
代わりに別の力の気配を感じた。
それはセルンの左手に集まっていくと、雷光の黄金の輝きとは似ても似付かない、闇を凝縮したかのような漆黒の息吹となってあふれ出した。左手を肩の部分まで覆い尽くす闇の茨、そして漆黒の大鎌を生み出すと、溢れんばかりにセルンに力を与えていく。
「……神器?」
セルンには理解できた。これは神器だ。トアレとは別の、しかし自分の魂より生じた神器。
名乗りもなく、それどころか声もなく、ただひとつの意志だけを雄弁と物語っている。
即ち――勝利を。
あなたに勝利を。あなたに勝利を。すべてを捧げ、あなたに勝利の栄光を!
そのために――さあ、世界を壊しましょう。
「っぁあああああ!!」
全身を駆けめぐる破壊衝動に突き動かされるまま、セルンは左手で漆黒の鎌を軽く振るった。
放たれた破壊の闇が、風の守りもなにもかもを突破して、ハスターの肉体の三割を軽々とえぐり取っていくのだった。




