第三話 学園生活の始まり
意外に思われるかも知れないが、セルンは学校という場所にある種の憧れのようなものを抱いていた。
同年代の少年少女たちが集まって勉学に勤しみ、時に語らい、時に喧嘩し、青春を謳歌する。セルンにとっては無縁の極致にあったがために、特別視をしていたのだろう。
そんな学校に今、経緯はどうあれ通うことになった。
袖を通した新品の制服の感触に、少しばかり気分が高揚しても仕方がないだろう。
もしかしたら素晴らしい出会いがあるかも知れない、なんて思っても仕方がないのだ。
「まあ、現実はこれなんだが」
教室の片隅の席で一人、ぽつんと寂しそうに座る少年の姿がそこにはあった。
これもすべてはトアレの所為である。セルンが教室に入る前、場を温めてくると抜かして突貫し、最悪の空気を残して帰ってきたお馬鹿神器の所為である。
セルンとしては、あの空気の中で自己紹介をやりとげたことをむしろ褒めて欲しかったが、残念ながらクラスメイトたちからは距離を置かれていた。背中に突き刺さる視線は、まるでモンスターを見るかのようだ。
さらにセルンの気持ちを苛立たせるのは、自分をこんな境遇に追いやった神器が、自分を差し置いて人気者になっていることである。
「トアレちゃんって名前なんだ。かわいー!」
「うむ。我も気に入っておる!」
「髪がさらさら。背もちっちゃいし、服も似合っててお人形さんみたい!」
「こらこら、我に気安く触れるなよ。我は至高の存在であるがゆえにな」
「しゃべり方もかわいー!」
少し離れた席で女子生徒たちに囲まれ、ちやほやされているトアレ。
別に羨ましいとは思わないが、なんというかこう、行き場のないこの気持ちをどうすればいいのだろう?
「俺は勇者になりに来たんだ。友達なんて要らないんだ」
セルンが自分で自分を慰め始めたとき、誰かが席の前に立つ。
顔を上げると、太陽みたいにキラキラと輝く笑顔がそこにはあった。
「はじめまして、セルンさん。私、リコリス・ハーヴィンって言います!」
元気いっぱいにあいさつをしてきたのは、クラスメイトの一人であった。
年齢は恐らく十四歳くらい。長いストロベリーブロンドの髪が特徴的な少女だった。今の季節は夏で、本人も半袖の制服を身につけているため寒がりではないと思われるが、なぜか首にマフラーを巻いている。
その隣にもう一人、彼女と同い年か少し年上と思われる少女が連れ添っていた。
緩く波打ったふわふわとした亜麻色の髪。大きな瞳は少し垂れ眼がちで、どことなく大人しそうな印象を見る者に与える。実際、好奇心を目に浮かべたリコリスとは違って、どこかセルンに話しかけるのを躊躇していた。
そんな彼女の背中を押すように、リコリスが彼女の腕を引っ張って、セルンの前に押し出す。
「こっちは親友のマリーちゃんです!」
「あ、あの、マリエール・フェルトです。よろしく、お願いします」
「ああ、よろしく。さっき自己紹介したが、俺の名前はセルン・ベルクルトだ」
セルンは名乗りつつ、二人の特徴と名前を記憶に刻む。
記念すべき学校で初めて話した相手だから、ではない。二人の右手の甲に、勇者候補の証である聖痕が刻まれていたからだ。
「二人は勇者候補なのか?」
「そうだよ! この教室にいる勇者候補は、私とマリーちゃん。それと」
リコリスは教室を見回して、もう一人の勇者候補を探す。
「あ、あそこ! 今ちょうど教室を出ようとしている彼女が、勇者候補のシャルティエ・ボードマンさんだよ!」
「ちょっと、ハーヴィンさん。勝手に人を紹介しないでくださる?」
教室を出ようとしたところを呼ばれ、シャルティエと呼ばれた勇者候補はきつくリコリスをにらみつけた。
シャルティエは二人よりもさらに年上、十六歳くらいの少女だった。青に近い銀色の髪に、どこか冷たい印象を受けるブルーの瞳。手足はすらりと長く、背筋はぴんと伸び、ただ振り返っているだけの立ち姿が妙に決まっている。行儀作法を日常的に教え込まれた者の姿勢だった。
貴族か、それとも商家の娘か。どちらにせよ、お金持ちの令嬢っぽいな――と、セルンが思っていると、シャルティエがセルンに視線の矛先を変えた。
「どうも、ベルクルトさん。一応、自己紹介しておきましょう。私はシャルティエ・ボードマン。レムルス王国の誇る大貴族、ボードマン辺境伯の娘です。勇者候補としての序列は第十八位。『天狼』の二つ名をいただいておりますわ」
「二つ名?」
「ええ。勇者候補の中でも活躍目覚ましい者には、自然とそういうものが授けられますの。もっとも、悪い意味でも活躍すると与えられてしまいますが」
シャルティエは小馬鹿にする視線でセルンと、それからリコリスたちを見た。
「序列九十八位に九十九位、そして最下位の百位。よくもまあ、我が教室に底辺が揃ったものですのね」
「ん? 俺が最下位なのはまあ当然として、二人もそんな順位なのか?」
「あはは、私が九十九位で、マリーちゃんが九十八位ですね」
少しだけ困ったように笑うリコリス。マリエールは顔を赤くしてうつむいてしまった。
「ま、自分の分を弁えて、精々これ以上恥をかかないよう大人しくしていることですのね。それでは、ごきげんよう」
スカートの裾を軽くつまみ、これ見よがしなお辞儀をしてシャルティエは教室を出て行ってしまう。
彼女を見送ったあと、セルンは正直な感想をもらす。
「なんというか、嫌な奴だな。あいつ」
「そ、そんなことないよ! シャルティエさんも本当はいい子だから! ね、マリーちゃん!」
「あはは、どうでしょう?」
シャルティエを庇おうとするリコリスだったが、同意を求めたマリエールは苦笑いだった。なんとなく、セルンはこの教室にいる三人の勇者候補たちの性格と力関係がわかったような気がした。
「まあ、いいや。それよりも俺になにか用だったのか?」
「そうだったそうだった。あのね、セルンさん。セルンさんはこの学校今日が初めてでしょ? 授業の出方とか、教室の場所とかわからないことがあったら、案内してあげようかと思って。ほら、同じ勇者候補だしね」
「それは助かる」
一応、船内でレナスロッテから一通りのことは聞いていたが、予想以上にこの学校は規模が大きく、案内板等もなかったため、セルンとしてはリコリスの提案は渡りに船だった。
「たしかこの学校、授業は選択制だったよな?」
「うん、先生たちがそれぞれ決まった時間に自分の教室で講義を行うから、生徒はその教室に向かえば授業を受けられるの」
「その、基本的にどの授業も好きに出られますが、人気の授業はあらかじめ予約が必要だったりします。ただ、勇者候補には授業選択の優先権が与えられているので、セルンさんは自分の好きな授業に出られますよ」
「なるほどな」
「ちなみに、私たちはこれからトーマス先生っていう魔法理論の先生のところで講義を受けようと思ってるんだけど、セルンさんはどうする? 一緒に行く?」
「そうだな……」
あらかじめもらっていた、授業案内のパンフレットを取り出して広げる。
受けられる授業は三十近くあった。やはりその多くは戦闘訓練や魔法の講義などだが、その中でも戦闘訓練なら剣術、槍術、用兵などに細分化されており、魔法の講義も、同じ内容でも教師それぞれの解釈の仕方で教室が別れているようだった。
「どの授業の先生も、勇者選抜のために呼ばれたその道の第一人者ばかりなんだって。どの授業を受けても勉強になるよ」
「ただ、もしも疲れているのであれば、授業を受けなくても問題はありません」
「ないのか?」
「はい。わたしたち勇者候補は、ここを卒業するために通っているわけではないので」
ユーストリア勇者学校と今は名前を変えたこの学校だが、仕組み自体は以前と変わっていないらしい。
規定の単位を取得し、卒業認定をもらえれば卒業できる。そのため、たった一年ほどで卒業していく者もいれば、自分の研究のために、環境のそろったこの学校に、退学になるまで在籍し続けている生徒もいるという。
入学年齢は十五歳。ただし、優秀ならもっと早い年齢から通うことが許されている。
勇者候補ならば言わずもがなだ。授業料、さらには寮や生活費まですべて無料で、なおかつ支度金の名目で月々お金もいくらかもらえると聞いているが、強制入学だけは免れない。
ただし、話を聞くかぎり、入学後はそれぞれ自由にすることが許されているようだった。
時間の許すかぎり講義を受けるもよし。授業を無視して自己鍛錬に励むもよし。これはそれぞれ、勇者候補に選ばれる前の立場境遇が様々であり、また授業をただ受けているからといって、神器が成長したりはしないからだろう。
「どうするかな。授業には興味があるが、今は色々とやりたいこともあるし」
「やりたいこと? それってさっき自己紹介のときに言ってた仲間集めのこと?」
「リコリス。ああ、名前で呼ばせてもらうが構わないか?」
「うん、いいよ。私も名前で呼んじゃってるけど大丈夫? 年上みたいだし、敬語の方がいいかな?」
「いや、そこらへんは適当でいいよ。こっちも堅苦しいのはあんまり得意じゃないしな」
「よかった。私、育ちが悪いから、また気がつかないうちに失礼なこと言ってたらどうしようかと」
「自由にしてくれ。で、話は戻すが、リコリス。もしかして俺の仲間になるのに興味があったりするのか?」
「えっ!? そうなのリコちゃん?」
マリエールが驚いた顔でリコリスに話を振る。
「えっとね、セルンさんの仲間になりたいなぁ、というのは今のところないんだけど、その姿勢はすごいなぁと思った次第でして」
「その姿勢?」
「うん。セルンさん、はっきりと勇者になりに来たって言ってたでしょ?d」
「よくわからないな。それのなにがすごいんだ? 勇者候補なんだから当たり前のことだろ?」
「そう、当たり前のことなんだけど」
リコリスは困ったように笑うと、ぽりぽりと頬をかく。
「ほら、私たちってシャルティエさんが言ったとおり、序列が低いから。そういうことを口に出して言うとさ、周りから色々と言われちゃって」
「今、序列十位内にいる勇者候補の人たちは、もう何ヶ月も順位を落としたことのない強い人ばかりですし、その人たちを押しのけてわたしなんかが勇者になるなんてとても言えません。そもそも、戦い自体怖いですし」
「序列ねえ」
先程も思ったが、この学校では勇者候補の序列はかなり影響力を持っているようだった。
セルンとしても、それ自体は便利だと思っている。相手の強さを測る物差しとしては、大いに利用させてもらうつもりだった。
けれど、勇者選抜の本質的には序列なんて意味はない。
「大事なのは序列をあげることじゃなくて、勇者候補同士の戦いで神器を進化させることだろ? 序列一位になっても、神器を覚醒させられなければ、いつまで経っても勇者にはなれないんだから」
セルンは立ち上がると、二人に背中を向けた。
「お誘いは嬉しかったが、やっぱり最初は一人で動かせてもらうよ。色々と調べることも多そうだからな。――ほら、いつまでも遊んでないで行くぞ。トアレ」
「むきゅ」
他の生徒たちに餌付けされていたトアレの首根っこをつかみ、引きずりながら教室を出て行く。
突き刺さる視線には、もはや興味はなかった。
セルンはここに友達を作りに来たわけでも、青春を過ごしに来たわけでもない。
セルンは、ここに勇者になりに来たのだから。
そしてそれはリコリスも同じだった。
同じでなければいけなかった。
「すごいですね、セルンさん。やる気に充ち満ちていました。噂とは大違いです。遅刻したのはなにか理由があったのかも知れませんね。……それよりも気になるのは、あのトアレちゃんって言う子との関係性ですが」
「…………」
「リコちゃん? どうかしましたか?」
「ごめん、マリーちゃん! 私、ちょっとセルンさんのこと追いかけてくる!」
「えっ? 授業はどうするんですか?」
「今度ノート写させて!」
「あ、リコちゃん!」
風のように教室を出て行ったリコリス。足の速さから見送らざるを得なかったマリエールは、少しだけ寂しそうな顔で、ぎゅっと胸の前で右手を握りしめた。
「……リコちゃんは、まだ諦めてないんですね」
マリエールは自分の聖痕を見つめる。
「でも、わたしは無理ですよ。だって、わたしのは戦いなんてまったくできない神器なんですから」
はあ、と大きく溜息を吐いて、マリエールはとぼとぼと重い足取りで教室を出て行くのだった。
◇◆◇
「さて、これからどうするのだ? マスター」
もきゅもきゅともらったクッキーを頬張りながら、トアレが聞いてくる。
「適当に序列上位の勇者候補を狩っていくか? 多少は我らが成長する糧になると思うぞ」
「それもひとつの手だが、手当たり次第に喧嘩を売っても敵を作るだけだから。相手は吟味することにしよう」
「具体的には?」
「構内の地図を確認しながら散歩だな。そうすれば、大物に繋がる適当な獲物が網に引っかかるだろう」
シャルティエの態度で、セルンは自分が他の勇者候補たちにどう思われているか、大体把握することができた。
「どうやら俺は有名人みたいだからな」
「おい、そこの腰抜け!」
いきなりの罵倒。セルンは口の端を一瞬つり上げ、トアレの耳元で「なにもするなよ」と囁くと、どこか気弱そうな演技をしつつ振り返る。
後ろには粗野な風貌の男が、こちらをニヤニヤと馬鹿にするように笑っていた。
右手には聖痕。ちょうどいい、獲物である。
「聞いたぜ。お前、ずっと魔王との戦いが怖くて逃げ回ってたんだってな。同じ勇者候補として恥ずかしくてならねぇぜ」
「あんたは?」
「はぁ? あんただぁ? 違うだろ。俺の方が先にこの学校に入学してるんだから、きちんと敬語使えよ先輩だぞ俺はぁ!」
「それは失礼。それで先輩はどこのどなたで?」
「おう、俺か? 俺はクラウド・テイラー。勇者候補序列十一位――」
よし、とセルンはその順位を聞いて内心で喜び、
「――のテオドール・フィックス様のパーティー、『サーカス』の一員さ」
続く言葉にがっかりする。
「なるほど。それで、序列は?」
「序列? はっ、最下位のお前より遥かに上だよ。聞いて驚け」
クラウドは自分を親指で指すと、渾身のドヤ顔で言った。
「序列六十三位だ!」
「微妙」
「えっ?」
「いやすごいなー。きっと強いんだろうなー」
「あ、当たり前だろ! 俺はな、いずれテオドールさんの片腕となる男なんだからな!」
そう言って、クラウドはセルンに顔を近付けると、威圧するように言う。
「なぁおい。ちょっと神器見せてみろよ。テオドールさんが気にしてたんだよ。調べて来いって言ってるんだよ。ほら」
「でもなぁ、神器はそう簡単に見せるものじゃないって聞くし」
「はっ! なら無理矢理にでも出させてやるよ!」
クラウドはセルンを突き飛ばすと、右手の聖痕を掲げた。
勇者候補にとって戦いに臨むことを示す行為。
それを見て、それから乱れた自分の制服を見て、仕方がないと言わんばかりにセルンは肩を竦める。
そして自分にとっての学園生活を始めるために、あえてそれを名乗りとした。
「勇者候補序列百位、セルン・ベルクルト。まずは先輩から、学園生活って奴を始めさせてもらいますよ」




