第2話 名前で呼んで
「おいお前。名前も知らないお前」
「……はい」
ホウキを持った坊主頭の男子生徒が、人を殺しそうな視線をこちらに向けてくる。
初対面のクラスメイトに向ける目ではないぞ。しかも困ったことに、俺を囲んでいる男子十名が漏れなく同じ目をしている。
もしかしたら、この一年はぼっち生活になるかもしれない。だってこんな目をした人たちと友達になれる気しないもん。
「どぉいうことだ? なんでひまりんがお前の名前を知ってるんだよ。答えてみろや、あァー?」
ヤンキーみたいにしゃがんだその男子がメンチを切ってくる。周りの男子も「そうだそうだ!」と煽ってきた。
「あの、本当に知らないんだよ。俺も驚いてて」
「うるせえ!」
答えろって言ったのに……。
はなから俺の言うことを聞くつもりはないらしい。じゃあどうすればいいんだよって話だけど、あと数分すれば一時間目が始まるし、それまでの辛抱だ。
そんなことを考えていると。
「まあまあ、落ち着いて」
興奮する動物を宥めるように俺のそばまでやってきたのは、この争いの発端とも言える雛宮陽鞠だった。
俺は足元から彼女の顔まで視線を上げていく。
至近距離で見ると、なんかオーラみたいなのが凄い。
それは雰囲気もそうなんだけど、スレンダーなスタイルと整った顔立ち。なにより、視線を集める桃色の長髪が、彼女の存在感を周囲に知らしめるのだ。
「わたしの大切な人にこんなことしないでほしいな」
アイドル時代、ポップでキュートな曲を歌っているのを歌番組で観たことがあった。
明るい声色で、浮かべているのは笑顔のはずなのに、どこか相手を威圧するような迫力がある。
「そ、そうっすよね。お、おい山田、早く立てよ」
逢川だよ。
一か八かで当てに来るな。
「山田じゃないよ。ね、逢川明樹くん?」
こちらを振り返り、にこりと笑う雛宮陽鞠。
可愛らしい笑顔のはずなのに、その奥にある得体の知れない何かを感じて、俺の心はざわついた。
こうして、俺は四面楚歌から一時的に解放された。
ちょうどそのタイミングで、始業のチャイムが鳴り、一度退散した担任が再び姿を見せる。
「あ、あの」
「ん?」
俺が恐る恐る声をかけると、彼女はこてんと首を傾げた。
「……なんで、俺の名前を知ってるんですか?」
実のところ、俺と彼女は本当に初対面なのだ。さっきクラスメイトに言った言葉は嘘ではない。
俺自身、どうして元大人気アイドルの雛宮陽鞠が俺の名前を知っているのか、その事実に底知れない疑問を抱いている。
「敬語。同い年だよ?」
「え、あ……」
無意識だった。
目の前にいる彼女を、俺は無意識に同い年だとは思えなかったらしい。
そりゃそうだ。芸能界で活動していたからかどこか大人びてるし、同い年とは思えないオーラが放たれているから。
「放課後、校内の案内してくれる? そしたら、明樹くんの質問に答えてあげよう」
「……いや、それは」
元大人気アイドルと二人きりという状況に耐えられる気がしない。ただでさえ女子と二人というシチュエーションに耐性がないのだから。
けど、そうしないと教えてもらえないのであれば、そもそも俺に選択肢はない。
「だめ?」
俯いて考える俺の顔を覗き込んでくる。
宝石のような瞳から放たれる光に、俺の心臓はバクンと跳ねた。どきどきするなよ、俺には穂村っていう心に決めた相手がいるんだぞ。
「……いや、分かった。案内するよ」
「ありがとっ! 楽しみにしてるね、明樹くん♪」
というか。
なんでナチュラルに名前で呼んでくるの?
女子から名前呼ばれたことないからドキドキしちゃうんですけど。
*
今日は始業式なので、ホームルームが終われば放課後だ。担任の教師が教室から出て行ったところで、教室に騒がしさが蘇った。
俺は、その騒がしさの中心である、クラスの女子に囲まれた雛宮陽鞠を眺めている。
「ねえねえ、雛宮さんってさ」
「クラスメイトだし名前で呼んでよ。だめかな?」
「ううん、もちろん。ていうかむしろ、いいのかなーみたいな?」
「全然だよ。むしろ嬉しい」
彼女は紛れもなく元大人気アイドルの雛宮ひまりだ。それは周りの反応を見ても間違いない。
「陽鞠ちゃん、さっき逢川くんのこと大切な人って言ってたよね?」
「うん」
「それってどういうことなの?」
「んー、明樹くんはね、未来の旦那様なんだ」
えへへ、と照れながらそんなことを言った雛宮陽鞠に、きゃーとテンションを上げる女子。殺意の眼差しをこちらに向ける男子。
「え、知り合いだったの?」
「んっと、まあ、そんな感じかな」
雛宮さんは答えを濁す。
それからも女子からの質問にあれやこれやと答えはするけど、結局核心に迫る情報は得られなかった。
小さい頃に出会っていたとか?
いや、記憶にはないぞ。小学生よりもっと前の幼少期とかなら、可能性はゼロではないけど。
でもそれ以外に考えられないんだよな。彼女が一方的に俺を知ってる理由。
考えを巡らせていると、質問タイムを終了させた雛宮陽鞠が、手を振って女子と別れ、てくてくとこちらにやってくる。
「お待たせ。それじゃあ行こっか?」
「あ、ああ……」
れっつごー、と上機嫌に歩き出す彼女のあとをついて行く。
後ろから感じる視線に悪寒が走り、ちらと振り返る。急に刺されたりしないか不安しかない。
鼻歌を口ずさみながら廊下を歩く雛宮さんの姿を見た生徒が、漏れなく彼女を振り返る。
目をぐしぐしとこすり、二度見をする生徒がほとんどだ。
そりゃそうだ。この学校に元アイドルがいるなんて信じられないだろう。俺もまだ信じられない。
口ずさんでいるのはCutieCandyの『春風のプロローグ』だ。俺でも知ってるくらい有名な曲。一時期はどこのコンビニに入っても流れていた。
「あの、雛宮さん」
ちょうど階段を下りた踊り場に入ったタイミングで、思い切って話しかける。
俺にはどうしても確認しなければいけないことがあるからだ。
俺の声に、彼女の足がぴたりと止まった。
どうしたのか、そう思いながら俺は数歩距離を置いて止まる。雛宮陽鞠の横に並ぶとか恐れ多い。
歩きながら雑談くらいの気持ちだったけど、わざわざ足を止めてくれるとは親切だな。
そんなことを思ったけれど。
「ひなみや……さん?」
振り返った彼女の表情からは温度が失われていた。
さっきまでの笑顔はなくなり、瞳からも光が消えている。
「あれ、雛宮陽鞠じゃなかったっけ」
雛宮陽鞠、だよな?
アイドル時代は陽鞠がひらがな表記だっていうくらいのことは知ってるんだけど。
「……違うよ」
「そ、そうだっけ。ごめん」
名前を間違えるのは失礼だな。
自己紹介だってしてくれたはずなのに、どうやら俺は聞き逃していたらしい。申し訳なく思い、素直に謝る。
「わたしの名前は、雛宮陽鞠だよ」
「合ってるじゃん」
一語一句。
俺が言うと、彼女はぷくりと頬を膨らませた。
さっきまでの彼女に戻ったようで安堵する。
「合ってないよ。明樹くんに、雛宮なんて初対面みたいな呼び方されたくない!」
「初対面ですけど!?」
ぎゅっと胸の前で拳を握りながら叫ぶ雛宮さんに、俺は思わずツッコむ。
「そもそもなんで俺のことを名前で呼ぶの?」
「なんでって言われても、明樹くんは明樹くんだからとしか言いようがないというか」
顎に手を当て、眉をひそめる雛宮さん。なんでそんな顔ができるんだ。
「いきなり名前で呼ばれるのはどうなのかなって思うんだよ。ほら、クラスメイトの目もあるし、誤解されるみたいな」
「名前で呼んじゃダメならなんて呼べばいいの? ダーリン?」
絶対違うだろ。
「余計誤解招くわ。距離的には、逢川とか」
「明樹くん」
「逢川とか」
「明樹くん」
あ、これダメだ。
ロールプレイングゲームの村人みたいなループに入りやがる。話が進まない。
「……もうそれでいいや。話が逸れた」
「だね。あのね、雛宮さんなんて赤の他人みたいな呼び方しないでほしいの。寂しいよ」
赤の他人なんだけどなぁ。
これもいちいち触れてると話が進まないパターンなのが目に見える。けど、呼ばれ方と違って呼び方は結構重要だからこちらも引けない。
「じゃあなんて呼べばいいの?」
「陽鞠」
「いや、名前は……」
「ひ・ま・り!」
「さすがに女子を名前で呼ぶのは気が引けるというか……」
恥ずかしながら、思春期に足を踏み入れる中学時代から今に至るまで、あまり女子と関わってこなかった。
だから、接し方とかがよく分からないのだ。そんな俺が、初対面の元アイドルを名前呼びなんてできるはずがない。
「じゃあ、百歩譲って……」
うーん、と可愛らしく考える素振りを見せる雛宮さん。
斜め上に視線を巡らせた雛宮さんが、ゆっくりとこちらに視線を戻す。
「…………陽鞠で」
「一歩も譲る気ねえな」
間髪入れずにツッコむと、彼女はむうっと頬を膨らませた。
「陽鞠ちゃんでも可」
「いや、ちゃんはちょっと」
余計ハードル上がる。
俺がそう言うと、にこりとアイドル然とした可愛らしい笑顔を浮かべて。
「じゃあ、陽鞠ね。決定!」
決定してしまった。
満面の笑みを浮かべる彼女にそれ以上のことは言えず、俺は諦めて言葉を飲み込んだ。




