第3話 わたしの幸せ
「それで、ここが体育館」
音楽室や化学室といった移動教室先を始め、校内をぐるりと回ったあと、学食を通り、その上にある体育館に到着した。
なんだかんだ、説明しながら歩いていたら一時間が経っている。意外と広いんだな、校内って。
体育館の中からはダムダムというドリブル音と、キュッキュッとバスケットシューズが奏でる音が聞こえてくる。
体育館の扉は開いていて、ちらりと中を覗き込むとやる気に満ちた声が飛び交っていた。
「わぁお、すごいね」
俺の隣から同じように覗き込んだ陽鞠が、感心した声を漏らす。ちらとその横顔を見やると、羨ましそうな眼差しのようにも感じた。
「明樹くんは部活入ってるの?」
「いや、帰宅部だよ。運動得意じゃないしね」
視線を体育館の中へと戻す。
コート内を行ったり来たりする生徒の表情は活気に溢れている。楽しそうだったり、中にはしんどそうだったりする人もいるけれど、それでも声を出す姿には素直に感心する。
「運動以外にも部活動はあるよね?」
「そうだけど。まあ、ぶっちゃけ言うと興味のある部活がなかったっていうか。ひ……陽鞠はどこかの部活に入る予定はあるの?」
躊躇いつつ、彼女を下の名前で呼ぶ。
声に出すと同時、耳の辺りに熱を感じた。
名前で呼ばれることも、名前で呼ぶことも、もう受け入れることにした。そうするしかなかったから。
「ううん。明樹くんがどこかに入っていたなら考えたけど」
「……」
どう反応すればいいんだ。
結局、数秒考えたけど上手く返せる言葉が見つからなかったので諦めて話題を切り替えることにした。
「これで、校内の案内はだいたい終わったかな」
ようやくだった。
これで俺はついに真相にたどり着ける。
腰を伸ばして、陽鞠に向き直ると彼女もこちらを見て、にこりと笑う。
「そうだね。じゃあ、帰ろっか」
「いやいや。俺の質問に答えるって話だろ」
即座にツッコむと、陽鞠はくすくすと笑みをこぼした。なにが楽しいんだか。
「うん。だから、帰りながら話すよ。それでいいでしょ?」
「……まあ」
どっちにしても帰ることにはなるからな。
話を聞くのが校内か帰り道かという話なら、帰りながらの方が合理的ではあるか。
*
学校から最寄り駅まではおよそ五分。
緩やかな坂道を下っていくと見えてくる。
校内案内に一時間使ったからか、駅までの道を歩く生徒の姿はほとんど見えない。
陽鞠は校門を出るタイミングで赤縁のメガネを装着した。人はほとんどいないけど、一応変装的なことなのだろう。
可愛さの数値が上昇しただけで、変装になっているのかは定かではない。
「陽鞠は電車?」
「うん。だから一緒に帰れるよ。放課後に二人で電車、これはもうデートと言っても過言ではないよね」
「多分まだ過言だよ」
とは言っても、自宅の最寄り駅まで同じではないのだから、どこかで降りる必要はあるだろう。
けど、帰りの距離が近いに越したことはないか。
なんか、いいように誘導されているような気もするけど、俺の考えすぎということにしておこう。時には、たどり着かない方がいい真実だってあるさ。
俺たちが駅のホームに到着すると同時に、タイミングよく電車がやってきた。
乗り込んだ車両にはぽつぽつと乗客がいたけれど、陽鞠の存在に気づく人はいない。ただ単に周りに意識を向けていないだけなのか、あるいはメガネの力か。いやメガネはないな。
ガタンゴトンと揺られる時間が続く。
車窓からの景色は緑が続いていた。この辺は自然に囲まれているからな。悪く言えば田舎っぽい。
ちらと隣に座る陽鞠を見た。
ぴんと背筋を立て、同じように外の景色を眺めていた彼女だったけど、俺の視線に気づいたのかこちらを向いて、口角を上げる。
その微笑みで、これまで幾人のファンを虜にしてきたのだろう。こんな顔向けられたら、普通は好きになるよな。
「なんでアイドル辞めちゃったんだ?」
ぽつりと、気づけば俺はその疑問を口にしていた。
いや気になるだろ。
だって、彼女は人気絶頂中の国民的アイドルで、こういう言い方はよくないのかもしれないけど金も名声も手にしていた。その生活に不満なんてなさそうなのに。
俺たち庶民には分かり得ない苦労があったのだろうけど、想像しても安直なものしか浮かばない。
「明樹くんはさ、美味しいハンバーグとすごく美味しいハンバーグ、どっちかしか食べられないとしたら、どっちを選ぶ?」
「え、なにその質問」
急にそんなことを言い出すものだから驚いてしまったが、こちらの反応に追加の発言もなく、意図が分からないまま俺は彼女の質問に思考を巡らせる。
「他の条件が同じなら、そりゃめちゃくちゃ美味しいハンバーグを選ぶでしょ」
「つまりは、そういうことだよ」
「つまりはどういうことだよ?」
「わたしには、目の前にあった幸せよりも欲しいものがあったっていうだけ」
彼女がそう言ったとき、ちょうど電車が駅に到着した。この駅で乗り換えることになるんだけど、どうやら陽鞠も同じ駅で降りるようだ。
どこまで一緒なのやら。
「さて、ではここで質問を受け付けようかな?」
「このタイミングで?」
駅を降りたところで、陽鞠がこちらを振り返った。
俺が疑問をぶつけると、陽鞠は「うん」と頷く。
「だって、せっかく一緒に帰ってるのに明樹くんモヤモヤしてて雑談どころじゃないんだもん」
「……まあ、そりゃそうだよ」
「だから、ここでスッキリしてもらってこのあとは楽しく下校するんだ♪」
なるほど。
このタイミングで質問を受け付けることにした理由には納得した。確かにちょっとだけ気まずい沈黙はあったもんな。
そういうことなら、と俺は自分の頭の中にあった疑問を整理する。
いろいろと聞きたいことはある。けど、なによりもまずはハッキリさせたいことは一つだけ。
「じゃあ聞くけど」
「うん」
ごくり、と喉が鳴る。
陽鞠はこれからどんな質問が来るか想像できているのだろうか、相槌の頷きは雑談の最中のもののように軽い。
「なんで俺のことを知ってるんだ? 俺たちは、初対面のはずだよな?」
一瞬の沈黙。
風が吹き、彼女の髪が揺れた。
「その質問に答えたら、明樹くんはスッキリしてくれるのかな。このあと、わたしとラブラブ帰宅イベントに突入してくれるんだね?」
「いやそれは無理だけど」
ちょっとシリアスな空気だったじゃん。
ふふ、とおかしそうに笑った陽鞠は、躊躇うこともなく口を開いた。
「わたしね、未来からタイムリープしてきたんだ」
「………………は?」
今度の沈黙は、一瞬ではなかった。




