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8.あの年は、馬がよく死にました

王都の喧騒が遠のき、公爵領の厩舎は、夜の静寂に包まれていた。ステラの治療は、ようやく安定期に入った。しかし、その安定は、私自身の立場をさらに不安定なものにした。社交界での冷たい評価は、私を追い詰める。私は、自分が積み上げてきた専門知識が、いかにして他者の感情を傷つけるかを知っている。その事実は、私を社会から孤立させ、私自身の存在を否定する武器となってしまった。


その日も、私は一人、厩舎の隅で、ステラの様子を静かに見つめていた。ユリウスは、以前よりも頻繁に訪れるようになったが、彼の視線には、かつての誇り高き騎士のそれではなく、戸惑いと微かな同情の色が混じっている。彼は私の診断の正確さを理解しつつも、その言葉がもたらす社会的な代償を、痛いほど感じているようだった。


私は、自分の専門性を信じていた。だが、その専門性が、私を社会の規範から外れた存在として突き放すのだ。私は、自分の存在そのものが、この社会の不条理なルールによって定義されてしまっていることを悟った。


その静寂を破るように、厩務員長のバルトスが、いつものように無言で近づいてきた。彼は、私とユリウスの関係、そして私の抱える苦悩を、言葉で表すことを避けているようだった。


「エリアーナ様」


バルトスは、いつものように控えめな声で呼びかけた。私は顔を上げ、彼を見た。彼の表情は硬く、何かを言いたげな視線が私に向けられている。


「何かな、バルトス」


私は努めて平静を装い、問い返した。彼の視線が、一瞬、遠くを見つめたように感じた。


バルトスは、しばらく沈黙した後、小さく呟いた。その声は、夜の静寂の中でか細く響いた。


「……そういえば。奥方様が亡くなった年は、馬がよく死にました」


その言葉は、あまりにも唐突で、そしてあまりにも私自身の心に深く突き刺さった。私は息を呑んだ。奥方様。それは、5年前に亡くなった母、オフィーリアのことだ。


「……何を言っているのですか」


私の声は、予想以上に震えていた。私はバルトスをまっすぐに見つめた。彼の瞳には、何かを隠しているような、深い悲しみが宿っていた。


バルトスは、その視線を逸らし、再び俯いた。彼の口からは、それ以上の言葉は出なかった。ただ、その沈黙が、重く、私を圧迫していく。


「動悸が出て、脈が乱れて、それで急に」


彼は、それだけを告げた。具体的な症状は、まるで古い記録を読み上げるかのように淡々としていた。しかし、その言葉の背後には、深い喪失感が隠されているように感じられた。


私の中で、何かが引っかかった。ステラの症状と、バルトスの言葉が、奇妙な形で結びついてしまった。馬の死のパターン。動悸、脈の乱れ、そして急死。それは、ステラが抱えていた不整脈の経過と、驚くほど一致していた。


私は、その瞬間、自分の頭の中に、一つの冷たい仮説が生まれるのを感じた。もし、あの馬たちの死が、単なる偶然ではないとしたら?もし、それが、何かの意図を持っていたとしたら?


しかし、今はステラの治療に全神経を注いでいる。この一連の出来事を、今の私に処理する余裕はない。私は、その仮説を深掘りする余地がないことを自覚した。追う余裕はない。ただ、目の前の命を救うことだけが、今の私の唯一の責務だった。


私は、バルトスに何も言わず、再びステラの世話へと意識を戻した。だが、その夜、厩舎の暗がりの中で、私は一つの真実の断片を掴んだ。それは、私自身の過去と、この家の隠された闇が、奇妙な形で交差していることを示唆していた。私は、その断片を無視しようと決めた。だが、その断片は、私の心を静かに、しかし確実に揺さぶり始めていた。

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