25.おやめなさい
私は、メルディナと正面から対峙した。その場は、公爵家の応接間。重厚な調度品と、重苦しい空気が、私と彼女の間に張り詰めていた。ステラの件、そして私の調査の進捗について、メルディナは一切の動揺を見せず、優雅な微笑みを浮かべている。
彼女の背後には、侍従のヴェルナーが控えていた。茶器を並べ終えると、彼は壁際まで下がり、そこで石像のように動かなくなった。この家の使用人はみな、主人の会話が始まれば席を外す。彼だけが、いつも残る。
私は、そのことを不自然だと思ったことがなかった。彼はメルディナの手足で、手足が主人の傍にいるのは当たり前だからだ。
「エリアーナ。あなたは、また何かを調べ始めたのね」
彼女の声は、まるで上質な絹のように滑らかで、しかしその奥には氷のような冷たさが潜んでいる。私は、彼女の視線から逃れることなく、まっすぐに彼女を見据えた。私の心臓は、前世の記憶が呼び起こす緊張感で、微かに高鳴っていた。
「はい。ステラの件についても、いくつかの疑問が残っております」
私は、ステラの投毒の可能性について、具体的な証拠を提示しようとした。しかし、メルディナはそれを静かに受け流した。
「投毒? そんな馬鹿なことを。エリアーナ、あなたはいつも、物事を過度に複雑に捉えすぎる。それは、令嬢としての感受性の表れなのかもしれないけれど、現実ではないわ」
彼女の言葉は、私の論理を嘲笑っているようだった。私は、彼女の言葉の裏にある意図を読み取ろうとした。彼女は、私が真実を追い求めることを、単なる「令嬢の戯れ」として処理しているのだ。
「それは、現実です。私は、ステラの心音の不整、そして厩舎の記録から、毒物の存在を確信しています」
私は、前世で培った獣医としての確信を、そのまま突きつけた。それは、私にとって最も誠実な行動だった。だが、その誠実さが、この世界ではただの「令嬢の過剰な詮索」として処理される。
「過剰、ね」メルディナは静かに笑った。「エリアーナ、あなたはいつも、その『冷たい令嬢』という評判に囚われている。動物の病を診るのと同じように、人間関係もまた、感情論で片付けられるものよ。あなたは、その『冷酷さ』を、自分の正しさだと信じているのでしょう?」
彼女の指摘は、的を射ていた。私は、自分の行動が、貴族社会の求める「感情的な配慮」とはかけ離れていることを自覚していた。だが、それは私の職業倫理であり、前世の記憶が私に植え付けた、譲れない信念だった。
「私は、事実を述べているだけです」
私は、感情を押し殺し、言葉を絞り出した。しかし、その声には、微かな苛立ちが混じっていた。この場にいる誰もが、私の言葉を「冷酷な令嬢の、感情の欠如」として受け取っている。それは、私が獣医として持つべき、正確な判断を、人間社会が許さないという、根深い壁だった。
メルディナは、私のその反応を静かに観察していた。彼女は、私の内側にある、その「正しさ」の強さを測っているようだった。
「あなたは、その正しさが、この家にとって都合が悪いと知っているのよ」
彼女の言葉は、私の中の何かに触れた。私は、自分が戦っているのが、単なるステラの健康問題ではないことを悟った。それは、この家、この社会の慣習そのものだ。私の正しさが、この構造を揺るがす危険性を孕んでいる。
「何を言っているのですか?」
「何を、と? あなたが、母の死について、深く掘り下げていることよ」メルディナは一歩近づいた。「あなたは、私たちが隠してきた真実を探っている。それは、この家にとって、あまりにも危険なことなの」
彼女の言葉は、私に明確な警告を突きつけている。彼女は、私が母の死の真相に近づきすぎたことを察知し、それを封じ込めるために、私を牽制しているのだ。
「おやめなさい」
メルディナのその一言は、静かでありながら、有無を言わせぬ威圧感を持っていた。それは、私に対する、明確な命令だった。
私は、その言葉に凍りついた。メルディナは、私の探求を止めさせようとしている。それは、私自身の正しさを否定するのではなく、その正しさがもたらすであろう、破滅的な結果を恐れているのだ。
私は、彼女の言葉の裏に隠された真意を理解した。彼女は、私が母の死の真相に近づくことで、公爵家という巨大な構造が崩壊するのを恐れている。そして、その構造を守るために、私を静かに、しかし確実に、その道から引き戻そうとしているのだ。
私は、何も言い返せなかった。ただ、その場に立ち尽くし、冷たい視線を受け止めるしかなかった。私の内側で、前世の獣医としての冷静な判断が、この人間関係の複雑さに翻弄される。私は、自分が戦っている相手が、特定の悪人ではなく、この家と社会の慣習そのものであることを、痛感した。
この対峙は、私にとって、一つの区切りだった。私は、このままでは、この構造の中で溺れてしまうかもしれない。だが、その前に、私は自分の道を選ばなければならない。私は、この冷たい現実を、ただ受け入れるのではなく、別の形で、この世界に提示しなければならない。
私は、静かに、しかし決意を込めて、その場を後にした。メルディナの視線が、私の背中に突き刺さるのを感じながら。私の戦いは、まだ始まったばかりなのだ。




