21.出がらし
母の筆跡だと分かってから、私は毎晩、あの古い治療記録を広げるようになった。革の匂いと、褪せたインクの匂い。そこに残された文字を、私はもう、ただの記録としてではなく、母の声として読んでいた。
私は、記録の日付を一つずつ、丁寧に書き出していった。馬が体調を崩した日、症状が悪化した日、そして死んだ日。前世で培った、症例を時系列で整理する作業は、この世界の紙とインクの上でも変わらず有効だった。
書き出してみると、一つの事実が浮かび上がった。馬たちの死は、ばらばらに起きたのではない。ある一定の期間に、集中していたのだ。それは、母オフィーリアが亡くなる直前の、数ヶ月間だった。
「バルトス。母は、亡くなる前、何か変わった様子はありませんでしたか」
私は、傍らに控えるバルトスに尋ねた。彼は、いつものように視線を落としたまま、しばらく黙っていた。だが、今度は、以前のように口を閉ざしはしなかった。
「……奥方様は、あの頃、少し体調を崩されておいででした。医者は疲労だと仰っていましたが」
「体調を崩して、何をしていたのですか」
「薬草茶を、毎日飲んでおいででした。ご自身で調合されたものだと聞いております」
その言葉に、私は息を止めた。薬草茶。毎日。私は、記録の日付と、バルトスの言葉を、頭の中で重ね合わせた。母が薬草茶を飲み始めた時期と、馬たちが体調を崩し始めた時期が、ほとんど誤差なく重なっている。
偶然ではない。この世界に来てから、私は幾度となく、この種の一致に出会ってきた。前世の知識が、私にその一致の重さを教えている。
だが、まだ足りない。飲んでいた茶と、馬の死が、どうやって繋がるのか。私は、その因果の糸を、まだ掴めずにいた。
その夜、厩舎の隅で飼葉の準備をしていたバルトスが、何気ない口調で、独り言のように漏らした。
「薬草の出がらしは、捨てずに飼葉に混ぜます。もったいのうございますから」
私の手が、止まった。
「……今、何と」
「古い習慣です。厩舎では、昔からそうしてきました。薬草の葉を煮出した後の出がらしにも、まだ多少の滋養が残っている。それを捨てずに、飼葉に混ぜ込むのです」
その言葉が、私の中で、これまでばらばらだった断片を、一気に繋ぎ合わせた。母が飲んでいた薬草茶。その出がらし。厩舎の古い習慣。飼葉に混ぜられた出がらし。それを食べた馬たち。
私は息を呑んだ。
母が飲んでいたのは、ただの薬草茶ではなかった。グラナの根――微量なら鎮痛にも使われるが、蓄積すれば心臓を止める、あの毒草だ。母は、何らかの理由でそれを扱い、その出がらしが、捨てられることなく厩舎に運ばれ、飼葉に混ぜられていた。
馬たちは、母が扱っていた毒の、副産物を食べて死んだのだ。
動悸。不整脈。急死。全ての症状が、今、一本の線で繋がった。動物の記録だけが、嘘をつかずに、この事実を私に差し出していた。
私は、記録の束を握りしめたまま、しばらく動けなかった。母は、なぜグラナの根を扱っていたのか。誰かに盛られたのか。それとも、自らの意志で――
「母は、殺されたのかもしれない」
その言葉が、声にならないまま、私の内側で固まっていく。母を殺した何者かがいる。そして、その毒の副産物が、馬たちの命も奪った。私はようやく、この家に隠された闇の輪郭を、初めてはっきりと掴んだ気がした。
バルトスは、それ以上何も言わず、ただ静かに私の傍らに立っていた。彼の沈黙は、私の推理を否定するものではなかった。それは、彼がずっと前から、この結論にたどり着けずにいた、同じ場所に立っていたことを示していた。
私は、記録を胸に抱いた。この先に何があるのか、まだ分からない。だが、私はもう、目を逸らさない。母の死の真相を追うことは、もう私にとって、避けられない道になっていた。




