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18.正しさの代償

公爵の書斎は、重厚な樫の木と古い革の匂いで満ちていた。窓の外の庭園は、まるで凍てついた水面のように静まり返っている。私は、父であるラングドン公爵の前に座らされていた。彼の表情は、いつものように硬く、感情の起伏を一切見せない。それは、私がこれまで経験してきた、最も冷たい種類の反応だった。


「エリアーナ。お前の言葉は正しい」


公爵の声は低く、響きを持っていた。それは叱責というよりも、事実の確認に近い響きだった。私は息を詰めた。この瞬間が、私が最も恐れていた瞬間だと知っている。私の持つ、何の曇りもない真実が、この貴族社会という名の構造の中で、いかに無力であるかを思い知らされる瞬間だ。


「だが、正しいだけでは、この家は守れない」


彼は続けた。その言葉は、私自身の存在そのものを否定しているようだった。私は、ただ動物の病状を正確に伝え、最善の処置を提案したに過ぎない。しかし、その「最善」が、この家が求める「体面」や「名誉」とは乖離していることを、彼は明確に指摘したのだ。


私は、自分の誠実さが、この世界では刃となってしまうことを痛感した。前世で、私は獣医として、正確な診断を下すことが最優先だった。しかし、ここでは、その正確さが、誰かの立場を脅かし、権力構造を揺るがすものとして処理されてしまう。私の職業倫理は、この世界のルールの中では、ただの「令嬢らしからぬ行動」に過ぎなかった。


「私は、ただ事実を述べているだけです」


私は努めて平静を装い、声を震わせないように努めた。しかし、内側では激しい反発が渦巻いていた。私の前世の記憶は、私に「真実を語る」ことを教えた。それは、感情や体裁を排した、冷徹な判断だった。だが、その冷徹さが、この場ではただの傲慢に見えてしまう。


「事実が、この家にとって都合が悪いのであれば、それはそれで問題でしょう。だが、その事実を公然と突きつけることが、この家にとってどれほどの損失になるか、あなたは理解しているのですか?」


公爵の問いは、私を追い詰める。私は、彼が何を恐れているのかを理解しようとした。それは、私の行動そのものよりも、その行動がもたらす政治的な影響、つまり「名誉」の維持だった。


私は言葉を選んだ。感情を混ぜることはしない。ただ、私の立場と、この家の現状を淡々と説明する。


「私は、私の仕事に忠実であるだけです。馬の健康状態を正確に伝え、最善の処置を提案する。それが私の務めです。それ以上のことは、私にはできません」


私の言葉は、彼にとっての「正しさ」とは異なるものだった。それは、ただの職務遂行の宣言であり、感情や立場を伴わない、冷たい事実の提示だった。公爵は、私のその無感情な態度に、一瞬、息を呑んだようだった。


沈黙が、再び重くのしかかる。私は、自分がどれほど孤立しているのかを自覚した。私の持つ知識と技術は、この世界の権力構造の前では、ただの飾りになってしまうのだ。


その夜、私は自室で一人、深く考え込んだ。なぜ、私はこれほどまでに、自分の正しさを主張することが許されないのだろうか。前世では、私は誰に対しても、その知識を必要とする者がいれば提供した。しかし、ここでは、その知識が、私を攻撃するための武器になってしまう。


その時、ノックの音がした。


「エリアーナ。少し、お話ししたいことがある」


バルトスだった。彼はいつも静かで、言葉数は少ない。公爵家の厩務員長という立場でありながら、彼は私にとって唯一、私を理解しようとしてくれる存在だった。彼は私の苦悩を察しているのだろう。


彼は部屋に入ると、私の隣に静かに腰を下ろした。そして、手元の古い綴じ紐の束を、私の前に置いた。それは、何十年も前の、使い込まれた革の束だった。


「これは、古い治療記録です」


バルトスはそう言うと、何も言わずにその束を私に見せた。私は息を呑んだ。それは、5年前、母オフィーリアが急死した年の、厩舎の記録だった。


「お嬢様が、お知りになりたがると思いまして」


バルトスはそう言って、視線を逸らした。彼の声には、深い諦めと、拭いきれない負い目が滲んでいた。彼は、この記録が、私にとって何かの鍵になることを知っている。だが、それ以上は語らなかった。ただ、その束を私に託すことで、彼は、私に何かを託しているのだと示していた。


私は、その古い記録を握りしめた。それは、私自身の存在意義を問う、一つの証拠の始まりだった。この記録が、私がこの家の中で、どのような役割を果たすことになるのか、予感していた。

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