17.診断という名の刃
王立狩猟祭の準備は、喧騒と緊張に満ちていた。公爵領の広大な敷地は、王侯貴族が集うための舞台となり、その裏側では、私の存在が、ますます鋭い刃となって周囲を切り裂いていた。
数週間前、ロヴェル伯爵の軍馬たちが、不調を訴え始めた。彼らは王立狩猟祭の準備のために、過酷な調練を強いられていた。その症状は、単なる疲労では済まされない、深刻なものだった。呼吸が浅く、脈が乱れ、時折、痙攣を伴う。
私は、公爵家の領地内での馬丁の仕事は、公爵家の人間が手配した者たちに任せていたが、その馬たちの様子が、私の神経を苛んでいた。私は、その馬たちを診る機会を窺った。公爵家の人間は、私のような者が馬の治療に手を出すことを忌避していたが、この状況は、もはや無視できないものだった。
ある日の午後、私は自らその馬たちを診る機会を求めた。公爵家の人間が私を遠ざけようとするが、私はその場を離れることを拒んだ。前世で培った病理の見立てと、動物の生理に対する深い理解が、私を駆り立てた。
厩舎の隅で、私はロヴェル伯爵の馬たちを診た。
一頭目の左前肢を持ち上げ、蹄の裏を見た瞬間に、私は状況を理解した。
蹄が縦に割れている。裂蹄だ。それ自体は珍しくない。問題は、その割れ目の奥が黒く変色し、押すと膿が滲み出したことだった。これは今日明日のものではない。少なくとも半月、この状態で走らされている。
二頭目、三頭目。同じだった。程度の差はあるが、四頭のうち三頭の蹄が傷んでいた。蹄鉄の打ち方も雑で、釘の位置が深すぎるものがあった。
次に、体を見た。
冬毛が伸び始める時期だというのに、毛艶がない。手で撫でると、毛が乾いて指に引っかかる。そして——脇腹に手を当てて、私は指を止めた。
肋が触れる。触れるどころではない。目で数えられた。
飼葉が足りていない。それも、少し足りないというのではない。この体格の軍馬に必要な量の、おそらく半分程度しか与えられていない。走らせる量は増やし、食わせる量は減らしている。
私は、四頭すべての口を開けて歯も見た。奥歯の縁が尖って、頬の内側に潰瘍を作っている個体がいた。歯が痛ければ、飼葉があっても食えない。
原因は、体内を蝕む病ではなかった。もっと単純で、もっと救いのないものだった。
**この馬たちは、手入れをされていない**。
膿んだ蹄で、腹を空かせたまま、狩猟祭のための調練を毎日続けさせられている。それだけの話だった。
その日の夕刻、ロヴェル伯爵の側近たちが、馬たちの不調について公爵家に報告に来た。彼らは、私が診察を行ったことを知るやいなや、顔色を変えた。
「エリアーナ嬢が、馬たちの状態について何か言ったと聞きました」
その言葉は、すぐに公爵の耳に届いた。公爵は静かに、しかし有無を言わせぬ口調で私を呼び出した。彼の視線は、私を射抜くように鋭かった。
「エリアーナ。君は、馬の治療など、令嬢の務めではない」
彼の言葉は、いつものように、私を突き放すためのものだった。しかし、私はその言葉を、ただ受け止めるだけでは終わらなかった。私は、彼らの視線を受け止めながら、静かに、しかし明確に、事実を述べた。
「公爵様。彼らの症状は、単なる疲労ではありません。体内の何かが、持続的に蝕まれている。過酷な調練と、栄養管理の不備が重なり、深刻な状態に陥っています」
私の言葉は、感情を排し、ただ事実を述べるだけだった。しかし、その言葉の響きは、周囲の空気を一瞬で凍てつかせた。それは、私自身の職業倫理に基づいた、揺るぎない真実だった。
「四頭のうち三頭が裂蹄で、割れ目の奥が化膿しています。半月は放置されたものです。四頭とも肋が浮いています。飼葉が、必要量の半分ほどしか与えられていません。一頭は奥歯が頬を傷つけていて、食べたくても食べられません」
私は、数えるように述べた。
「原因は、酷使と、飼育管理の放置です。虐待と申し上げてもよろしいかと存じます」
私は、その場に居合わせた貴族たち、そして公爵家の人間たちの視線を感じた。彼らは私の言葉を、冷たい視線で受け止めていた。それは、私の正しさが、彼らの築き上げた秩序を乱す、不快なものとして映っている証拠だった。
ロヴェル伯爵の面子は、その場で完全に潰えた。彼は顔を青ざめさせ、言葉を失っていた。公爵家にとって、ロヴェル伯爵は重要な後ろ盾の一人であり、この一件は、公爵家全体に大きな政治的損失をもたらすことになりかねなかった。
私は、その場の緊張感の中で、ただ静かに立っていた。私の言葉は、事実に基づいていた。しかし、その事実が、他者の立場を破壊する刃となった瞬間を、私は確かに感じていた。それは、私がこれまで積み上げてきた「冷酷な令嬢」という悪評が、今、具体的な形で他者を傷つけることになった瞬間だった。
私は、自分の言葉が、どれほど重いものなのかを痛感した。それは、私が獣医として、そして一人の人間として、その役割を遂行している証拠だった。私の正しさが、他者の安寧を脅かすことになったのだ。
その日の出来事は、公爵家の中で大きな波紋を呼んだ。私の行動は、単なる獣医の仕事ではなく、政治的な影響力を持つ事態へと発展していた。私は、自分の言葉が持つ力を、初めて身をもって知ったのだった。




