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10.治療の日々

私はステラの治療に全神経を注いでいた。その夜も、厩舎の隅で、ステラの様子を静かに見つめていた。ユリウスは、以前よりも頻繁に訪れるようになったが、彼の視線には、かつての誇り高き騎士のそれではなく、戸惑いと微かな同情の色が混じっている。彼は私の診断の正確さを理解しつつも、その言葉がもたらす社会的な代償を、痛いほど感じているようだった。


私は、自分の専門性を信じていた。だが、その専門性が、私を社会の規範から外れた存在として突き放すのだ。私は、自分の存在そのものが、この社会の不条理なルールによって定義されてしまっていることを悟った。


公爵からの期限付きの許しを得た後も、私の日常は変わらなかった。表向きは名門令嬢として振る舞い、社交界の場では、冷徹な仮面を被る。だが、その裏側では、ステラの回復という、私自身の命綱を繋ぐ作業に没頭していた。


ステラの体調は、一進一退だった。毒の残滓が心臓に重くのしかかり、時折、予期せぬ不整脈が襲ってくる。前世の知識が、その微細な変化を捉える。私は、毎晩、厩舎に通い、ステラの呼吸、皮膚の微細な変化、そして飼葉や水桶の微かな異変を、まるで精密機械の部品を調べるかのように観察した。


解毒の処置は継続していた。グラナの根の毒が、ステラの体内でどのように分解され、排出されているのか。その過程を理解し、体内のバランスを整えるための水分と塩分の管理。それは、単なる治療ではなく、化学反応の制御に似ていた。私は、前世で学んだ知識を駆使し、その微細な化学的プロセスを、この世界の制約の中で再現しようと試みた。


ある朝、ステラは以前よりも安定した呼吸を見せていた。微かながらも、心臓の鼓動のリズムが、以前よりも規則的になっている。それは、私が施した処置が、正しく機能している証拠だった。


その日の午後、ユリウスが厩舎を訪れた。彼は、以前のような威厳ある騎士の装いではなく、少しだらけた装いで現れた。彼の顔には、まだ緊張の色が残っているが、その瞳には、以前とは違う、静かな決意が宿っていた。


「エリアーナ」


彼は私の前に立ち、深く頭を下げた。その仕草は、かつての騎士のそれとは異なり、どこか人間的な、切実なものだった。


「ステラが、少しずつ回復しています」


「叙任の式は、欠席した」彼は、何でもないことのように言った。「近衛の副長に上がる話だ。父が、わざわざ見に来る予定だった」


私は、手を止めた。


「なぜ」


「ステラの傍にいたかった。それだけだ」彼は、少し笑った。「父には、まだ何も言っていない。三年口をきかなかった人だ。今度は何年になるか分からんな」


私は、何も言えなかった。彼が失ったものの大きさを、彼自身が一番よく分かっていながら、それを笑って流していることに、私は胸を突かれていた。


私は、ステラの様子を説明した。具体的な数値や、体内の状態を淡々と伝える。感情を交えず、ただ事実を提示する。私の口から出る言葉は、常に正確で、容赦がない。それが、私の獣医としての本質だった。


ユリウスは、私の言葉を真剣に聞いていた。彼は、私の言葉が、単なる令嬢の戯言ではないことを理解し始めていた。彼の視線は、ステラの回復した姿と、それを支える私の手元を行き来する。


「君の処置は、驚くほど的確だ」


ユリウスはそう言って、一瞬言葉を詰まらせた。彼は、私の技術を認めつつも、その技術がもたらす社会的な軋轢を、今も感じているのだろう。


彼は、私の手元に近づき、そっと私の手を握った。その手の温もりは、ステラの冷たい体温とは対照的で、私の中に微かな安堵をもたらした。


「ありがとう、エリアーナ」


彼の声は、以前よりもずっと柔らかかった。それは、彼が私に対して抱く感情が、単なる義務感や、公爵家の体裁を超えて、個人的な信頼へと変化しつつあることを示していた。


ステラは、完全に自力で立ち上がることができた。その瞬間、厩舎全体に、静かな歓声が上がった。それは、病が治ったことへの安堵であり、そして、私という存在が、この世界で「役に立つ」という、微かな肯定の響きでもあった。


ユリウスは、人目を気にすることなく、私の隣に立った。彼は、私の隣で、ステラの回復を見守る。その光景は、公爵家内での私の立場が、完全に崩壊したわけではないことを示していた。むしろ、私の専門性が、この閉ざされた世界に、わずかながら光を灯し始めた瞬間だった。


私は、彼らの視線を受け止めた。彼らは、私の冷たい判断の裏に隠された、一人の人間としての私を見つめている。容疑はまだ晴れていない。だが、少なくとも、私の行動が、ただの「悪評」ではなく、「救済」として受け止められ始めていることを、私は感じ取っていた。それは、私にとって、何よりも確かなものだった。

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