[09] 4日目の手掛かり
サロン・ド・ラ・ヴェルニュへ潜入して4日。
収穫がなく、テオドラは焦りを感じていた。
ジョエルの事故も3年が経ち、知る人も減り、噂にすら上らない。
遊び仲間の3人には、簡単に遭遇できると思っていた。
だが、それすら出来ていない。
テオドラは、客が最初に通される待合室にいた。
豪華な花が飾られたボックス席も空きが多い。
しかも、ワゴンを押しているのは、テオドラだけ。
テオドラは、小さくため息をついた。
やはり、フォール侯爵家か遊び仲間の屋敷へ潜入するしかないのだろうか。
「君、発泡酒がほしいんだが……」
甘く、人を誘うような声がした。
顔を上げると、陽の光を集めたような金髪に、精悍な顔立ちの男が人懐っこい笑顔を見せた。
「あれ? 新入りだね?」
テオドラは口角を上げ、発泡酒を入れたグラスを渡した。
「綺麗な黒髪だね、レディ。お名前は?」
男が目を細めて、テオドラに質問した。
テオドラが黙って微笑んでいると、リリーが目ざとくやって来た。
「イグナーツ様、新人いじめはやめてくださいまし」
と言いながら、イグナーツの胸を軽く押した。
イグナーツは「おっと」と小さく笑い、素直に一歩退いた。
「リリー、よしてくれ。彼女の名前を尋ねただけだよ」
イグナーツが微笑んだ。
「そんなことより、ほら、お友達がいらっしゃいましたよ」
「ああ、本当だ。アルフレッド! 遅いじゃないか」
テオドラはつられて、イグナーツの視線を追った。
そこには、アンソニーと共に事務所へ来たアルフレッド・アスターがいた。
テオドラは眉を寄せ、咄嗟に目を伏せた。
動悸が高まり、ワゴンのハンドルを握る手に力が入る。
「突然、呼び出しておいて、遅いはないだろう」
「悪かったよ! さ、まずは飲もうぜ。レディ、同じものを」
テオドラは目を合わせないように気をつけながら、グラスをアルフレッドに渡した。
「あれ? どこかでお会いしましたか?」
アルフレッドがテオドラの顔を覗き込む。
テオドラは何も言わなかった。
「ちょっと! 似た者同士なんだから! 新人が困っているでしょう? おやめくださいな」
リリーはアルフレッドの胸にも手を添え、やんわりと押し返した。
アルフレッドは素直に身を引いたが、なおも、テオドラから目を離さなかった。
「アルフレッドが女性に関心を持つとは、興味深いな。リリー、料金をはずむからプティ・サロンの個室でゆっくり会話を楽しもうじゃないか」
リリーはイグナーツをじっと見つめた。
次に、アルフレッド、テオドラと順に顔を見る。
「いいでしょう。クリスティーン、厨房でお酒を追加してきて。イグナーツ様、アルフレッド様、お部屋にご案内いたしますわ」
テオドラはワゴンを押して、厨房へ向かった。
そばかすも消えているのにどうして気づかれたのか。
テオドラはどう対処すべきか、考え込んでいた。
「痛ッ! どこを見ているんだ!」
ワゴンが3人組の男たちの一人にぶつかった。
「も、申し訳ございません」
テオドラは慌てて、頭を下げた。
「いやぁー、これは、しばらく足を引きずるなー」
テオドラは顔を上げて男たちを見た。
男たちはニヤニヤしながら、テオドラを見ていた。
赤い顔に、据わった目。
鼻につく酒臭さ。
「申し訳ございません。医者を呼んでもらいます」
「医者など不要だ。お前が一晩付き合えば、それで済む」
男の一人がテオドラの横に並び、手を取った。
「おやめください」
「素直に従えばいいだろ? お前だってきっと楽しいぞ」
男たちは卑猥な笑いを見せた。
テオドラは、手を取っている男を睨んだ。
「気持ち悪いので、放してください」
「はッ! 無礼な!」
男が言うや否や、テオドラは肘を跳ね上げ、男の腕の内側へ向かって鋭く振り下ろした。
すると、男の手が弾かれたように外れた。
「……はあ? 何だこいつ? 抵抗する気か?」
「面倒なので、かかってきてくれたほうが良いのですけど」
テオドラはにこりと微笑んだ。
「な、なんだと! 使用人風情が偉そうに!」
テオドラは、ワゴンのハンドルから手を放した。
叩きのめしたら、サロンを追い出されるだろう。
だが、4日も情報が無いなら、ここはもう十分かもしれない。
テオドラの口元が緩んだ。
サロンには悪いが、鬱憤も、ここでまとめて晴らせそうだ。
少し痛い目を見てもらったほうが、他の女性のためにもなるだろう。
男の一人がテオドラに殴りかかって来た。
テオドラは難なくかわし、男の背中へ肘を打ち込んだ。
男はうめき声を上げ、廊下に倒れた。
「こ、こいつ!」
今度は、二人の男が同時にかかってきた。
テオドラは男たちの手を取ると、互いの腕が交差するように引っ張った。
引かれた勢いのまま、男たちの頭が鈍い音を立てて激突した。
「うわぁッ!」
二人は悲鳴を上げ、そのまま床へ崩れ落ちた。
「あれ? どうしたんだ?」
振り向くと、アルフレッドがいた。
テオドラは、俯き加減に会釈した。
「皆様、少々、お酒が過ぎたようでございます」
「ふうん……そうなんだ?」
アルフレッドは、興味深そうに倒れている男たちの顔を覗き込んだ。
「タナー・ハルトマン、ディートリヒ・ベルガー、エーリヒ・マイヤーじゃないか」
「ア、アスター様」
男たちが立ち上がって、姿勢を正した。
「君たちは、財務監査部上官のイグナーツに会いに来たのかな?」
「え?! イグナーツ様も、ご、ご一緒ですか?」
「なんだ。用事があってサロンに来たのではないのか?」
男たちは顔を見合わせ、更にアルフレッドと距離を取ろうと後ずさりした。
「中級官吏の筆記試験も間近だし、上官の推薦状の件で来たのかと思ったよ」
「い、いえ、我々は、お二人がお寛ぎのところを邪魔するわけには参りません」
答えた男の声が震えていた。
「そうだよな。下級官吏は、遊んでいる暇など無いはずだ」
「お、お、仰る通りでございます。それでは、我々は失礼します」
男たちは、あっという間に去っていった。
テオドラも、咄嗟に男たちの逃げた方向へワゴンを押し出した。
アルフレッドが後ろをついてくる。
テオドラは立ち止まり、振り返ってアルフレッドを見た。
「お部屋へお戻りください。私もすぐに参りますので」
アルフレッドは、テオドラの隣に並んだ。
「君の瞳は、僕が最近知り合った女性と同じ翡翠色なのだが……」
テオドラは、思わず目を逸らした。
「よ、よくある色でございます」
「そうかな? うーん」
アルフレッドは微笑んだ。
「では、僕は化粧室に寄ってから部屋に戻るよ。逃げずに来てください、ね」
テオドラは微笑みを返し、ワゴンを押した。
アルフレッドのせいで、憂鬱な気分に戻っていた。
テオドラがワゴンに酒を積んで部屋に入ると、リリーは立ち上がって、テオドラのワゴンから酒を取った。
「クリスティーン、酔っ払いに絡まれてたんですって? 大丈夫だった?」
テオドラは小さく頷いた。
「足元がおぼつかなくて、皆様、転んでしまいました」
「あら! そう! 自業自得ね」
リリーはグラスに注ぎながら、テオドラを見て微笑んだ。
「以前より減ったのだけど、まだ少しいらっしゃるのですよ。悪ふざけが過ぎる輩が」
リリーは、イグナーツとアルフレッドにグラスを渡した。
「以前とは?」
「3年くらい前でした。ほら、フォール侯爵家の嫡男様が落馬して大騒ぎになった頃ですわ。取り巻きたちが犯人捜しをここで始めて……出禁にしたんです」
リリーは、自分のグラスを持つとイグナーツの隣に座った。
「犯人捜し?」
アルフレッドが身を乗り出した。
「ええ。確か、馬に細工があったとか。だから、クラブの誰かがやったのだとか、何とか、仰ってた気がしますわ」
リリーが顎に指を添え、記憶をたどるように口にした。
テオドラは思わず、リリーを見つめた。
こんなにも近くに手掛かりがあったとは。
「馬に細工とは、穏やかではないな」
アルフレッドがイグナーツを見た。
「うむ。聞いたことがある。餌にアセビが混ざっていたのではないかと」
「アセビ?」
リリーが首を傾げる。
「ああ。木の名前だ。口にすると神経が麻痺するというが、厩舎で育った馬だと警戒せずに食べてしまうな」
イグナーツは、苦笑して肩をすくめた。
テオドラは背中を向けて、自分が飲む果汁をグラスに注いだ。
次の調査対象が決まった。
誰にも悟られぬよう、胸の内でほくそ笑んだ。




