[08] ジョエル・フォール侯爵子息
その日の午後、テオドラは、テレーゼの最初の婚約者のジョエル・フォール侯爵家子息を調べるために、王都診療所へ向かった。
医術学校を出た者は、必ず、最初に勤務する診療所だ。
診療所の裏にある職員通用口の方向へ歩くと、「テオドラ様!」と声をかけてくる女性がいた。
「エルザ! 忙しいところ、ごめんなさい」
テオドラはエルザの手を取った。
テオドラたちの乳母の娘で、この診療所の看護師をしていた。
「いいえ。気になさらずに。母からも、テオドラ様の言うことを必ず聞くようにと言われていますもの。ただ、休憩時間は限られてますから、さ、どうぞ、こちらに」
エルザは、テオドラを診療所の敷地から連れ出した。
近くの公園の木陰のベンチに座ると、テオドラはエルザにお弁当を手渡した。
「折角の休憩時間をいただくお詫び」
テオドラが言うと、エルザは、「ありがとうございます」と嬉しそうに頬張った。
テオドラより二つ年上だが、幼少期を共に過ごしたことも多く、テオドラはふと昔に戻った気がして、口元が綻んだ。
エルザは、早々にお弁当を空にすると、口元を拭きながら、テオドラを見た。
「お願いされていたジョエル・フォール侯爵ですが、最初に運ばれてきたのがここでした」
「落馬と聞いているのだけど」
「ええ。酩酊状態で」
「誰か一緒だった?」
「遊び仲間のようです。レイモン・カンテミール侯爵家次男、マルセル・モンレリ男爵家長男、ヤニック・ロチルド伯爵家次男」
「エルザ、さすがの記憶力ね!」
エルザは満更でもなさそうに笑った。
テオドラは、アカデミーにいた時を思い出していた。
アカデミーで、いつも4人でつるんでいた一つ下の問題児たちだった。
自分たちより下の者を見下し、女生徒には卑猥なことを平気で言い、教師にも遠慮がなかった。
「診療所には、手術するまでいたようです」
「え? 手術?」
「はい。両脚の骨が砕けて、手術しても歩けないのは目に見えてたのですが、父親のフォール侯爵の圧力に負けて、手術したようです」
「でも、今でも歩けないのよね?」
「ええ。最後には、フォール侯爵も諦めて、車椅子を用意して退院しました」
「通院しているの?」
「まさか! 王家の顧問だった医師を屋敷に呼んで診てもらっているようですよ」
「そうよね。フォール侯爵は鉱山もたくさん持ってるし……お見舞いに来た方は?」
「ご家族と、侍従……ああ、婚約者様がいらしてました。すごく線の細い綺麗な方でした。その時は、怒鳴り声が部屋の外まで聞こえて……婚約者様は、病室を出た後、外で泣いておりました」
テオドラの頭には、テレーゼの顔がちらついた。
「何を言われたのかしら?」
「確か……俺がこうなって金が入るんだ。嬉しいだろ!って。あれは無いですよね。婚約が破談になったら、女性だって、大変なのに。あ! 申し訳ございません。知ったふうなことを」
エルザは真顔になり、体を縮こまらせた。
「いいのよ。もう、昔のことだもの。気にしないで」
テオドラは、俯き加減に微笑んだが、すぐに顔を上げた。
二人は、領地にいる家族の話に花を咲かせた。
エルザと別れたテオドラは、ジョエル・フォールがアカデミー時代から通っていた社交サロンへ向かった。
サロン・ド・ラ・ヴェルニュ。
開店にはまだ早いが、従業員の通用口は別だ。
紹介状を持っていたテオドラは、支配人室に通された。
「あんたが、アルベール弁護士の紹介かい?」
白髪を夜会巻きにし、黒いドレスを着た支配人のシャンタルが目を細め、まるで値踏みするようにテオドラを眺めた。
「はい、弟子のテオドラです」
「ふーん。そうさねぇ……」
シャンタルが手元のベルを鳴らすとすぐに女性が入ってきた。
給仕の制服を着た若い女性だった。
透き通るような白い肌に、大きな瞳、長い睫毛、金色の巻き髪。
その場に立つだけで視線を奪う華やかさがあった。
「リリー、この子は、クリスティーン。1週間、あんたの下でサーバーをやってもらうよ。しっかり教えるんだ」
リリーは、テオドラを睨むと、シャンタルを見た。
「支配人、なんで、あたしが?」
「サーバーでは、あんたが一番だからね」
「それなら、早く、マネジャーにしてくださいよ」
リリーは甘えるように言った。
「この子が1週間で、どうモノになるかによるね」
リリーは、すぐにテオドラへ手を差し出した。
「リリーです。よろしく」
テオドラは反射的に手を握り、お辞儀した。
「クリスティーンです。よろしくお願いいたします」
リリーはテオドラを女性従業員の控室に連れて行った。
数人のサーバーがいて、リリーに挨拶すると、テオドラを一瞬だけ見たが、後は、各々着替えたり、化粧をしていた。
リリーは、ドレッサーの前にテオドラを座らせた。
「あんた、ワザと自分の肌より濃いファンデーションを塗ってるね? それに、なにこれ! このそばかすも自分で描いているだろ? 眉毛もぼっさぼさだし。爪の手入れもなってないね。貴族なんだろ? けど、全然、貴族っぽくないんだよ」
テオドラは、言葉を失った。
初めて、見抜かれた。
婚約破棄してから寄ってくる男は碌な者ではなかったし、独りで生きていくには、『女らしい女』の部分は、邪魔でしかなかった。
「平民のあたしには考えもつかない事情があるんだろうけど、もったいないね」
リリーは、ため息をついた。
「じゃ、これにしよう。着けてみて」
リリーは、黒曜石のついたシルバーのイヤーカフスをテオドラに渡した。
耳に付けると、テオドラの黄褐色の髪が黒髪に変わった。
「この魔道具で、髪の毛の色は変えられるけど、目だけはダメなんだよね。儲かってるんだから、もっと良いのを買えってのよ!」
リリーは、口を尖らせた。
「でも、髪の色でだいぶ雰囲気が変わるんだ。あとは、化粧だね。その後にこの制服着て」
「あ、化粧でしたら自分で……」
テオドラが言うと、リリーは睨んだ。
「このサロンじゃ、男も女も綺麗じゃなきゃだめなんだ。今日は私がやってあげるから、明日からは自分でやるんだよ!」
テオドラは観念したように、小さく頷いた。
各部屋の案内が終わり、開店10分前になった。
リリーはテオドラを引きつれ、厨房に入った。
テオドラは、何種類もの酒を載せたワゴンを渡された。
「クリスティーン、今日は初日だから、プティ・サロンの担当ね」
一般的には、会話室と言われる小サロンだった。
テオドラはワゴンを引きながら、リリーの後をついて、プティ・サロンに入った。
リリーが耳元で囁いた。
「ここは、少人数の部屋で、礼儀正しい人が多いから『楽』なの。お酒を零したり、灰皿を替える時に粗相をしなければ大丈夫よ」
「リリー!」
早速、客の男が手を挙げた。
テオドラが驚くほど、リリーは、今日一番の笑顔を作った。
「さあ、行くわよ」
リリーに言われ、テオドラは戦場へ赴く騎士のように気持ちを引き締めた。




