[07] 4番目の婚約者
食堂の外に出ると既に日が暮れていた。
道すがら、テオドラはテレーゼ・フォンカッテ伯爵令嬢を思い返していた。
テレーゼは、同年代の令嬢たちのような浮ついた華やかさはなかった。
代わりに、19歳とは思えない静かな落ち着きがあった。
それでいて、彼女の大きな翡翠色の瞳は少女のような無邪気さが残っていた。
だが、その奥には人を試すような気配が同居しているように感じた。
そんな掴みどころのないテレーゼは、平民が集う食堂で食事をして帰ると言った。
予想以上に変わり者なのかもしれない。
テオドラは思わず口元を緩めた。
テオドラは女子寮の自室に戻り、ベッドにうつ伏せに倒れこんだ。
今日は、いつもより疲れていた。
怒って出て行ったアンソニー。(身から出た錆を早く認めて)
連絡すると言ったアルフレッド。(できれば、二度と会いたくない)
新たな依頼人の死神令嬢。(面白そうだが、やることが多過ぎる)
テオドラはうつ伏せから仰向けに回転し、今日、届いていた手紙を読み始めた。
弟のアルマンからだった。
『姉上、お元気ですか。僕は、領内の学校で勉強に勤しんでいます。この間の試験では、歴史と数学が1番でした。兄上は、牛を狙う魔獣退治で忙しくしています。双子のアズリーとグレガンはいたずらばかりで、兄上に叱られています。乳母は腰を痛め、療養中です。執事は、目が悪くなりました。歳だそうです。』
テオドラは思わず笑った。
賑やかな家族が懐かしく、思わず涙が零れる。
『夏休みには、王都に遊びに行ってもいいですか? 友人のレオンの家の商団が王都に行く時に一緒に連れて行ってくれるって。姉上、会いたいです』
テオドラは、アルマンの手紙を胸に抱いた。
「私も早く会いたい」
しばらくの間、動けなかった。
その時、扉をノックする音がした。
「テオドラ、夕飯だって」
扉越しにルイーズの声がした。
連れ立って、食堂へ行くと、女性や子供たちが集まって食事をしていた。
テオドラはルイーズと共に寮母のマアサから食事を受け取り、テーブルを囲んだ。
ルイーズは、端に座っている母子に視線をやった。
「ベッキーさんとクリス、来月にはここを出るんだって」
「え? どうして?」
ベッキーとはこの女子寮の図書室で一緒になることが多かったが、そのような素振りは最近までなかった。
「大工のケインさんと結婚するそうよ」
テオドラは頷いた。
この母子寮を出て行く理由の多くが、結婚だった。
ベッキーは未婚で妊娠し、村を追い出され、王都に居ついた。
大きなお腹で物乞いをしているところを、寮母のマアサが連れてきた。
今では、得意の刺繍で生計を立てている。
「他の女子寮に比べても、すごく居心地がいいのに結婚を選ぶなんて」
ルイーズは僅かに顔をしかめた。
この女子寮は、かつて、テオドラの母であるハラハ伯爵夫人が造り、運営していた。
行き場を失った女性と子供たちを放っておけない人だった。
ハラハ伯爵夫妻が亡くなり、借金を抱えたテオドラたちはこの女子寮を泣く泣く売りに出した。
その時、たった一人だけ、言い値で買ってくれたのがカミーユ・アカリ公爵夫人だった。
「私たちみたいに仕事が好きな女性には居心地はいいのだろうけど」
テオドラの言葉にルイーズは頷いた。
「子連れには、生きづらい世の中だものね」
テオドラは頷き返した。
「そういえば、ルイーズの新聞社の新聞って、図書室にあったっけ?」
「うん。私がここに来た時から寄付してるから、3年分くらいはあると思う……でも、何で? あ! もしかして、次の案件?」
ルイーズの勘の良さに、テオドラは苦笑いした。
「最近の法律の改正について、確認しておこうと思って」
「自慢じゃないけど、それに関してはうちの新聞ほど網羅してるのはないと思う」
ルイーズは得意そうに笑った。
テオドラは、話が逸れてホッとした。
守秘義務を軽んじる相手とは、程よい距離感が必要だ。
特に、親しい間柄なら。
次の日。
テオドラは、診療所に向かっていた。
テレーゼの4番目の婚約者であるカール・グロート侯爵家子息が経営している。
カールは、薬師として働いているという。
テオドラは地図を手にし、床屋の角を曲がった途端、立ち止まった。
診療所の前には、長蛇の列が出来ていた。
テオドラは、最後尾の老婆に声を掛けた。
「おはようございます。並んでいるのは、グロート診療所で診てもらうためですか?」
「ええ。そうですよ。あなた、初めて?」
「はい。評判を聞いてきてみたのですが、こんなに人気があるなんて」
「もうすぐ、門が開くから、少しの辛抱よ……あなた、どこが悪いの?」
「最近、食欲がなくて、眠れないのです」
テオドラは、さっきまで熟睡して清々しく目覚めた自分を思い出し、笑いを堪えた。
「それなら、若先生の薬が効くわよ」
「若先生って?」
「カール先生よ」
「どんな先生ですか?」
「貴族なのに平民の私にも親切で、話もよく聞いてくれる丁寧な先生よ」
「おいくつくらいですか?」
「30歳は超えたかしら?」
「なら、お子さんとかいらっしゃいますよね?」
「それがね……なかなか良いご縁に恵まれなくて。平民ならもっと簡単なんでしょうけど」
「……診療所の先生は、若先生のお父様なのですか?」
「いいえ。若先生のお父様は、貴族専門のお医者様なのよ」
「え? じゃあ」
「ホアキン先生よ。カール先生が後見人になってね、平民なのに医術を学んだの」
老婆から話を聞いている間に門が開き、テオドラは受付で番号札を貰った。
27番だった。
待合室は老若男女で溢れかえっていたが、病人も礼儀正しく順番を待っていた。
テオドラは自分と同い年くらいの女性の隣に座り、話しかけた。
「私、こちらの診療所は初めてで、緊張してまして」
「あら。大丈夫よ、ホアキン先生は優しいから。若くて、顔もまあまあだし」
「まあまあ? カール先生はどうです?」
「親切だけど、仕事人間。とにかく薬草が好きで、いろいろ試行錯誤するのが好きみたい」
「まさか、ここに住んでたりして」
「当たり! お屋敷に帰らずにここで研究しているみたいよ。何が楽しいんだか」
「カール先生の顔もまあまあですか?」
テオドラが小声で聞くと、女性はプッと噴き出して笑った。
「顔は四角いし、鼻は大きい。髪の毛はくせ毛でてっぺんは少々薄いし……それなり、かなぁ」
考え込む女性を見て、テオドラは苦笑いした。
「脈も血圧も正常だし、口腔内も問題なさそうです。眠れないのと食欲がないのは、精神的なものが一般的ですけど、思い当たることはありますか?」
ホアキンに聞かれ、テオドラは黙ってしまった。
仮病なのだから、適当に誤魔化すしかない。
「仕事が忙しかったです。なかなか期待に応えられなくて」
ホアキンは顎に手をやり、テオドラを見つめた。
「カール先生、どう思います?」
カールもテオドラをじっと見つめる。
丸顔のまあまあなホアキンと四角い顔のそれなりのカールに見つめられ、テオドラは顔が赤くなるのを感じた。
「あ、あの……わ、私」
「仕事は休めないだろうし……ハーブティーを出しましょう」
カールが微笑んだ。
「緊張がほぐれるハーブを調合しましょう。それと私が作ったハニープラムを寝る前にスプーン1杯」
「ハニー? はちみつですか? そんな高価な物、む、無理です」
テオドラは慌てて両手を振った。
「はちみつは私の趣味なので、価格は無いに等しいですよ。気にしないでください。あなたが健康になるほうが重要です」
カールとホアキンの優しい笑顔を見て、テオドラは罪悪感でいっぱいになった。
会計窓口で、2週間分のハーブティとハニープラムの瓶を受け取った。
「5シルバーです」
「は、はい?」
テオドラは料金が安すぎて声が裏返った。
自分の30分の相談料の半分だ。
「いつもこんなに安いのですか?」
テオドラは会計係に尋ねた。
「ええ。まあ。これは高いほうですよ」
テオドラは、腑に落ちなかった。
カールたちは儲ける気が全くない。
利益を出さずに診療所をどうやって運営しているのか。
診療所を出たテオドラは、天を仰いだ。
自然と口角が上がる。
この案件は、ますます面白くなってきた。




