[04] 悪い女 ②
パーティー翌日。
テオドラは、アンソニーがフランセスと出会った場所を見渡した。
王都中央から外れた市場通り。
石畳の通りには露店が並び、焼き菓子の甘い香りが風に乗り、すぐ隣の干し魚の強烈な匂いが鼻を刺した。
商人たちの呼び声が飛び交い、子供たちは人混みを駆け回る。
道幅は狭く、荷車同士が鉢合わせれば、それだけで通り全体が止まりそうだった。
「ここで、荷車が横転か……」
テオドラが呟く。
荷車が横転し、積み荷が通りいっぱいに散らばる。
商人は怒鳴り、馬は暴れ、人々は慌てて道を空ける。
混乱の中で、アンソニーとフランセスがここで出会った。
テオドラは、野菜を売っている露店商の男に声をかけた。
「ああ、あったね。子供が飛び出して、騎士様が助けたんだ。騎士様は顔がいいし、この辺の娘っ子はキャーキャー騒いでたよ」
「その時、騎士様が女性からハンカチをもらったとか……」
「指に怪我したんだよ。それで、ハンカチを巻いてあげてたな」
「それから皆さんで木箱を片付けたんですね」
「ああ。ハンカチのお嬢ちゃんもな。貴族っぽかったが、手伝ってた」
「よく見る娘さんでしたか?」
「うちでも買い物していくよ。週に1回、あそこの施設に手伝いに来てる娘だ」
男が指さす方角を見ると、聖アルマ孤児院があった。
テオドラは、市場通りを抜けた先にある聖アルマ孤児院へ向かった。
院長のシスターが微笑む。
「週に1回、ご支援くださる方は、セシル男爵家令嬢、アマベル様ですよ」
「……お姉さまのフランセス様もご一緒でしょうか」
「フランセス様? いいえ。存じません。いつもお一人でいらっしゃいますし、書類にあるのはアマベル様のサインです」
テオドラは、支援報告書のサインを覗き込んだ。
確かに”アマベル・セシル”と書かれていた。
夕方。
テオドラが報告書を纏めていると、アルベールがやって来た。
「ブランドン氏が来てるんだが……」
テオドラは顔を顰め、アンソニーがいる応接室へ向かった。
応接室では、アンソニーが見るからに苛立っていた。
騎士らしく背筋は伸びている。だが、指先だけが肘掛けを一定の間隔で叩いていた。
「ご報告は、3日後のはずですが」
「もう、必要ない」
テオドラの身体に緊張が走った。
「……理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「アマベル嬢から全て聞いた。私が間違っていた。婚約を破棄する」
テオドラは思わず、息を呑んだ。
アンソニーは、小切手を机の上に置いた。
「相談料と経費だ。それと、3日後に婚約破棄の手続きをこちらで実施する。君も同席してくれ」
テオドラは、尋ねた。
「私も?」
「ああ。フランセスが婚約の継続を望めば、また君に相談することになるからな」
3日後。
アルベールの事務所にある会議室にアンソニーと両親、アルベールが並び、その向かいにフランセスと両親、アマベルが並んで座っていた。
テオドラは、アルベールの後ろに椅子を持ってきて座った。
「婚約破棄?」
フランセスは瞬きをした。
会議室の空気が重く沈む。
「ああ。これが書類だ」
アンソニーが合図すると、アルベールはフランセスに書類とペンを渡した。
「……素行不良」
フランセスは婚約破棄の理由を声に出した。
「身に覚えがないとは言わせない」
アンソニーの声が少し荒くなった。
フランセスは、唇を震わせた。
「それでも……慰謝料はくださるのですね」
アンソニーは何も言わず、頷いた。
「そうよ。だから早く、それにサインなさい」
アンソニーの母親が、冷たい声で急かす。
「こんな思いやりのある方々を失望させて、あなたは本当に残念な娘ね、フランセス」
セシル男爵夫人が目を細めた。
テオドラは、フランセスの口角が微かに上がるのを見た。
その瞬間、フランセスは書類にサインをし、ペンを置いた。
「アンソニー様」
フランセスはゆっくりと顔を上げ、微笑んだ。
「短い期間ではございましたが、アンソニー様の婚約者でいられて幸せでございました」
アンソニーの瞳が、わずかに揺れた。
テオドラは、こわごわ手を上げた。
「僭越ながら、皆さまがお揃いになるのも最後ですし、私の報告書の概要を公表させていただいてもよろしいでしょうか」
沈黙の中、四方八方からの視線に、テオドラは早くも後悔した。
「報告書? ……調査でもされていたのですか?」
フランセスがテオドラに尋ねた。
「そうね、お支払いもしたんだし、はっきりさせましょう。素行不良を」
「母上!」
アンソニーが声を押さえながら、母親を制した。
「……私も聞いてみたいですわ」
フランセスが笑い、みんなは呆気に取られた。
テオドラは立ち上がり、報告書を読み上げた。
「まず、ベルナドッテ侯爵令嬢の誕生日パーティーの件です。ここで、ひと悶着あったのは、皆さま、ご存じでしょうか」
テオドラの問いに、アンソニーの母親が扇子を広げた。
「もちろん存じ上げていますわ。そして、それが、いつも、であることも」
「そうなんです。この子は、いつもアマベルを虐めるんですよ」
セシル男爵夫人が、口添えをする。
テオドラは微笑んだ。
「そうなのです。『いつも』なのだそうです」
テオドラは、手元の報告書を軽く持ち上げた。
「私は、多くの令嬢にお尋ねしました。もちろん、ベルナドッテ侯爵令嬢にもです。令嬢たちは、『いつものパターン』なのだと仰っていました」
「い、いつものパターンとはなんだね?」
アンソニーの父が、上擦った声で尋ねる。
「アマベル様が合図をすると、アマベル様に魅了された殿方がフランセス様を貶める。今度は、それを合図に、フランセス様が飲み物をぶちまける……おっと、失礼。言葉が過ぎました」
「な、何を根拠に!」
アマベルが扇子で机を叩き、ハッとする。
皆、アマベルの行動に目を丸くした。
「続いて、フランセス様がいつも妖艶なドレスを選ぶ理由ですが、こちらもアマベル様のご指示通りだと、様々な人々の証言を得ました。あ! 証言してくださった方の名前は、リストでアンソニー様へお渡ししますが、セシル男爵家には決してお見せしないでください。秘匿権を行使させていただきます」
その場にいた誰もが言葉を失っていた。
「続けてくれ……」
アンソニーが怒りを抑えたような低い声で促した。
「アマベル様が妖艶なドレスを指示してフランセス様を悪女に仕立て、ご自身の引き立て役にしていると仰っている方が50%。下品に見せて、あざ笑っていると仰る方が30%。残りの20%が、フランセス様の美しさに嫉妬している、でした」
「嘘よ! でたらめはやめて!」
アマベルの絶叫が会議室に響く。
テオドラは、呼吸を整えた。
「最後に、聖アルマ孤児院の件です」
「そ、それは、アマベルが支援している孤児院よね?」
セシル男爵夫人が、アマベルを覗き込む。
「アマベルが支援したいと言って始めたことじゃないか。本当に誇らしいと思ったよ」
セシル男爵がアマベルを愛おしそうに見つめる。
「シスターに尋ねたところ、アマベル様がいらっしゃってると仰ってました。もちろん、子供たちにも確認しました。アマベル様に絵本を読んでもらっている、遊んでもらっている。しかも、畑仕事まで手伝ってもらってる、と」
「なんて素晴らしいんだ。誇らしいよ」
セシル男爵と夫人は、アマベルの手をそれぞれ握った。
アマベルは一筋の涙を流し、両親の手を握り返した。
テオドラは黙って、その光景を見ていた。
「まだ終わってませんよ」
アマベルは驚愕し、テオドラを睨んだ。
「さ、最後と言ってたじゃない!」
「私は、アマベル様が聖アルマ孤児院を訪問する日も伺ったのです」
アマベルの顔色が変わった。まるで、全身の血が抜けたようだった。
「ちょうど、子供たちに絵本を読んでいるところでした……フランセス様が」
「た、偶々よ。その日は気分が悪くて、お姉さまにお願いしたの」
アマベルは一瞬だけ言葉に詰まり、それでも強気な声を作った。
テオドラは、続けた。
「私は、シスターと子供たちに尋ねました。あの人がアマベル様ですか、と。みな、そうだよ、あの人がアマベル様だ、と教えてくれました」
アンソニーは顔を赤くし、アマベルを指さした。
「貴様! すべてが偽りかッ!」
「ひぃッ」
アマベルが悲鳴を上げた。
掴みかかろうとしたアンソニーは、両親とアルベールに抑え込まれた。
アマベルは男爵夫妻に抱えられながら、会議室を出て行った。
アンソニーは、頭を抱えて座り込んだ。
フランセスとセシル男爵家の弁護士が困ったような顔で視線を落とした。
アンソニーは、濡れた目でフランセスを見つめた。
「フランセス、私が悪かった。……どうだろう? この婚約破棄は無かったことにしてくれないか? 私は君を幸せにしたい」
先ほどまで口を挟んでいたアンソニーの母も、今は黙り込んでいた。
フランセスは俯いた顔を上げた。
見惚れるほど美しい笑顔だった。
「ご辞退いたしますわ」
「え?」
アンソニーにはフランセスの微笑みが、先ほどまでとはまるで別の女のものに見えた。




