[03] 悪い女 ①
テオドラは、アルベールに呼ばれ、クロイ法律事務所の応接室にいた。
目の前には、体格が良く、金色の髪に整った顔立ちの男が座っていた。
アンソニー・ブランドン男爵。最近、長兄が侯爵家を継ぐため、叙爵された。
今は、第2騎士団副団長だという。
「この男性が噂の騎士か」と、テオドラは少しだけ興味を持った。
女性に見向きもしなかった25歳の男が、恋に落ちたと大変評判になっていたから。
町で困っているときに助けてくれた親切な女性の一枚のハンカチを手掛かりに、彼女を探し当てた。
アルベールは一通り、アンソニーを紹介すると席を立った。
弁護士は婚約破棄の仲介をしない慣例があった。
いや、不名誉な仕事には関わりたくないというのが、弁護士たちの本音だろう。
テオドラは、砂時計をひっくり返し、アンソニーに確認した。
「アンソニー様の婚約者様は、フランセス・セシル男爵家令嬢と伺っておりますが、間違いないでしょうか」
アンソニーは頷き、俯いた。
「フランセス様が婚約破棄に同意しないということで、相談しにいらしたのでしょうか」
テオドラの問いに、アンソニーは顔を上げた。
「……彼女には、まだ伝えていない」
テオドラはアンソニーの顔を眺めた。
暗鬱な顔。苦悩を一人で引き受けているような顔をしていた。
「母上が、お茶会でフランセスの変な噂を聞いてきて、婚約破棄しろと」
「変な噂とは?」
「……既に2度も婚約破棄をしている。だが、それは彼女が打ち明けてくれた。私はそれでも構わないと両親に伝えた」
アンソニーは、テーブルの上で両手を組んだ。
「しかし、男性遍歴が多い。家族を虐げている、それから、私に好意を持つ令嬢たちに嫌がらせをしている、それから……」
アンソニーは、大きなため息をついて、また俯いた。
砂時計の砂は、アンソニーの気持ちを気にすることなく、容赦なく落ちていく。
「では、私に相談したい事をお聞きしてもよろしいでしょうか」
テオドラは、アンソニーに問いかけた。このままでは埒が明かない。
アンソニーは顔を上げ、テオドラを見つめた。
「……事実かどうか、調べてほしい」
「事実であれば、婚約破棄をされるのですか」
「……ああ。私は、後ろ指をさされるような女を妻にするつもりはない」
テオドラは頷いた。恋に落ちた男たちは、驚くほどよく似た疑いを抱く。
数日後。
テオドラは、王都でも人気のドレスショップに来ていた。
「テオドラ様、ようこそ。お久しぶりですね。どんなドレスにしますか」
ドレスショップのマダムは、独立したばかりの頃、テオドラの母に支えられた一人だった。
「エステル・ベルナドッテ侯爵令嬢の誕生日パーティー用を」
「でしたら、ぜひ新調を。お代は結構です」
マダムが指を鳴らすと、断る間もなく、従業員たちが採寸を始める。
目が回るような時間を経て、一段落した頃、テオドラはティーカップを置いた。
「マダム、少しお聞きしたいことが」
従業員を下がらせたマダムに、テオドラは静かに尋ねた。
「フランセス・セシル様もこちらのお客様と伺ったのですが」
「……明日の午後なら、来店されるかもしれませんね」
テオドラは小さく微笑んだ。
「人手不足でしたら、お手伝いします」
マダムは、すぐに意味を察したように笑った。
「では、制服をご用意しておきますわ」
翌日、テオドラはドレスショップの従業員に扮していた。
午後には予定通り、フランセスとその妹のアマベルが現れた。
日焼けした肌に、艶を失った黒髪。
フランセスの濃い化粧と露出の多いドレスは、どこか品に欠けて見えた。
一方で、アマベルは白い肌に、艶やかな黒髪を結い、愛らしく着飾っている。
アマベルのドレス選びでも、マダムのお勧めにフランセスが文句を言い、アマベルは遠慮がちに姉を見上げた。
テオドラがお茶を淹れると、「ぬるい!」とフランセスは怒鳴った。
店内の空気が沈み、従業員は手を止めた。
アマベルは怯えたように視線を伏せた。
二人が店を出る時には、アマベルがフランセスの背後で、こっそり「ごめんなさい」と頭を下げていた。
「……どう思いました? テオドラ様」
マダムが小声で問う。
「いつも、ああなのですか?」
テオドラが逆に問いかけると、マダムは気の毒そうに笑った。
「ええ。いつもです。お可哀想に」
数週間後。
テオドラは、エステル・ベルナドッテ侯爵令嬢の誕生日パーティーに来ていた。
威風堂々としたエステルと軽く挨拶を交わし、フランセスとアマベルを探した。
フランセスはテオドラ同様、壁の花になっていて、グラスを手持ち無沙汰に揺らしていた。
対照的にアマベルは、男性たちに囲まれていた。
両極端な二人に、テオドラは目が離せなかった。
すると、一人の男が、アマベルの輪を外れ、フランセスに近づいた。
男が耳元で何かを囁く。
テオドラは、フランセスの表情が僅かに歪むのを見逃さなかった。
次の瞬間、グラスの中身が男の胸元へ叩き付けられた。
「な! 何をする!」
男が叫ぶと同時に、アマベルが必死の形相で飛んできた。
「お姉様、どうなさったのです! タイラー様、どうぞ姉の蛮行をお許しください」
アマベルは頭を下げ、フランセスは腕を組んだまま無言だった。
「君が頭を下げる必要はないよ、優しいアマベル。君の姉が謝るべきだろう」
アマベルは、フランセスを見つめた。
「お姉さま、タイラー様にどうぞ謝罪を!」
フランセスは無言のまま、アマベルの頭上から別のグラスを傾けた。
会場がざわめいた。
それでも、多くの者は「またか」と言いたげに冷めた目を向けていた。
テオドラはグラスを置き、静かに会場を後にした。




