[12] 噂の令嬢
翌日の午後、テオドラは街で一番大きい酒屋にいた。
ワインが並ぶ棚の前で、テレーゼの2番目の婚約者のブライ男爵領のワインを探していた。
「何かお探しですか?」
声をかけてきた女性店員の胸元には、ワインの専門家を示すブドウのブローチがあった。
「ブライ領産のワインが美味しいと聞いて探していたんです」
「ブライ領産? 珍しいですね……あ! ごめんなさい。余計なことを」
店員は頷くと、下の棚からワインを2本取り出した。
「女性に人気なのはロゼですが、赤も美味しいですよ」
「ブライ男爵領のワインは評判通り美味しいのですか?」
「そうですね。最近は購入しやすい価格のワインが増えましたね」
美味しいのかと聞かれて、安いと答えるとは。
「実は、友人にお見合いの話がきたんです。ブライ男爵家の次男と」
「え?」
思いの外大きい声が響き、店員は自分の口を手で塞ぎ、辺りを見回した。
テオドラは店員の耳元で囁いた。
「大事な友達だから、気になって。お見合い相手が飲み過ぎて、寝たきりになっていると聞いたんです」
「お客様、ワインの試飲も可能ですよ」
テオドラは一瞬戸惑ったが、店員の後について店の奥に行った。
店員はロゼワインをグラスに注いだ。
「あなたのお友達、平民ですか?」
「え? ええ」
「そう。なら、なおさらだわ。お見合い、お断りしたほうがいいと思う」
「……どうしてですか?」
「貴族で結婚相手がいないから平民に手を出し始めてるのよ」
「セオドア・ブライが?」
店員は短く頷いた。
「正しくはブライ男爵家が、よ。あそこは家族仲がぐちゃぐちゃで」
「ぐちゃぐちゃ?」
「そう。長男夫婦はそれぞれで愛人を囲っているし、三男は村の女たちを手籠めにして、国外追放。次男は、長男に毒を盛られて、口がきけなくなってる」
「え? そうなんですか? 詳しいですね」
「昔から取引してるし、ワインを運んでくる人たちが、まあ、よく喋るのよ。領に行けばもっとよ……うちにまで、良い人を紹介してくれって言うくらいなんだから」
貴族が結婚相手を平民にまで求めるとは。
テオドラは眉根を寄せた。
「でも、どうして毒を?」
店員の声がさらに小さくなった。
「当主様も毒殺だったから。それを知った次男を」
店員は声を潜めたまま、人差し指を首元に当て、横にすっと引いた。
テオドラは開いた口を慌てて閉じた。
「とにかく、次男は碌に口もきけないし、歩けないって話よ」
リリーが言っていた『寝たきり』とも符合する。
「そんな人と結婚するなんて、いくらお金を積まれても苦労するだけ。絶対にやめたほうがいいわ」
テオドラは深く頷いた。
貴族には家族間のトラブルが多いが、公にならないことがほとんどだ。
それをうまく処理するのが、貴族弁護士だ。
テオドラはブライ男爵領のワインとは違うワインを1本買い、事務所に向かった。
「師匠、プレゼントです」
アルベールはテオドラに差し出されたワインを受け取り、渋面を作った。
「何だこれは」
「だから、プレゼントですってば」
テオドラは微笑んだが、アルベールはさらに顔を顰めた。
「今度は、何だ? お前のプレゼントには何かあるに違いない」
テオドラはアルベールの机の前にある椅子を引いて座った。
「話が速いです。さすが、師匠」
アルベールはこれ見よがしに大きなため息をついた。
テオドラはすかさず尋ねた。
「婚約破棄で支払った慰謝料の金額を知るには、婚姻管理局で教えてもらう方法しかないですか?」
「婚姻管理局か……『つて』があれば早いが、申請した後、審査もあるから1ヶ月以上はかかるな。審査が通るかもわからない」
アルベールの話を聞きながら、テオドラはアルフレッドの顔を思い浮かべた。
婚姻管理局にアルバイトとして潜り込んで書類を見ることも考えたが、彼とは関わりたくない。
「それなら、担当した弁護士に聞くか、婚約破棄した側に聞くか……本人に聞くのが一番早いかもしれないな」
弁護士は易々と教えてくれないだろう。
婚約破棄した側はなおさらだ。
それなら、アルベールの言う通り、本人であるテレーゼに聞くしかない。
だが、テレーゼが慰謝料の額を知っているだろうか。
3度の婚約破棄。その先に、慰謝料を当てにする父親の姿がちらついた。
では、4度目も同じだろうか。
それならなぜ、テレーゼ自身が婚約破棄を望んでいるのか。
テレーゼ自身も慰謝料が目的なのだろうか。
テオドラは唇を片側に寄せた。
答えの出ないことを考えるほど、時間を無駄にしたくない。
「まずは、本人に聞いてみたほうが良さそうですね」
立ち上がると、アルベールからワインを取り上げようとした。
「おい! 何するんだ!」
「え? だって、師匠が不満そうなんで持って帰ろうかと」
アルベールはワインを掴み、胸に抱えた。
「もらっておく!」
テオドラは思わず噴き出した。
「アンヌ夫人がお好きなワインを選んだんです。二人で召し上がってください」
「お、おう」
「それと、師匠」
「まだあるのか?」
「当たり前です。そのワイン、高かったんですから」
「くッ。わかったから、言ってみなさい」
「ブライ男爵家のお家騒動のこと、ご存じですか?」
アルベールは目を細めた。
「……お前はまた、厄介なことに首を突っ込んで」
「うーん。事実かどうか確認したいだけです。今のご当主が、警備隊から事情聴取を受けたかどうか」
アルベールはワインを胸に抱え、天井を仰いだ。
「……受けた」
「もしかして、師匠が弁護を?」
「いいや。依頼があったが、断った。お家騒動にわざわざ首を突っ込むほど馬鹿じゃないからな」
「さすがです。師匠」
テオドラは口元を緩ませた。
夕方。
テオドラはカール・グロートの診療所に向かっていた。
処方してもらったハーブティとハニープラムが無くなりそうなので、補充しておきたかった。
調査のために貰ったが、今では寝る前に飲むのが習慣になっていた。
寝つきもよくなり、身体も楽になった気がしている。
診療所に近づくにつれ、辺りが騒がしくなった。
野次馬の中を覗くと、子供を連れた男女が怒鳴り合っている。
「俺は絶対に離婚なんぞしねぇからな!」
「碌な稼ぎもないくせにどうやって食ってくっていうんだ!」
「おめぇが、稼いでくればいいだろ!」
「稼いでるだろ! 酒浸りなのはどこのどいつだよ」
二人の怒鳴り声に、子供が泣き出した。
「うるせぇんだよ! 売っちまうぞ!」
男が怒鳴り返すと、子供はますます声を上げた。
女が男の頬を打った。
「自分の子供まで売り飛ばすなんて、人じゃないよ! 誰か、警備隊を呼んでおくれ!」
「て、てめぇ」
男は腰のナイフを抜き、女に向けた。
女が後ずさり、子供はその場に尻もちをついた。
「危ない!」
テオドラは走り出し、子供に覆いかぶさった。
男がナイフを振り回す。
「やめて!」
かざした右の掌に刃が当たり、血が跳ねた。
男は目を見開き、ナイフを放り出した。
「何をしてる!」
数人の警備隊が駆け付け、テオドラはようやく息を継いだ。
右の掌に、脈打つような痛みが走った。
思ったより血が流れているのを見て、眩暈がした。
男は捕まり、女と子供はテオドラに礼を言った後、警備隊とともに詰所へ向かった。
テオドラも、後日、詰所へ出向くことになった。
テオドラは警備隊に連れられ、元々寄るつもりだったグロート診療所にいた。
掌に斜めに走る傷をホアキンが診て、カールが用意した薬を塗った。
「災難でしたね。止血と痛み止めの薬です。血はすぐ止まりますよ」
ホアキンが労うと、カールが続けた。
「痛みは、明日にはなくなるでしょう。傷は残ってしまうかもしれません。傷跡が消える薬も今、研究中で」
カールは申し訳なさそうに眉を下げたので、テオドラは思わず笑った。
「傷がなくなる薬を作れたら、カール先生は国王に表彰されますね」
カールとホアキンは顔を見合わせ、笑い出した。
「それもそうだ! だけど、カール先生ならできると思いますよ」
ホアキンはテオドラにウインクした。
看護師がテオドラの包帯を巻いていると、俄かに廊下が騒々しくなった。
「先生! 急患です!」
カールとホアキンが診療室を飛び出す。
テオドラは目を丸くした。
呼びに来たのは、看護師の制服を着たテレーゼだった。
貴族令嬢が一体何をしているんだろう?
「今の女性は……」
テオドラの包帯を巻き終えた看護師は、テオドラを見て笑った。
「綺麗な人でしょう。有志の方で、よく手伝いに来てくださるのよ。さ、終わりました。ハーブティとハニープラムをご用意しますね。待合室でお待ちください」
テオドラは頷くと、待合室に行くふりをして、診療所の奥に向かった。
手術室や検査室の前を通り、急患が運び込まれた処置室を見つけた。
テオドラは扉の隙間から、処置室をそっと覗いた。
叫びそうになり、慌てて口に手を当てた。
男が横たわるベッドは、血の海だった。
テレーゼたちが溢れる血を布で押さえる中、カールが体内探査器を男に当てる。
「こことここ。だが、ここが一番深そうだ!」
ホアキンは頷き、すぐに処置を始めた。
その傍らで、カールが血量測定器を確認する。
「ホアキン、出血が30%を超えた!」
やがて魔道具が甲高い音を鳴らし、男は動かなくなった。
カールが男の目元と首に触れた。しばらくして、首を横に振った。
カールは俯いたまま、テオドラがいる扉とは別の扉から処置室を出た。
すると、すぐにテレーゼが追った。
テオドラは慌てて、廊下にあった棚の陰に身を隠し、二人の様子を窺った。
廊下で立ち尽くすカールの背中にテレーゼが抱きつく。
「お願い。ご自身を責めないで」
テレーゼが言うと、カールは振り返った。
二人は見つめ合っている。
テオドラは二人から目を離せなかった。
自分は今、何を見てしまったのだろう。




