[11] 証言者の裏の顔
その夜、テオドラはサロン・ド・ラ・ヴェルニュにいた。
ここで働く約束の日まで、残り2日。
テオドラは厨房に向かってワゴンを押しながら、ミアとの会話を頭の中で反芻していた。
3年前の事故とは、ジョエル・フォールの落馬事故だった。
事故当日、ミアの父親はレアル・クラブの厩舎でフォンカッテ伯爵を見たと証言している。
しかし、ある貴族がフォンカッテ伯爵は自分と一緒にいたと証言していた。
ミアと別れた後も、テオドラは『ある貴族』の名が頭から離れなかった。
聞き覚えのある名前だった。
確証を得るため、その足で事務所へ戻り、アルベールに尋ねた。
「エメリク・アクトン男爵か。懐かしいな。詐欺で捕まったはずだ。今はどうしてるのか……ロイヤルレックス(官報の索引本)で検索してみたらどうだ?」
アルベールはそう言うと、資料室の鍵をテオドラに渡した。
テオドラは資料室に入り、ロイヤルレックスでエメリク・アクトン男爵を探した。
索引を頼りに官報を開き、審判公告を確認する。
「あった!」
エメリク・アクトン男爵は、金貸しを生業とする貴族だった。
2年前に詐欺で複数の貴族や平民から訴えられ、爵位を剥奪された上で投獄。
鉱山での受刑が確定していた。
テオドラは唇をぎゅっと結んだ。
「話を聞くなんて無理ね……」
テオドラは大きなため息をついた。
「ちょっと! 何、ぼーっとしてるのよ」
リリーに声をかけられ、テオドラは顔を上げた。
いつの間にか、ワゴンを押す手が止まっていた。
「あ! 申し訳ございません」
「気をつけないとダメよ……何? 考え事?」
テオドラはリリーを見つめた。
リリーは腕を組んで仁王立ちしている。
「何? お金のこと?」
「え? まぁ、そうですね」
テオドラはリリーに話を合わせることにした。
「クリスティーンは、頭は良いんだけど、愛想が無いのよ。もっと、愛想をよくすればもっと稼げるのに。キンバリー侯爵の3男は、あなた目当てでここ3日は通ってる」
「え? そうなんですか?」
テオドラはキンバリー侯爵の3男の顔を思い浮かべようとしたが、記憶になかった。
「眉毛が太くて小太りよ」
「うーん……」
「ミルト伯爵の次男だってそうよ。あなたにしかお酒を頼まない」
「え?……気づかなかったし、誰?」
リリーは大きなため息をついた。
「4日前には、ラングール伯爵の次男がお茶に誘ってたでしょ」
「……そんなこと、ありましたっけ?」
「ラングール伯爵がスイーツを頼んで、あんたが苺のケーキを美味しそうに食べてた」
「ああ。あれは本当に美味しかったです」
テオドラはケーキを思い出したが、ラングール伯爵の次男の姿かたちは思い出せなかった。
「その時、”もっと美味しいケーキを作っているサロンがあるのですが、一緒にどうですか?”って言われたでしょ」
テオドラは目を見開いた。
その言葉を忘れていたものの、リリーは一語一句憶えているらしい。
「リリーさんは、このサロンは、確か、5年目くらいでしたか?」
「そうよ。最初は厨房の皿洗いから、今は支配人も認めるナンバーワンサーバーよ」
胸を張るリリーが微笑ましい。
「経験も豊富ですけど、記憶力も抜群ですよね」
「え? ま、まあね」
てっきり得意げに胸を張ると思ったのに、リリーは頬を赤らめた。
記憶力を褒められることには、慣れていないらしい。
テオドラはダメもとで、リリーの記憶力に頼ることにした。
ここ、サロン・ド・ラ・ヴェルニュは上位貴族が集う場所で有名だ。
貴族なら誰もが憧れ、一度は訪れるという場所なのだから。
「私、知り合いから頼まれて、ブライ男爵家の次男、セオドア・ブライ様について調べてるんですけど」
テレーゼ・フォンカッテ伯爵令嬢の2番目の婚約者だった。
リリーはすぐに反応した。
「ああ。ブライ領は、ワインの産地で有名だもの。知ってるわよ。ここでも結構な量を仕入れてるわ……でも、次男は、今、寝たきりでしょ?」
テオドラの見込みは当たった。
聞き違いか確かめるように、リリーの顔をもう一度見た。
「寝たきり? どうして……」
テオドラがさらに話を聞こうとした時、甘く、人を誘うような声がした。
「なんだ、ここにいたのか」
振り返るとイグナーツが微笑んでいた。
その横には、アルフレッドもいた。
「あら、紳士がこんなところで何を?」
ここは厨房へ続く通路だ。
客がうろうろする場所ではない。
リリーが尋ねると、イグナーツがリリーの手を取った。
「探していたんだよ。また、一緒に飲みたくてね。な、アルフレッド!」
アルフレッドはテオドラを見つめた。
「ああ。イグナーツの言うとおりだ」
テオドラは思わず視線を逸らし、ワゴンを見つめた。
視線を落としたところで、居心地の悪さまで消えてはくれなかった。
たったこれだけのことで心を乱される自分が信じられなかった。
テオドラがワゴンを押して、プティ・サロンの個室へ入ると、リリーとイグナーツが並んで座っていた。
テオドラはワゴンからグラスと酒とつまみをテーブルに置き、しかたがなく、アルフレッドの隣に座った。
「昨日も今日もいらっしゃるなんて、どういう風の吹き回しですの? 閑職になったのかしら?」
リリーが茶化しながら、男たちに酒を注ぐ。
「うーん。昨日は私が誘ったけど、今日はアルフレッドが行くというからついてきたんだ」
「あら? そうなのですか?」
リリーは唇の端をほんの一瞬持ち上げ、アルフレッドを見つめた。
アルフレッドはグラスを口にしながら、リリーから視線を逸らした。
「嬉しいわね、クリスティーン」
突然、振られ、テオドラは口にしていた酒を吹き出しそうになった。
「さっきも話してたんですよ。クリスティーンが来てから、月に1回来るか来ないかの殿方たちがよく来てくださると」
リリーはテオドラを見つめて微笑んだ。
「そうなのか?」
アルフレッドはグラスを口元で止め、テオドラの顔を見た。
「いえ。そんな……リリーさんが大袈裟に言っているだけで……」
テオドラは両手を使って否定した。
「こんなアルフレッドは新鮮だな」
イグナーツが声を上げて笑う。
「私なんかより、リリーさんのほうがすごいです。先ほども話していたのですが、記憶力が抜群で」
テオドラは必死で話題をリリーに振った。
「ああ、確かにリリーの記憶力はすごい」
イグナーツが言うとリリーは嬉しそうに笑い、酒を注いだ。
「昨日も3年前のフォール侯爵家の落馬について覚えてたしな」
アルフレッドが相槌を打つ。
「他にどんなスキャンダルを覚えてる?」
イグナーツが面白半分にリリーに聞いた。
リリーは唇に人差し指を当て、思案顔をした。
「そうですねぇ。クリスティーンに夢中のミルト伯爵の次男様は、5年前の大失恋でお痩せになったのよね、確か」
「大失恋? ミルト伯爵の次男の5年前って言ったら15歳くらいだろ? 一体、誰にだ?」
リリーは得意げに笑い、小声で言った。
「それが、とある伯爵夫人ですのよ」
「はぁ?」
「しかも30歳を超えてらしたとか」
「リリー、名前を教えろ! どこの伯爵夫人だ? 顔を拝んでみたい」
イグナーツが身を乗り出す。
「フフフ。簡単には教えられませんわ」
「ミルト伯爵の次男がクリスティーンに夢中なのか……他は誰だ?」
イグナーツとリリーの笑いが止まった。
テオドラもアルフレッドの顔を見つめる。
どうして、そこが気になるのか。
「ええと……投資詐欺とか、そういうスキャンダルも多そうですけど」
テオドラは慌てて話を元に戻そうとした。
「え? ああ、そうね。こういうサロンでは本当に多いわ」
リリーは渋面を作った。
「特に2年くらい前にアクトン男爵の詐欺事件で、うちのサロンは大騒ぎで」
「ああ。あれは、ひどかったな。破産した家門が10以上あった。アルフレッド、お前のとこの婚姻管理局も大騒ぎだったろ?」
つまみに伸ばしかけたテオドラの手が止まった。
婚姻管理局?
よりによって、取り締まる側とは。
横目でアルフレッドを見ると、頷いていた。
「確かに……あの時は婚約破棄する家門が多く、寝る暇も惜しんで監査していた」
「婚約破棄の正当性のチェックや不正調査……でしたよね?」
リリーがアルフレッドのグラスに酒を注ぐ。
「そうだ」
リリーはグラスを見つめた。
「婚約破棄もお気の毒な話でしたけど、破産した家門の令嬢は娼館に売られたりして、見てられませんでしたわ」
「だが、気の毒なのは破産した令嬢だけでなかったようだぞ」
イグナーツの顔が曇る。
「アクトンは捕まるずいぶん前から、不必要な大金を貸して返せなくなった者の弱みを握り、妻や令嬢を利用していたらしいから」
いくつかの小さな違和感。
金貸し。詐欺。婚約破棄。弱み。
一つになりそうで、肝心なところがつながらない。
アクトン男爵がフォンカッテ伯爵のアリバイを証言したのは、なぜだろうか。




