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星嶺高校の氷凪くんは、たぶん恋を知らない。~恋愛偏差値0のアオが、学年1位の美少女とギャルを救い救われる話~  作者: にめ
年末年始

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第59話 新しい年のはじまり(3)

# 第59話 新しい年のはじまり








「青! 陽葵ちゃん! あけおめー!」


 聞き慣れた明るい声が飛んできたのは、その直後だった。


 振り向くと、黒金が人波の向こうから大きく手を振っている。今日は淡いブラウンのコートに赤いマフラーを巻き、いつもの華やかさはそのままに、どこかお正月らしい柔らかい雰囲気をまとっていた。その隣には乃愛と琉生もいる。乃愛は小さな耳当てをしていて、琉生はダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、きょろきょろと屋台を見ていた。


「明けまして、おめでとうございます」


 青と陽葵がそろって言うと、黒金は満面の笑みで近づいてきた。


「会える気がしてた!」


「人が多いのに、よく見つけたな」


「青、目立つし」


「理由になってない」


「なってるって」


 乃愛が青を見上げて、ぱっと顔を明るくする。


「あ、お姉ちゃんの彼氏!」


「違う違う違う!」


 黒金が即座に訂正した。


「彼氏じゃないから! まだ!」


 言ってから、自分で何を口走ったのか気づいたらしく、黒金の頬がうっすら赤くなる。青は何も言わず、陽葵が面白そうにそのやりとりを見ていた。


 琉生は琉生で、陽葵を見て素直に目を丸くした。


「可愛いお姉ちゃん」


「えっ、ありがと」


 陽葵が少し照れて笑うと、琉生は満足げに頷いた。


「お参りは終わったの?」


 黒金が尋ねる。


「ああ、おみくじを引いたところだ」


「なになにー?」


 黒金は遠慮なく青の手元を覗き込んだ。


「え……凶じゃん……」


「言うな」


「新年早々きついね」


「お前まで言うのか」


「私は大吉だったよ」


 陽葵が嬉しそうに見せると、黒金は「すごーい!」と素直に喜んだ。


「じゃあ陽葵ちゃんが今年の幸運担当だね」


「任せて」


「お兄ちゃんは不運担当?」


「やめろ」


 陽葵と黒金が同時に笑う。


 その光景を見て、青は小さく息をついた。うるさい。だが、悪くなかった。


   ◇


 せっかくだから一緒に屋台を回ろうという流れになり、青たちは黒金たちと並んで境内を歩くことになった。


 乃愛はすでにりんご飴に目を輝かせていて、琉生はたこ焼きと焼きそばのどちらにするか真剣に悩んでいる。黒金はその二人を見ながら、「一個ずつだからね」と姉らしく釘を刺していた。


「お兄ちゃん、たこ焼き食べたい」


 陽葵が言う。


「俺に言うのか」


「言うよ」


「食べられるのか」


「二個くらいなら」


「なら買う」


 青が財布を出しかけると、黒金が横からにやにやしながら見てきた。


「やさしー」


「うるさい」


「今年も過保護だね」


「元旦からお前に言われたくない」


 たこ焼きの屋台の前では、熱々のソースの匂いが立ち上っていた。青は一舟買って、まず陽葵に渡す。


「熱いから気をつけろ」


「子ども扱いしすぎ」


 そう言いつつ、陽葵はふうふうと息を吹きかけてから、小さく一個口に運んだ。


「……おいしい」


「そうか」


「お兄ちゃんも食べる?」


「いや、いい」


「一個だけ」


 陽葵が爪楊枝で刺して差し出してくる。青は少し迷ったが、断るほうが面倒だと思って受け取った。


「どう?」


「普通だ」


「普通ってなに」


「たこ焼きの味だ」


「感想が下手」


 その横で、乃愛はりんご飴を持ってご機嫌だった。


「お姉ちゃん、見て、赤い!」


「りんご飴は元から赤いよ」


「でもきれい!」


 黒金は笑いながら乃愛の前髪を整えてやっている。琉生は焼きそばを頬張りながら、「神社って毎年こんなにうまいもの多いの?」と真剣な顔で聞いていた。


「神社がうまいんじゃなくて、屋台がうまいの」


 陽葵がそう教えると、琉生は「なるほど」と妙に納得していた。


 次に立ち寄ったのはベビーカステラの屋台だった。甘い匂いに陽葵が足を止めたのを、青は見逃さなかった。


「食べるか」


「……ちょっとだけ」


「じゃあ少ないやつを買う」


「うん」


 紙袋に入った小さなカステラは、手のひらからじんわり温かかった。陽葵は一つつまんで口に入れ、目を細める。


「これ、好き」


「昔もよく食べてたな」


「お祭り行くと絶対買ってた」


「お前が毎回欲しがったからな」


「お兄ちゃん、毎回買ってくれた」


 その言葉に、青は一瞬だけ視線を逸らした。


 覚えている。

 夏祭り、商店街の縁日、学校帰りのイベント。

 陽葵は昔から、こういう甘い屋台の匂いに弱かった。


 黒金がその会話を聞いて、どこか優しい目をした。


「仲いいよね、ほんと」


「普通だ」


「普通の兄妹は、そこまで相手の好み把握してないと思うけど」


「そうかな」


 陽葵が首を傾げる。


「うん。すごいことだよ」


 黒金のその言葉に、青は何も返さなかった。


 すごいことではない。

 ただ、自分にとってはそれが当たり前だっただけだ。


   ◇


 境内を一周する頃には、手にした紙袋や食べ物が少し増えていた。


 甘酒の屋台の前では、黒金が「これはお正月っぽいから」と言って皆の分を買ってきた。青は断ろうとしたが、陽葵が「飲みたい」と小さく言ったので結局受け取ることになった。


 紙コップから立ち上る湯気が、冬の空気の中で白く揺れる。


「おいしい」


 陽葵が両手でコップを包みながら言う。


「体あったまるね」


「ああ」


 黒金はそんな二人を見て満足そうに笑った。


「新年って感じするでしょ?」


「する」


 陽葵が素直に答える。


「今年もよろしくね、結愛ちゃん」


「うん、よろしく。陽葵ちゃんも」


 そのやりとりは自然で、あたたかかった。


 黒金はもう、青のクラスメイトというだけではない。陽葵にとっても、ちゃんと信頼できる相手になっている。それが青には少しだけありがたく、少しだけ不思議だった。


「青は?」


 黒金が急にこちらを見る。


「何がだ」


「今年もよろしく、でしょ」


「……よろしく」


「うん」


 満足そうに頷く黒金に、青は小さくため息をついた。


 屋台を回っているあいだ、陽葵は何度も笑っていた。乃愛と一緒に綿あめの大きさに驚いたり、琉生が金魚すくいに挑戦しようとして黒金に止められるのを見て吹き出したり、屋台のくじ引きで外れしか引かない青を見て「凶の人だ」とからかったり。


 そのひとつひとつが、普通の元旦の一場面だった。


 普通で、ありふれていて、だからこそ尊い。


 青は人混みの中で、ときどき陽葵の横顔を見ていた。

 笑っている。

 ちゃんと楽しんでいる。

 少し疲れた顔をするときもあるが、すぐに持ち直して、また小さく笑う。


 そのたびに、今日来てよかったと心から思った。


   ◇


 しばらくして、黒金が時計を見て言う。


「そろそろ帰ろっか。乃愛も琉生も、さすがに寒くなってきたでしょ?」


「まだ平気!」


 乃愛が元気よく言い、琉生も「僕も」と続ける。だが鼻先は少し赤くなっていた。


「平気じゃないやつの顔してる」


 黒金が即答すると、二人はそろって黙り込んだ。


 青と陽葵も、それには異論がなかった。


「じゃあ、ここで」


 青が言うと、黒金は頷いた。


「うん。またね」


「またね、結愛ちゃん」


 陽葵が手を振る。


 乃愛も大きく手を振り返した。


「またね、お姉ちゃん! お兄ちゃんも!」


 琉生は少し照れくさそうにしながらも、「また」と小さく言った。


「明けましておめでとうございました!」


 乃愛が妙に丁寧に頭を下げて、黒金が「それはちょっと変」と笑う。


 そんな賑やかなやりとりのあと、黒金たちは人波の向こうへ消えていった。


   ◇


 帰り道は、行きより少しだけ静かだった。


 陽葵もさすがに疲れたのか、歩く速度が少しゆっくりになっている。けれど表情は穏やかで、どこか満ち足りていた。


「疲れたか」


「ちょっとだけ」


「大丈夫か」


「うん。でも、いい疲れ」


 昨日も聞いた言葉だな、と青は思った。


「今日、すごく楽しかった」


 陽葵は前を向いたまま、静かに言った。


「そうか」


「うん。ちゃんと元旦って感じした」


 少し間があってから、陽葵が空を見上げる。


 冬の陽はまだ高いが、空気はどこか夕方の気配を含み始めている。冷たい光の中、二人の影が道路に長く伸びた。


「今年、いい一年になるといいな」


 その言葉に、青はすぐには答えられなかった。


 いい一年。


 そう願いたい。

 そうであってほしい。

 けれど、その願いをまっすぐ口にしてしまうのが、なぜだか怖かった。


 青は少しだけ間を置いてから言う。


「……なるようにする」


 陽葵が、ふっと笑った。


「お兄ちゃんらしい」


「そうか」


「うん。『きっと大丈夫』じゃなくて、『そうなるようにする』って言うところ」


 陽葵はそう言って、マフラーに口元を埋めた。


「でも、そういうところ、好きだよ」


 青は何も返さない。

 返せない。


 ただ、隣を歩く歩幅だけは、ほんの少しだけゆっくりにした。


   ◇


 マンションが見えてくる頃、陽葵はぽつりと呟いた。


「帰ったら、さっきの大吉、もう一回読もうかな」


「好きにしろ」


「お兄ちゃんの凶も、写真撮っとけばよかった」


「やめろ」


「記念になるのに」


「ならない」


「今年ついてないことあったら、『ああ、これおみくじ通りだ』って笑えるじゃん」


「笑えない」


 陽葵は声を立てて笑った。


 その笑い声が、冬の空気に溶けていく。


 青はその横顔を見て、胸の奥に小さく祈るような感情を抱いた。


 どうか、この一年が陽葵に優しいものでありますように。

 どうか、この笑顔が少しでも長く続きますように。


 神社で願ったのと同じことを、結局また心の中で繰り返している。自分でも笑えるくらい、願いはひとつしかなかった。


 新しい年の始まり。

 元旦。

 晴れた空。

 あたたかい雑煮。

 人混みの中でつないだ手。

 大吉と凶。

 黒金たちとの偶然の再会。

 屋台の匂いと、甘酒の湯気と、陽葵の笑い声。


 その全部が、青の胸の中に静かに積み重なっていく。


 ありふれているはずの一日だった。

 けれど青にとっては、何よりも大切な元旦になっていた。


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