↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星嶺高校の氷凪くんは、たぶん恋を知らない。~恋愛偏差値0のアオが、学年1位の美少女とギャルを救い救われる話~  作者: にめ
年末年始

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
95/141

第59話 新しい年のはじまり(1)

# 第59話 新しい年のはじまり


 元旦の朝は、不思議なくらい静かだった。


 昨日まであれほど街を満たしていた年末の慌ただしさが、ひと晩ですっと引いている。窓の外には、よく晴れた冬の空が広がっていた。雲は薄く、空気は透き通っていて、遠くの建物の輪郭までくっきり見える。


 青はいつも通りの時間に起きていた。


 寝不足というほどではないが、眠りは浅かった気がする。夜中に何度か目が覚め、そのたびに廊下の先の陽葵の部屋の方へ意識が向いた。様子を見に行こうかとも思ったが、起こしてしまうのも嫌で、結局は天井を見つめて朝を待った。


 それでも、今こうして台所に立っていると、胸の奥には静かな安堵があった。


 陽葵が家にいる。

 その事実だけで、この朝はいつもと違う意味を持っていた。


 鍋の中では雑煮のだしが温まっている。鰹と昆布の匂いが、ゆっくりと部屋に広がっていく。まな板の上には、昨夜のうちに切っておいたねぎとかまぼこ。小さな重箱の代わりに使う器には、黒豆、伊達巻、数の子、栗きんとんを少しずつ詰めてある。本格的なおせちとは言えないが、二人で食べるには十分だった。


 青は餅を焼きながら、ふとリビングの方を見る。

 誰もいないソファ。

 静かなテレビ。

 昨日、陽葵が抱えたまま眠っていた白いウサギのぬいぐるみは、今はリビングにはない。きっと部屋に持って行ったのだろう。


 年が明けた。

 当たり前のことなのに、その当たり前が今年はやけに重く感じられた。


 新しい年が来たということは、受験が近づいたということでもある。

 そしてそれは、陽葵の時間もまた、容赦なく先へ進んでいるということだった。


 青は雑念を振り払うように、味を確かめる。


 少し薄めでいい。

 陽葵が食べやすいように。


 湯気の向こうで、時計の針が静かに進んでいく。


   ◇


 しばらくして、廊下の向こうからゆっくりとした足音が聞こえた。


 青が顔を上げると、陽葵が眠たそうな目をこすりながらリビングの入口に立っていた。


「……おはよう」


 声にはまだ眠気が残っている。髪は少しはねていて、頬にも寝跡がうっすら残っていた。もこもこの薄いピンクのパーカーに、白っぽいルームパンツ。病院ではなかなかできない朝寝坊をしたせいか、いつもよりずっと年相応に見える。


「おはよう」


 青は雑煮の鍋に火をかけたまま言った。


「朝ごはんの準備がもうすぐできるから、顔を洗っておいで」


「ふぁーい……」


 返事まで眠そうで、青はわずかに口元を緩めた。


 陽葵はそのまま洗面所へ向かう。ふらついているわけではないが、目覚めたばかりのゆっくりした足取りだ。家の中だからこそ見られる、無防備な姿だった。


 病院にいると、朝はだいたい決まった時間に起こされる。検温や回診の都合もあるし、食事も決まった時刻に運ばれてくる。自分のペースで目を覚まして、自分の家の洗面所で顔を洗って、のんびり朝の準備をする。


 そんな普通のことが、陽葵にとっては久しぶりなのだと考えると、青は胸の奥が静かに締めつけられた。


 餅が焼ける香ばしい匂いが立ちのぼる。

 青は皿におせちを並べ直し、箸を揃え、湯飲みに温かいお茶を入れた。


 少しして、洗面所から戻ってきた陽葵が、リビングに入った瞬間、ぱっと表情を明るくした。


「わー、すごい。お正月みたい!」


 テーブルの上には、小皿に盛られたおせち料理と、湯気の立つ雑煮が並んでいる。豪華というほどではない。けれど、ちゃんと「元旦の食卓」に見えるだけの温かさがあった。


 青は雑煮の椀を置きながら言う。


「って、お正月だよ」


 一拍おいて、陽葵が吹き出した。


「そっか。ほんとだ」


 青もつられて少し笑う。


 たったそれだけのやりとりなのに、部屋の空気が柔らかくなる。


 陽葵は席に着いて、目の前の料理を嬉しそうに見つめていた。


「黒豆まである」


「市販のやつだけどな」


「伊達巻もある」


「それも市販だ」


「大事なのは気持ちです」


「便利な言葉だな」


「元旦は全部それで許されるの」


 そう言って笑う陽葵の顔は、昨日の夜よりも少しだけ血色がよく見えた。


「いただきます」


「いただきます」


 雑煮の湯気が二人の間で揺れる。


 陽葵はまず一口、慎重に汁を飲んだ。それから目を丸くして、ほっとしたように笑う。


「おいしい」


「そうか」


「うん。なんか、ちゃんと家の味」


 その言葉に、青は少しだけ視線を落とした。


 家の味。


 誰かがそう言ってくれるような料理を、自分が作れるとは思っていなかった。必要だから覚えただけだ。陽葵が食べられるものを作るために、失敗しながら覚えた味付けだ。


 それでも、今こうして陽葵が嬉しそうにしているなら、それで十分だった。


「餅、熱いから気をつけろ」


「わかってる。もう子どもじゃないよ」


「昨日もソファで寝てたやつが言う台詞じゃないな」


 陽葵がぴたりと箸を止める。


「……起きたらベッドだった」


「運んだ」


「やっぱり」


「風邪を引く」


「えへへ、ありがと」


「礼はいらない」


「いるの」


 陽葵はそう言って、また雑煮を口に運んだ。小さく、でもちゃんとおいしそうに食べている。その姿を見るたびに、青の中の何かが少しずつほどけていく。


「来年も食べたいな」


 陽葵が何気なく言った。


 青の手が、一瞬だけ止まる。


「作る」


 ほとんど間を置かずに、青は答えていた。


 陽葵はその返事を聞いて、ふわりと微笑む。


「うん」


 それだけだった。

 それ以上、何も言わない。


 けれど、その短いやりとりが、青の胸にはやけに深く残った。


   ◇


 朝食のあと、陽葵はお茶を飲みながら窓の外を眺めていた。


 快晴だった。雲ひとつないというほどではないが、白く薄い雲が高いところに浮かんでいるだけで、空はどこまでも青い。住宅街の道には、いつもより人影が多い。家族連れ、振袖姿の女性、小さな子どもの手を引く両親。みんな、どこか晴れやかな顔で同じ方向へ歩いている。


「初詣、行きたい」


 陽葵がぽつりと言った。


 青は湯飲みを置いて、そちらを見る。


「近くの神社か」


「うん。お正月っぽいこと、したい」


 その言い方が、少しだけ子どもっぽくて、青はすぐに否定できなかった。


 外は寒い。人も多い。体調を考えれば無理はさせたくない。けれど、今日の陽葵の顔は朝からずっと明るかった。その明るさを曇らせるのも嫌だった。


「混んでるぞ」


「わかってる」


「疲れたらすぐ帰る」


「うん」


「無理はしない」


「うん」


「ちゃんと休みながら——」


「お兄ちゃん」


 陽葵が笑いを堪えるような顔で青を見た。


「まだある?」


「……ない」


「じゃあ、支度してくる」


 そう言って立ち上がる陽葵の足取りは軽かった。


   ◇



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。