第9話 青くんの好きな人
# 第9話 青くんの好きな人
放課後の校門。
夕方の空気は昼間よりも少し涼しく、校舎の影が長く伸びていた。部活動の掛け声が遠くから聞こえる。
氷凪青は校門を出て、ゆっくり歩き始めた。
その隣には椎名紬がいる。
紬は少しだけ嬉しそうな顔をしていた。
「今朝も……本当にありがとうございました」
紬はそう言って、小さく頭を下げる。
「これからも学校に通えそうです」
青は歩きながら答える。
「いや」
「これも生徒会の仕事らしい」
「礼なら如月先生に言ってくれ」
相変わらず淡々とした言い方だった。
紬は少し笑う。
「いえ」
「今回は氷凪先輩に助けられました」
青は少し考える。
「俺は何もしてない」
紬は首を振った。
「そんなことないです」
「先輩が隣にいてくれたから……あの教室に入れました」
青は特に何も言わなかった。
ただ、少しだけ歩く速度を緩めた。
住宅街の道に入る。
人通りが少なくなり、二人の足音だけが聞こえていた。
紬は少しだけ青の方へ寄る。
「あのー」
「なんだ」
「これからも……下の名前で呼んでくれませんか?」
青は一瞬だけ考える。
「あ、悪い」
「まだ演技中だったな」
「わかった」
紬は慌てて首を振る。
「そういう意味じゃなくて」
青が首を傾げる。
「?」
「演技終わってからもです」
紬は少し照れたように視線を逸らしていた。
青は数秒考えて言う。
「ああ」
「構わないよ」
紬の表情がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます」
「じゃあ……」
紬は少し勇気を出す。
「あたしも青くんって呼んでいいですか?」
青は歩きながら答える。
「好きに呼んで構わない」
紬は嬉しそうに言う。
「ありがとうございます」
「氷凪先輩……じゃなかった」
「青くん」
その言葉と同時に。
紬はそっと青の手を握った。
青はちらりと手を見る。
(また手か)
紬は少し照れながら言う。
「……彼女ですから」
青は一瞬だけ黙る。
「作戦か」
「はい」
紬はいたずらっぽく笑う。
「彼女のフリです」
青はため息をつく。
「結構ノリノリだな」
「だって青くん優しいから」
「?」
「手、離さないでくれるし」
青は特に否定もしない。
そのまま歩く。
少し歩いたところで。
紬が青の腕にくっついた。
青が止まる。
「どうした」
「彼女っぽいかなって」
「そうか」
紬は少し甘えるような声で言う。
「青くんって」
「彼女できたらこういうことするんですか?」
青は少し考える。
「わからない」
「え?」
「考えたことない」
紬は思わず笑った。
「ほんと恋愛に興味ないんですね」
「ない」
紬は少し歩きながら言う。
「青くんは」
「その……」
青が視線を向ける。
「なんだ」
紬は少し迷ってから言った。
「黒金先輩みたいな人が好みなんですか?」
青の足が少し止まる。
「どうして急に?」
「いや……なんとなく」
青は少し考える。
「違うと思うぞ」
紬が驚く。
「え?」
「結愛は明るいし元気だし」
「まっすぐなのはいいと思う」
紬は内心で思う。
(やっぱりそうなんだ……)
少し落ち込みながら、紬は次の質問をした。
「じゃあ」
「雪城会長みたいな女性ですか?」
青は少し驚いた顔をした。
「なんでそうなる」
紬は言う。
「綺麗で」
「頭もよくて」
「生徒会長で」
青は首を振る。
「違う」
紬はさらに言う。
「じゃあ……雫ちゃん?」
青はすぐ言う。
「違うって」
紬はくすっと笑った。
「じゃあどんな人が好みなんですか?」
青は少し考える。
しかし。
「考えたことないな」
紬は目を丸くする。
「え?」
「なぜそんな質問を?」
紬は慌てて言う。
「あ、えっと……クラスの子に聞かれて」
青は納得したように頷く。
「なるほど」
そして適当に答える。
「じゃあ結愛みたいな人って言っといてくれ」
紬は固まる。
(やっぱりそうなんだ!)
しばらく歩いて。
紬の家が見えてきた。
紬は少し立ち止まる。
「あの」
「?」
「以前」
「私と会ったこと覚えてません?」
青は少し考える。
「どこかで……」
「会ったことあるっけ?」
そして申し訳なさそうに言う。
「ごめん」
「覚えてない」
紬は少しだけ寂しそうに笑った。
「そうですか」
「いいんです」
紬は家の門の前に立つ。
そして振り返る。
「今日は本当にありがとうございました」
少し間を置いて。
「それでは」
「さようならです」
しかし。
紬はもう一度振り返った。
「明日から」
「ちょっとずつ」
「青くんの好みに近づけるように頑張ります」
青は首を傾げる。
「おお」
「じゃあまた明日」
紬は家の中へ入っていく。
青は帰り道を歩きながら考えた。
(俺の好み?)
(なんでそんな話になったんだ)
それからしばらく。
恋人のフリは続いた。
朝は紬を迎えに行き。
帰りは家まで送る。
その日々の中で。
紬の髪型は少し変わり。
仕草も。
話し方も。
少しずつ変わっていった。
だが。
氷凪青は。
その変化にまったく気づいていなかった。




