第53話 三人のクリスマス(2)
# 第53話 三人のクリスマス
「お兄ちゃん?」
乃愛の声で意識を戻す。
「これ、つけて」
渡された金色の星を受け取り、青は背伸びもせずにツリーの一番上へ飾った。乃愛が「わぁ」と声を上げる。
「すごい、ぴったり!」
「これでいいか」
「うん! ありがと、お兄ちゃん!」
その笑顔に、青はほんの少しだけ目を細めた。
キッチンの方では、結愛と紬が並んでいた。結愛はエプロン姿で、手際よくオーブンやコンロを使い分けている。紬は補助に回りながらも「すごいです」「わぁ」といちいち感動していて、その反応がいちいち大きいから、結愛が少し得意そうにしていた。
「青、悪いんだけどそっちのグラタン皿運んでくれる?」
「わかった」
「熱いから気をつけてね」
言われた通り、厚手のミトンを使って皿を持つ。
「青先輩、エプロンつけます?」
紬が目を輝かせて訊いてきた。
「いらない」
「えー、絶対似合うのに」
「青がエプロンとか、ちょっと見たいかも」
「結愛まで」
結愛がいたずらっぽく笑って、引き出しから予備のエプロンを取り出した。
「はい、これ」
「いらないって」
「いいからいいから。油はねるし」
結局、半ば強引に着せられた。
黒を基調としたシンプルなエプロンだったせいで、思ったより違和感はない。だが、紬が両手を胸の前で組んで、妙にうっとりした顔をするのはやめてほしかった。
「……似合ってます」
「そうか」
「青先輩って、こういう生活感ある格好すると破壊力すごいですね……」
「意味がわからない」
結愛が噴き出す。
「紬ちゃん、ほんとわかりやすいなぁ」
「だって本当なんですもん」
言いながら、紬は青のエプロンの肩紐にそっと触れた。
「ちょっと曲がってます」
「……自分で直す」
「私が直したいんです」
さらりと言われて、青は一瞬黙る。
距離が近い。
紬は悪気なくそういうことを言う。わかっている。だからこそ、余計に反応しづらい。
結局、青が何か言う前に紬は背伸びして肩紐を整えた。
「はい、完璧です」
「……ありがとう」
その一言だけで、紬は満足そうに頬を緩めた。
少しして、インターホンが鳴った。
結愛がぱっと顔を上げる。
「来たかな」
エプロンの裾で手を拭きながら玄関へ向かう。その背中を、青は無意識に見送っていた。
数秒後。
リビングの入り口に、白い気配が現れた。
「遅れてごめんなさい。プレゼントを選んでいたら、少し」
雪城凛花だった。
真っ白なコートに、白い帽子。長い銀髪の先にまだ外気の冷たさが残っているのか、頬がわずかに赤い。部屋の暖かな光の中で、その姿だけがまるで雪の中から切り取られてきたみたいだった。
乃愛が真っ先に反応する。
「わぁ、きれいなお姉ちゃん!」
凛花は少し目を丸くして、それからやわらかく微笑んだ。
「こんばんは。乃愛ちゃん、だったかしら」
「うん!」
青は何も言わなかった。
言葉にしなくても、十分だった。
綺麗だと思った。
たぶん、その一言で足りるくらいに。
だが、凛花と目が合うと、向こうもほんの少しだけ視線を止めてから、静かに口を開いた。
「青も、来ていたのね」
「……ああ」
それだけの会話なのに、以前よりはずっと自然だった。
結愛が場の空気を明るくするように両手を打つ。
「よーし、これで全員集合! 凛花ちゃん、ちょっとだけ手伝ってもらってもいい?」
「もちろん」
凛花はコートを脱ぎ、結愛から借りたエプロンを身につけた。
それがまた、妙に似合っていた。
紬がこっそり青に寄ってくる。
「凛花先輩、すごくきれいですね」
「そうだな」
青があっさり頷くと、紬は一瞬むっとしたような顔になった。
「……そこ、そんな素直に認めるんですね」
「事実だろ」
「そうですけどぉ」
なぜか不満そうだった。
結愛と凛花はキッチンに並ぶと、意外なほど息が合っていた。
「凛花ちゃん、それお願いしていい?」
「ええ。切り分ければいいのよね」
「そうそう。わ、包丁さばききれい」
「家庭科は嫌いじゃないの」
凛花は動作が無駄なく綺麗だ。丁寧で、でも遅くない。青は皿を運びながらその横顔を見て、やはりこの人は何をやらせても様になるのだと思った。
「青、これテーブルにお願い」
「ああ」
トレーを受け取ろうとした瞬間、凛花の指先が青の手に触れた。
ほんの一瞬。
それだけで、二人の動きがわずかに止まる。
「……悪い」
「いいえ」
凛花はそれ以上何も言わなかったが、視線だけが少し揺れた。
紬はその一部始終を見てしまっていたらしく、スプーンを持つ手に少しだけ力が入っている。結愛も気づいていないわけがないのに、あえて何も言わず、いつも通りの明るい声を出した。
「はいはい、そろそろ料理並べるよー!」
*
テーブルの上に料理がずらりと並ぶと、それだけで歓声が上がった。
ローストチキン、ミニピザ、グラタン、ポテト、サラダ、コーンスープ、サンドイッチ、そして青と紬が買ってきたケーキ。さらにお菓子やジュースまで加わって、食卓は小さなパーティ会場のようだった。
「すごい……」
紬が目を輝かせる。
「結愛先輩、本当にこれ作ったんですか?」
「全部じゃないよ。買ったのもあるし。でも、グラタンとスープとチキンは頑張った」
「十分すごいです……!」
結愛は少し照れたように笑って、青を見る。
「青もそう思うでしょ?」
「……すごいな」
短い感想だったが、結愛はそれだけで満足そうだった。
「でしょ?」
凛花も料理を見渡して、素直に言う。
「本当に、どれも美味しそう。結愛ちゃんはすごいわ」
「えへへ、ありがと」
弟妹も席につき、全員でグラスを持つ。
「じゃあ――」
結愛が笑顔で音頭を取った。
「メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
グラスが小さく触れ合う音。
その瞬間だけ、受験も、家庭の事情も、言葉にしづらい感情も、全部少し遠くへ追いやられた気がした。
食事が始まると、乃愛と琉生ははしゃぎっぱなしだった。
「お兄ちゃん、これ取って!」
「青にーちゃん、ジュース!」
青は自然に皿を取ってやったり、コップに注いでやったりしている。自分では特に意識していないが、その動きに無駄がないのは、長く陽葵の世話をしてきたからだろう。
結愛はその様子を何度もちらちら見ていた。
「青ってさ」
「何だ」
「ほんと、子どもの扱いうまいよね」
「慣れてるだけだ」
そう答えて、青はそこで言葉を止めた。
陽葵のことに繋がるからだ。
だが、凛花も結愛も、その言葉の先を無理に聞こうとはしなかった。
代わりに乃愛が無邪気に言う。
「お兄ちゃん、やさしい!」
それだけで、少し救われた気がした。
紬はグラタンを一口食べるなり、目をまん丸にした。
「おいしいです……! これ、お店で出せますよ!」
「大げさだって」
「大げさじゃないです! 青先輩も食べてみてください!」
「今食べてる」
「どうですか?」
「美味い」
紬はなぜか自分が褒められたみたいに嬉しそうだった。
「よかったです」
「椎名が作ったわけじゃないだろ」
「気持ちです」
意味がわからない、と青は思ったが口には出さなかった。
凛花はコーンスープを口にして、ふっと表情を和らげた。
「温かい……」
その何気ない呟きが、青には少し珍しく感じられた。学校で見る凛花は、もっと隙がない。けれど今は違う。弟妹の声や結愛の笑い声に囲まれて、少しだけ肩の力が抜けている。
結愛もそれを感じたのか、嬉しそうに言った。
「でしょ? 今日は勉強のこと禁止ね」
「完全に、は難しいわ」
「そこは言葉の綾だって」
凛花が小さく笑う。
その笑顔が見られただけで、今日ここへ来た意味はあったのかもしれない、と青は思った。
食事が一段落すると、乃愛が待ちきれない様子で立ち上がった。
「ゲームしたい!」
「僕も!」
琉生も即座に賛同する。
「はいはい、じゃあ片付けたらね」
結愛が言うと、二人は競うように皿を運び始めた。途中で危なっかしくなったため、結局青も手伝うことになる。
「青先輩、こっちお願いします」
紬がシンクの前で皿を受け取りながら声をかける。青が皿を渡すたび、なぜか紬の指先がわざとらしく触れてくる気がした。
「……紬」
「はい?」
「わざとか」
「なんのことでしょう」
にこにこしている。
たぶん、わざとだ。
その横で結愛が笑いを堪えきれずに肩を揺らし、凛花はそんな三人を見ながら、少しだけ視線を伏せた。
青はその表情に気づいたが、何も言えなかった。
*




