第53話 三人のクリスマス(1)
# 第53話 三人のクリスマス
クリスマスイブの夕方。
駅前は、どこを見ても赤と緑と金色だった。街路樹には小さな電飾が巻かれ、店先からは陽気なクリスマスソングが流れてくる。行き交う人々の足取りもどこか浮き立っていて、吐く白い息までこの日だけは少し楽しげに見えた。
そんな中で、氷凪青は片手に大きなケーキの箱、もう片方に菓子の入った袋を提げたまま、駅前の時計台の下に立っていた。
「青先輩、お待たせしましたぁ」
ふわり、と柔らかな声が聞こえて振り向く。
椎名紬が、小走りでこちらへやってきた。ベージュのコートに白いマフラー、耳まで隠れるニット帽。寒そうに肩をすくめているのに、頬だけは上気していて、いかにも楽しそうだった。
「遅くなってませんか?」
「いや、ちょうどだ」
「よかったぁ」
紬は青の持つケーキの箱を見て、嬉しそうに目を細めた。
「それ、ちゃんと崩れてないですか?」
「店員に傾けないでくださいって三回言われた」
「ふふっ。青先輩、そういうところ真面目ですよね」
「普通だ」
青が淡々と返すと、紬は「普通じゃないです」と小さく笑った。
少し前から、こういう会話にも青はもういちいち戸惑わなくなっていた。紬は距離が近い。言葉も柔らかいし、表情もころころ変わる。最初は振り回される感覚が強かったが、今では彼女のそういう部分を「椎名らしい」と思えるようになっていた。
「でも、クリスマスイブに青先輩と一緒に歩けるなんて、ちょっと特別ですね」
「結愛の家に行くだけだろ」
「そういうことじゃないんですけどねぇ」
紬はわざとらしく肩をすくめてみせ、それから青の持っている袋の片方をひょいと覗き込んだ。
「お菓子いっぱい買いましたね」
「乃愛と琉生がいるから、多い方がいいだろうって結愛が」
「黒金先輩、ほんと面倒見いいですよね」
そこで紬は、少しだけ言葉を切った。
「……凛花先輩も、来ますよね?」
青は歩き出しかけた足を止めるほどではなかったが、わずかに返事が遅れた。
「来るって言ってた」
その一言に、紬もそれ以上は踏み込まなかった。
最近、青と凛花の間には言葉にしづらい距離があった。会話はできる。視線も交わせる。けれど、以前のように何も考えず隣に立てる感じではない。
それでも、今日は違う。
クリスマスイブというだけで、普段なら選ばないような時間を選んでいる気がした。理屈ではなく、ただ結愛に誘われたから来た。それだけのはずなのに、胸の奥が少しだけ落ち着かない。
けれど、今日くらいは。
今日くらいは、考えすぎない方がいいのかもしれなかった。
「行きましょう、青先輩」
「ああ」
二人は駅前を離れ、結愛の家へ向かった。
*
黒金家の前に着くと、家の中からすでに楽しげな物音が聞こえてきた。明かりも温かく、窓の隙間から色とりどりの電飾がちらついて見える。
青がインターホンを押すと、ばたばたと足音が近づいてきて、次の瞬間、勢いよく扉が開いた。
「メリークリスマース!」
そこに立っていたのは、サンタ帽にひげ付きメガネ、さらに頭の上に何故か小さなとんがり帽子まで乗せた黒金結愛だった。
情報量が多い。
「……何その格好」
「クリスマス仕様ですけど?」
「ひげいるか?」
「いるでしょ。テンション上がるし」
結愛はどや顔でひげを指先でつまみ、紬の方にもぱっと笑いかけた。
「紬ちゃんもようこそ!」
「お邪魔します」
「青先輩と二人きりのクリスマスにはさせませんからね」
紬がにこにこしながらそう言うと、結愛は一瞬目を丸くしたあと、すぐに口元を緩めた。
「はいはい、わかってますー。あたしもそんなつもりないですー」
「なんか余裕ですね」
「余裕ですよ。今日はみんなで楽しく、だから」
その「みんな」の中に、ちゃんと凛花が入っているのが結愛らしかった。
「とりあえず入って入って。寒いでしょ」
結愛に促され、青と紬は玄関へ足を踏み入れた。
それだけの短いやり取りでも、どこか特別な空気があった。
こういう家の空気は、青にとって少し眩しい。
温かくて、騒がしくて、誰かが次々に話しかけてきて、笑い声が自然に重なっていく。その真ん中に自分がいることに、まだ少しだけ慣れない。
けれど、不快ではなかった。
むしろ――。
「青、ぼーっとしてないで上がってよ」
「……ああ」
結愛に呼ばれ、青は靴を脱いだ。
*
リビングに入ると、さらにクリスマスらしさが増した。大きめのツリーには金や赤の飾りが揺れ、壁にはガーランド。窓際には電飾が這っていて、部屋全体がふんわりと暖色に包まれている。
「すごいですね……」
紬が感嘆の声を漏らした。
「飾り付け、乃愛と琉生が頑張ったの」
「これ、二人で?」
「うん。まあ、途中で喧嘩して泣いてたけど」
「泣いてない!」
「琉生が先に私の飾り取ったんだもん!」
またすぐに兄妹喧嘩が始まりそうになり、結愛が「はいはいあとでね」と手を叩いて流す。
「とりあえず、まだ少し準備残ってるから手伝ってもらっていい?」
「もちろんです」
「問題ない」
そこへ乃愛が勢いよく手を上げた。
「お兄ちゃんはわたしとツリーやって!」
「え」
「星つけるの、高くて届かないの!」
青はツリーのてっぺんを見た。確かに乃愛の身長では難しい。
「わかった」
「やったぁ!」
紬がじっとそのやり取りを見てから、にっこり笑う。
「青先輩、ほんと子どもに優しいですよね」
「別に普通だ」
「またそれ」
結愛が横からくすっと笑った。
「その『普通』、青の基準ちょっとおかしいからね」
青は何も返さなかった。
乃愛に手を引かれ、ツリーの前へ行く。小さな手が、何の迷いもなく自分を頼ってくる。その感触に、ふと陽葵のことを思い出した。
子どもの頃の陽葵も、よくこうして青の手を引いた。高いところのものが取れない時。転びそうになった時。怖い夢を見た夜。
今は病院にいる。
今日は、少しだけ長くいられるように昼間に顔を出してきた。陽葵は「お兄ちゃん、今日は楽しんできてね」と笑って送り出してくれた。自分がいないことで青が気を遣うのがわかっていたのだろう。
あいつは本当に、そういうところがある。




