第47話 舞台の上の二人
# 第47話 舞台の上の二人
文化祭一日目の午後。
中庭には、これまでで最大の人だかりができていた。
簡易的に組まれた特設ステージ。その周囲を取り囲むように、生徒、他校の来場者、保護者、地域の人々が幾重にも重なっている。上階の渡り廊下やベランダにも人影が並び、スマートフォンを構えた手が一斉にステージへ向けられていた。
焼きそばやたこ焼きの匂い、スピーカーから流れる軽快な音楽、遠くで聞こえる別の企画の歓声――学校全体がひとつの巨大な祭りになっている。
『お待たせしました! ただいまより、ミス星嶺コンテストの結果発表を行います!』
司会の声が響いた瞬間、空気が一段階引き締まった。
青は人波の外れ、ちょうど中庭を見下ろせる位置に立ち、静かにステージを見上げていた。
凛花を探してここまで来たが、まさかこんな大舞台の中央にいるとは思わなかった。
ステージ上には数人の女子生徒が並んでいる。華やかなドレス、制服アレンジ、コスプレ衣装――それぞれが文化祭らしい装いだ。
だが、その中心に立つ凛花の存在感は、明らかに別格だった。
先ほどまでオーロラ姫を演じていたドレスのまま。淡い光を受けて、布の層が柔らかく輝いている。まるで舞台の上からそのまま現実へ降りてきたようだった。
青の近くにいた男子が思わず漏らす。
「……やっぱ会長だろ」
別の生徒も即座に頷く。
「もう優勝確定みたいなもんじゃね?」
誰も反論しない。
凛花はただ静かに立っているだけなのに、周囲の空気が自然と整う。無理に目立とうとしているわけでもないのに、目を離せなくなる。
司会者が封筒を持ち上げた。
『それでは発表します。今年のミス星嶺、優勝者は――』
わずかな沈黙。
誰かが息を呑む音まで聞こえそうな静けさ。
『オーロラ姫も務めました、生徒会長! 雪城凛花さんです!』
次の瞬間、爆発した。
歓声、拍手、口笛、名前を呼ぶ声。中庭全体が揺れるような勢いだった。
「会長ー!」「凛花さーん!」「姫ー!」
凛花は一瞬だけ目を伏せ、それからゆっくりと前へ出る。ドレスの裾が滑るように揺れ、その動きだけでも絵になった。
マイクを受け取ると、観客席を静かに見渡す。
騒がしかった空気が、不思議なほどすっと収まった。
「ありがとうございます。このような栄誉ある場所に立てて、とても光栄に思います」
落ち着いた声。
言葉の一つ一つがはっきりと届く。
「今日の文化祭は、多くの方々の支えで成り立っています。来場してくださった皆様、生徒、先生方、準備に関わったすべての人に感謝しています」
丁寧で、過不足がない。
「これからも生徒会長として、皆さんの学校生活がより良いものになるよう努力していきます。どうか、今後ともよろしくお願いいたします」
深く、完璧な一礼。
再び大きな拍手が起こる。
「さすが会長……」
「オーロラ姫ほんと綺麗だった」
「もうプロだろ」
青はその姿を見つめながら、胸の奥に静かな感情が広がるのを感じていた。
(……すごいな)
恋愛的な意味ではない。
ただ純粋に、尊敬だった。
* * *
『続いて、準優勝の発表です!』
司会の声に、再び観客がざわつく。
『惜しくも僅差で二位となりましたのは――黒金結愛さんです!』
一瞬、空気が固まった。
次の瞬間、別の種類の歓声が沸き上がる。
「え、黒金さん!?」「まじで!?」
当の本人は観客席の最前方付近で、ぽかんと口を開けていた。
「え? あたし?」
メイド服姿のまま、手にはまだ呼び込み用のチラシ。完全に仕事中だったらしい。
近くの客が笑いながら背中を押す。
「行ってこいって!」
「準優勝だぞ!」
「いやちょ、待って、ほんとに?」
半ば引きずられるようにして前へ出る。
ステージに上がると、視線が一斉に集まった。
「かわいい!」「タイプ違うけどいい!」
「笑顔が強い」
凛花が隣で小さく微笑み、自然にスペースを空けた。その仕草もまた上品だった。
結愛はマイクを受け取るが、完全に困った顔をしている。
「えっと……」
会場が静まり返る。
「突然で、びっくりしてます」
率直すぎる一言に、あちこちで笑いが起きた。
「凛花……じゃなくて、会長みたいな立派なスピーチはできないけど……選んでくれて、ありがとうございます」
ぎこちなく頭を下げる。
その姿はどこか不器用で、だがとても自然だった。
そして、結愛は顔を上げて続けた。
「あの……皆さんにお願いがあります」
空気が変わる。
凛花が横で「?」という表情になる。
「うちのクラス、模擬店をやってるんですけど……実は私が発注ミスをして、在庫をめちゃくちゃ抱えてます」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、どっと笑いが広がった。
「もしお腹が空いている方がいたら、ぜひ食べに来てください。精一杯、対応します!」
さらに一歩踏み出す。
「あと……会長もメイド服着ます!」
凛花が完全に固まった。
観客が爆発したように沸く。
「まじかよ!」「絶対行く!」
結愛は深く、深く頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
作られた言葉ではない。
必死で、正直で、まっすぐなお願い。
拍手は先ほどとは違う温かさを帯びていた。
* * *
青はその光景を見届けると、すぐにスマートフォンを取り出した。
【手伝いが必要なら戻る】
凛花へ短いメッセージを送り、返信を待たずに踵を返す。
今、優先すべきはクラスだ。
* * *
三年A組の前には、すでに異常な長さの列ができていた。
「最後尾こちらでーす!」
「階段まで並んでます!」
宣伝効果は想像以上だった。
青が教室に入ると、颯が半泣きで叫ぶ。
「青! 人多すぎて死ぬ!」
「見ればわかる」
結愛も戻ってきて、息を切らしながら呼び込みを再開する。
やがて入口が再びざわついた。
凛花が、本当に来た。
しかも、メイド服姿で。
「結愛ちゃん、あの言い方はずるいわね」
笑っているが、頬は赤い。
「ごめんって。でも来てくれたんだ」
「約束された以上、来ないわけにはいかないでしょう」
列の後方から歓声が上がる。
「会長のメイド服だ!」
颯と真凛が拳を突き上げる。
「ミスコン優勝と準優勝がいるんだから、最後まで頑張るわよ!」
「おー!」
* * *
そこからは本当に戦場だった。
注文は途切れない。
トレーが飛び交う。
補充が追いつかない。
結愛はほとんど休まず動き続けていた。
「結愛、水分」
「後で!」
「今だ」
青が強引に紙コップを渡す。
結愛は一口だけ飲み、苦笑した。
「ありがと……でもまだいける」
その顔色は、明らかに良くなかった。
* * *
夕方。
最後の商品が売れた。
颯がレジを確認し、震える声で言う。
「……完売だ」
一瞬の静寂。
次の瞬間――爆発した。
「やったー!!!」
歓声、拍手、抱き合う者、泣き出す者。
結愛も両手を上げて笑った。
「全部売れた……!」
その声は震えていた。
一歩踏み出す。
視界が揺れる。
床が遠くなる。
「……あれ?」
次の瞬間、力が抜けた。
身体が前へ崩れる。
「結愛ちゃん!」
凛花の叫び。
床に倒れた結愛は動かない。
顔色は青白く、呼吸が浅い。
「青、ちょっと来て!」
青はすぐに膝をついた。
手首に触れ、脈を確認する。
(脈はある……過労と脱水か)
「保健室に運ぶ。颯、道を空けろ」
「お、おう!」
周囲が慌ただしく動き始める。
青は結愛を抱き上げた。
思ったより軽い。
(無理しすぎだ)
メイド服のフリルが揺れ、結愛の髪が肩にかかる。
意識はない。
だが、わずかに眉が寄っている。
青はそのまま走り出した。
文化祭の歓声の中、ただ一つ別の緊張が走っていた。




