第46話 眠れる姫の目覚め
# 第46話 眠れる姫の目覚め
体育館の裏手にある控室は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
文化祭の特別公演――三年生有志と生徒会による演劇『眠りの森の美女』。その開演を目前に控え、出演者たちはそれぞれ最後の確認をしている。衣擦れの音、かすかな小道具の触れ合う音、緊張した小声。どれもが、これから舞台に立つ者特有の空気を作っていた。
青は姿見の前に立ち、自分の格好を改めて見下ろした。
白を基調にした王子の正装。胸元には飾り紐、肩には金の縁取りが施されたマント。普段の制服姿とはまるで別人のようだ。
「……落ち着かない」
無意識に首元を触る。
すると背後から、くすっと笑う声がした。
「氷凪くん、マント裏返しですよ」
「……」
青は無言で直した。どうやら緊張は自覚以上に大きいらしい。
「いえ、すごく似合ってますよ。普通に王子様です」
女子生徒が本気で言っているのがわかり、余計に居心地が悪くなる。
(王子様……)
自分とは最も遠い言葉だ。
そのとき、控室の奥から静かなざわめきが広がる。
振り向いた瞬間、青は言葉を失った。
凛花が、そこに立っていた。
淡いクリーム色を基調とした豪華なドレス。幾重にも重なったスカートが床に広がり、繊細な刺繍が光を受けて柔らかく輝く。肩を覆う薄布は透けるように軽く、胸元には小さな宝石が散りばめられていた。
銀髪には小さなティアラ。
それはまさに、物語の中から抜け出してきた姫そのものだった。
控室にいた他の女子たちが思わずため息を漏らす。
「すご……」
「本物のお姫様じゃん……」
凛花は青と目が合うと、ほんの少しだけ頬を染めた。
「……どうかしら」
「……」
言葉が出ない。
「似合ってない?」
「いや」
青はようやく声を出した。
「似合いすぎてる」
凛花の目がわずかに見開かれる。
それから、ふっと小さく微笑んだ。
「ありがとう」
その笑顔に、周囲の女子がまたざわつく。
「ねえ今の、完全に恋人同士の空気じゃなかった?」
「静かにして」
凛花が小声で制止するが、耳まで赤い。
青は何も言わず視線を逸らした。心拍数が明らかに上がっている。
控室の外から、開演五分前を知らせる声が聞こえる。
「……緊張してる?」
凛花が静かに尋ねた。
「してないと言えば嘘になる」
「私もよ」
意外な言葉だった。
「でも」
凛花は青をまっすぐ見た。
「あなたと一緒なら、大丈夫」
その言葉に、青は何も返せなかった。
* * *
幕が上がると同時に、柔らかな音楽が流れ始めた。
舞台は城の大広間。王と王妃が、ようやく生まれた姫を祝福する場面だ。妖精たちが順に祝福を与え、観客席からは微笑ましい空気が漂う。
しかし魔女の登場で一気に空気が変わる。
「この子は十五の誕生日に糸車の針に触れ、死ぬであろう!」
低い声が体育館に響く。
観客席の子どもが思わず「こわい……」とつぶやくのが聞こえた。
最後の妖精が呪いを和らげる。
「真実の愛の口づけによって目覚めるのです」
青の心臓が跳ねた。
(そこ強調するな……)
* * *
時が流れ、成長したオーロラ姫の場面。
凛花は軽やかに舞い、ドレスの裾がふわりと広がる。普段のクールな姿とは違う柔らかな表情に、観客席からため息が漏れる。
「うわ……会長すご……」
だが、運命の瞬間が訪れる。
糸車に触れ、姫は倒れた。
凛花はゆっくりと床に横たわる。
照明が落ち、彼女だけを浮かび上がらせる。
静寂。
「……綺麗」
「本当にお姫様みたい」
* * *
王子の登場。
青は舞台袖から歩み出る。
強烈な光。無数の視線。
(逃げ場がない)
姫のそばに膝をつく。
凛花が近い。
信じられないほど近い。
(演技だ。触れない距離で止めればいい)
顔を近づける。
すると――
「大丈夫だから、緊張しないで」
小さなささやき。
その優しさに、思考が止まる。
気づいたときには――触れていた。
一瞬だけ。
しかし確かに、本当のキスだった。
観客席から歓声が上がる。
遠く離れた客席では結愛が目を細めた。
(……今の、近くない?)
だが周囲は「きゃー!」と盛り上がっている。
* * *
凛花の目がゆっくりと開く。
王子を見つめる瞳が、わずかに揺れた。
台詞を交わし、二人は手を取り合う。
観客は完全に物語に引き込まれていた。
幕が下りると同時に、割れんばかりの拍手が起こる。
* * *
舞台袖に戻った瞬間、青は壁に手をついた。
「……今、俺……」
心臓が暴れている。
「ほんとに……?」
凛花に謝ろうと振り向く。
しかし――いない。
「凛花は?」
「先に着替えに行きましたよ」
* * *
教室に戻ると、店はさらに混雑していた。
「青!」
結愛が駆け寄る。メイド服姿のまま、頬を上気させている。
「すごかったよ王子様!」
「……そうか」
「ねえ、ほんとにキスしたの?」
不意打ちだった。
「……演技だ」
「そっか」
結愛は笑ったが、どこか納得していない顔だった。
「凛花は?」
「探してる」
「凛花目当てのお客、多いんだ。頼むよ」
「わかった」
* * *
生徒会室にもいない。
廊下にも、控室にもいない。
「……どこに行った」
そのとき、中庭から歓声が上がった。
『ただいまより、ミス星嶺コンテストを開始します!』
青は思わず中庭を覗く。
そこにいたのは――ドレス姿の凛花。
ライトを浴び、観客の中心に立っている。
青は目を見開いた。
「……まさか」
文化祭は、まだ終わっていなかった。




