第41話 守られた温もり(3)
元のテーブルに戻ると、結愛と紬はすでに昼食の準備を整えて待っていた。
「おかえり」
結愛はそう言ったが、二人の様子を見て、目を細めた。
凛花の表情は、さっきより落ち着いている。だが、どこか柔らかい。青は青で、珍しく少しだけ視線が定まっていない。
(……何かあった?)
結愛の勘がそう告げる。
一方、紬は純粋に安堵したように笑った。
「凛花先輩、大丈夫そうでよかったです」
「ええ。もう大丈夫よ」
凛花はいつもの調子で答えた。その自然さに、結愛は余計に引っかかる。
「ほんとに?」
「ほんとうに」
凛花はそう言ってから、わざとらしくではなく自然に笑った。
「心配かけて、ごめんなさい」
「いや、それは全然いいんだけど」
結愛はそこでちらりと青を見る。
「青、何か言うことは?」
「……?」
まだ少し混乱が残っているのか、青の反応は一拍遅れた。
「いや、別に」
「絶対なんかあるじゃん」
「ない」
「その顔で?」
「普通だ」
「普通じゃないよー」
結愛がにやにやし始めると、紬まで首をかしげた。
「青先輩、なんだかちょっと変です」
「変ではない」
「じゃあ、なんでそんなに目そらすんですか?」
図星だった。
青は無言でトレーの上の焼きそばを配り始める。どうにか会話の流れを変えようという意図が見え見えだった。
「とりあえず、食べよう」
「話を逸らした」
結愛が即座に言う。
だが、凛花はくすりと笑って席に着いた。
「そうね。お腹が空いたわ」
その言い方が妙に落ち着いているので、結愛はますます怪しいと感じる。
四人はそれぞれ昼食を手に取った。
青が買ってきた焼きそば、ポテト、ホットドッグ、たこ焼き。どれも簡易的なプール飯だが、遊び疲れた身体にはちょうどいい。
「いただきます」
紬が元気よく手を合わせる。
「いただきます」
結愛と凛花も続き、青も小さくうなずいた。
しばらくは食事の時間が流れる。
結愛はホットドッグを頬張りながら、ちらちらと青と凛花を見比べていた。
凛花は妙に機嫌が良さそうだ。青は逆に、珍しく落ち着きがない。
(絶対なんかあった)
女の勘がそう言っている。
紬はそんな空気にあまり気づいていないのか、たこ焼きを頬張ってふわっと笑った。
「おいしいですねー」
「それはよかった」
青が反射的に返す。いつも通りの声だが、結愛はやはりどこか違和感を覚える。
「ねえ、青」
「何だ」
「さっきの“俺の彼女なんで”って、誰のことだったの?」
ぽん、と結愛が爆弾を投げた。
青の動きがぴたりと止まる。
紬も目を丸くした。
「た、たしかに!」
凛花はポテトをつまんだまま、一瞬だけ視線を伏せる。
結愛はにやっと笑った。
「気になってたんだよねー」
「その場を収めるための言い方だ」
青は淡々と答えた。
「へえー」
「事実だ」
「でも、“連れです”でもよかったじゃん」
「それだと弱い」
「なるほどねえ」
結愛は面白そうに頬杖をつく。
「じゃあ、あの場では誰か一人が彼女役だったわけだ」
「役というか、曖昧にしただけだ」
「青先輩、そういうのずるいです」
紬がむうっと頬を膨らませた。
「私だったかもしれないのに」
「いや、深い意味はない」
「余計ずるいです」
紬の抗議に、結愛は吹き出した。
凛花は何も言わない。ただ、紙コップのジュースを飲みながら、ほんの少しだけ口元をやわらかくしている。
その反応を見た結愛の勘が、さらに強く鳴った。
(これ……やっぱり凛花ちゃん絡み?)
しかし、ここで正面から聞いても答えは出ないだろう。
結愛はひとまず追及をやめ、代わりに明るく言った。
「ま、でも助かったよ。かっこよかったし」
青は視線を上げる。
「そうか」
「そうか、じゃなくて」
結愛は笑う。
「ちゃんと褒めてるの」
「……ありがとう」
その返事に、結愛は一瞬だけ目を瞬かせた。
青が素直に礼を言うのは珍しい。
だがその珍しさに、凛花の唇がまたわずかに緩んだのを、結愛は見逃さなかった。
食事が進むにつれ、空気は少しずつ元に戻っていく。
紬は追加のポテトをつまみながら「午後は波のプールも行きたいです」と言い、結愛は「いいね、あとアイスも食べたい」と乗っかる。凛花も「日差しが少し強いから、休憩を挟みながらの方がよさそうね」と冷静にまとめる。
青はいつものようにそれらを聞いていた。
聞いてはいる。
だが、意識の一部はまださっきのベンチに置き去りだった。
不意に唇へ触れた感触。
凛花の近すぎる顔。
そして、何事もなかったように戻ってきた彼女の強さ。
青はジュースを一口飲んで、どうにか思考を落ち着かせようとする。
だが、目の前の凛花がふとこちらを見て、小さく笑っただけで、また胸の奥が妙に落ち着かなくなる。
(……何なんだ、これは)
答えは出ない。
恋愛に慣れていないどころか、そもそもそういうものを考えないで生きてきた青にとって、今の状況は完全に想定外だった。
結愛はそんな青を見ながら、内心で確信を強めていく。
(うん、やっぱり絶対なんかあった)
紬は紬で、さっき青が凛花を連れて行ったことを少しだけ羨ましく思っていた。
(今度、私が怖い目にあったら、青先輩もああしてくれるのかな……)
そんなことを考え、すぐに自分で「怖い目にあうのは嫌ですけど」と心の中で付け足している。
四人四様の思いを抱えたまま、昼食の時間はゆっくりと流れていった。
◇
食べ終わるころには、太陽はさらに高く、熱くなっていた。
周囲の人の数も増え、午前中よりにぎわいは一段と強い。だが、四人のテーブルの上には、さっきまでとは少し違う空気があった。
恐怖が去ったあとの安堵。
守られたことの余韻。
そして、確かに進んでしまった何か。
「じゃあ、少し休憩したら、また行こっか」
結愛が明るく言う。
「そうね」
凛花も自然にうなずく。その横顔は、以前よりどこか柔らかく見えた。
青はそれを見て、また視線を逸らす。
紬がそんな二人を見比べて首をかしげた。
「なんか、二人とも変です」
「気のせいよ」
凛花がすぐに答える。
「気のせいだ」
青も同じように返した。
「息ぴったりですねー」
紬がのんびり言うと、結愛が「そこなのよ」と小さく笑った。
凛花はほんの少しだけ頬を赤くし、青は無言で紙コップを片付け始める。
プールの一日は、まだ終わらない。
けれど、少なくともこの昼の出来事は、きっとそれぞれの中に長く残るだろう。
守られた温もり。
胸に触れた安心感。
そして、あまりにも不意に落とされた、小さなキスの熱。
真夏の太陽よりも少しだけ強い熱を抱えたまま、四人の午後はまた始まろうとしていた。




