表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星嶺高校の氷凪くんは、たぶん恋を知らない。~恋愛偏差値0のアオが、学年1位の美少女とギャルを救い救われる話~  作者: にめ
夏休み

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
58/82

第39話 夏の終わりの約束(1)



# 第39話 夏の終わりの約束


 夏休みも終わりに近づいたある日。星嶺高校の夏期講習は、朝からいつも以上に張り詰めた空気に包まれていた。


 窓の外では、まだ夏を手放すつもりのない蝉たちが、校庭の木々で声を張り上げている。けれど、その音も分厚い窓ガラスを通すと、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。


 教室の中にあるのは、冷房の乾いた風、ページをめくる音、シャープペンシルの先が紙を走る細い音。そして、ときおり教師が板書するときの、淡々としたチョークの擦れる音だけだった。


 受験生の夏。


 言葉にしてしまえばたったそれだけだが、その四文字の中には、遊びたい気持ちも、焦りも、不安も、期待も、すべて詰め込まれている。


 青は、その中心にいるようでいて、どこか少しだけ外側にいた。


 机の上に広げた問題集。書き込みの増えた参考書。几帳面にまとめられたノート。休み時間になっても彼の手は止まらず、数学の記述問題の途中式を静かに積み上げていく。


 真っ直ぐで、無駄がない。


 それが青という人間だった。


 余計な雑談に流されることもなく、教室のざわめきに気を取られることもない。ただ、自分が今やるべきことを、必要な分だけやる。


 そんな彼の横で、結愛は机に突っ伏していた。


 頬をぺたりと木の天板に押しつけ、長い髪を無造作に散らしながら、まるで命が尽きかけているみたいな声を漏らす。


「むり……」


 小さく、しかし妙に切実な声だった。


 青は視線を上げずに答える。


「何がだ」


「いろいろ」


「雑だな」


「全部ってこと」


 結愛はそこでがばっと顔を上げた。ぱちん、と机に両手をつく。その勢いに、周囲の何人かが何事かとこちらを見る。


「受験生だけど、夏らしいことしたいー!」


 教室の空気を破るようなその宣言に、近くの席の生徒たちが苦笑する。何人かは「わかる」と小さくうなずき、何人かは呆れ半分にまた参考書へ視線を戻した。


 青はようやくペンを止めたが、表情はほとんど動かなかった。


「しょうがないだろ。今年は受験生なんだから」


「それはわかってるよ。でもさぁ」


 結愛は椅子に座り直しながら、今度は両手をぶんぶん振った。


「海とか行きたいし、プールとか行きたいし、お祭りとか、夏っぽいことしたいじゃん。だって三年生の夏って、今しかないんだよ?」


「夏は毎年来る」


「そーいうことじゃないの!」


 すかさず飛んできたつっこみに、近くの女子が思わず吹き出していた。


 青は淡々としている。言っていることは正しいのだが、正しすぎるがゆえに風情がない。


 しかし結愛は、そのそっけなさに慣れていた。慣れているからこそ、むしろ食い下がれる。


「青ってほんと、そういうとこあるよね」


「そういうとこ、とは」


「ロマンがない」


「必要か」


「青春には必要!」


 きっぱり言い切られると、青もそれ以上は返しづらい。結愛はそこを見逃さず、にやりと笑った。


「ほら、凛花ちゃんも行きたいよね?」


 不意に話を振られた雪城凛花は、窓際の席で英語長文の冊子を読んでいた視線をゆっくり上げた。


 今日も銀色の髪はさらりと肩に流れ、涼しげな横顔は絵のように整っている。夏期講習中でも背筋はまっすぐで、制服の着こなしにも乱れがない。その姿だけ見れば、彼女が「遊びたい」などという言葉と縁遠い人間だと思う者がほとんどだろう。


「わたしは、そんな……」


 凛花はいつも通り、静かな声でそう言いかけた。


 けれど、その内側では別の声がそっと囁く。


 ――青がいるなら、どこでもいいわ。


 言えるわけがなかった。


 そんなことをこの場で口にしてしまったら、たぶん結愛は机を叩いて騒ぐし、青は間違いなく一瞬だけ沈黙したあと、どう反応していいかわからなくなる。


 それを想像しただけで、凛花の耳の奥が少しだけ熱くなる。


 彼女は咳払い一つでその気配を消し、何事もなかったように言葉を続けた。


「……ただ、ずっと勉強だけというのも、効率の面ではあまり良くないかもしれないわね」


「おっ、出た。学年一位の理論武装」


 結愛が嬉しそうに身を乗り出す。


「つまり?」


「適度な気分転換は必要、ということよ」


「よし来た!」


 結愛が拳を握りしめた。その勢いに、凛花は少しだけ目を細める。


 正直、そこまで喜ばれるとは思っていなかった。だが、そうして話の流れが自然に“どこかへ行く”方向へ進んでいくのは、少しだけ嬉しかった。


 そして凛花は、ふと思い出したように鞄へ手を伸ばした。


「そういえば……」


 彼女が取り出したのは、白い封筒だった。上質な紙の封筒には、どこか高級感のあるロゴが箔押しされている。


「実は、これを親からもらったの」


 中から出てきたのは、数枚のチケットだった。


 結愛が目を丸くする。


「え、なにそれ」


「遊園地のプール券よ。取引先からいただいたらしいのだけれど、家族で行く予定はないから、使うなら好きにしなさいって」


「えっ、えっ、ちょっと待って、これあそこ!?」


 結愛はチケットをまじまじと覗き込み、声を弾ませた。


「めっちゃ大きいとこじゃん! 流れるプールもスライダーもあるやつ!」


「そうみたいね」


「いいじゃん、行こうよ!」


 結愛はもはや机の上で跳ねそうな勢いだった。教室の何人かがまた視線を向けるが、当の本人は気にしない。凛花はそんな彼女を見て、ほんの少し口元を緩める。


 青はチケットに視線を向け、それから凛花を見る。


「何枚ある」


「五枚」


 その答えに、青の目がわずかに動いた。


「多いな」


「ええ。だから使わないともったいないと思って」


「なるほど」


 そこで凛花は、一拍置いてから青に問いかけた。


「勉強ばかりもなんだし、一日くらい気分転換もいいんじゃないかしら。青はどう思う?」


 ごく自然な聞き方だった。


 けれど、結愛は知っている。凛花がこうして何かを決めるとき、最終的な判断を青に預けることが増えたことを。


 そして凛花自身も、無意識にそれをしていることに薄々気づいていた。


 青は少しだけ考えるように目を伏せた。


 勉強の進度。夏休みの残り日数。模試までの間隔。生活リズム。気分転換が及ぼす効率への影響。彼の頭の中では、たぶんそういうものが順に整列しているのだろう。


 感情より先に、判断基準が並ぶ。


 それが青だ。


「……一日だけなら」


 短く出た答えに、結愛がぱっと表情を明るくした。


「ほんと!?」


「ああ。ずるずる遊ぶのはよくないが、一区切りにはなる」


「やったー!」


 思わず両手を上げる結愛。その喜びように、青は少しだけ眉を動かしただけだったが、止めはしなかった。


 凛花は静かに胸をなで下ろす。


 青が断る可能性も考えていた。けれど彼は、必要な理由があればちゃんと受け入れる。そのことを知っているからこそ、こうして話を持ちかけられたのだ。


「じゃあ決まりね」


 凛花がそう言うと、結愛はすぐに次の問題へ飛びついた。


「この三人で行く?」


 その言葉に、一瞬だけ空気が止まる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ