第2話 席替えと距離(2)
全員の席が決まったところで、黒板に座席表が書き直されていく。
俺の位置。
右隣に黒金結愛。
斜め右前に雪城凛花。
真後ろに葉山颯。
……面倒なことになったな。
そう思ったのは、賑やかになるからというより、視界と音が落ち着かなそうだからだ。右からは話しかけられそうで、後ろからは茶々が飛んできそうで、斜め前には学年一位がいる。
集中できるかどうかだけが問題だ。
「でもさー」
黒金が机に肘をつきかけて、途中でやめた。たぶん如月先生の視線を思い出したのだろう。
姿勢を正してから、少し声を落として続ける。
「学級委員で隣って、なんかちょっとやりやすいかもね」
「そうか?」
「だって連絡取りやすいじゃん」
「まあ」
それは確かにそうだ。
「ほら、プリント回すときとか、先生に呼ばれたときとか、いちいち探さなくていいし」
「合理的だな」
「でしょ?」
黒金は得意げに笑った。
こうして話してみると、見た目の印象ほど勢いだけで生きているわけではない。むしろ、会話の組み立て方は意外とちゃんとしている。
葉山が後ろから口を挟む。
「黒金さん、青の扱い分かってるじゃん」
「何それ」
「この人、『受験に役立つ』って言えばだいたい話聞くから」
「それは知ってる」
「知ってるんだ」
「さっき見たし」
黒金がさらっと言う。
学級委員を引き受けた流れのことだろう。
葉山は面白そうに笑った。
「観察眼あるねえ」
「葉山ほどじゃない」
「俺は洞察力の塊だから」
「軽薄の間違いでは」
斜め右前から、静かな声が入った。
雪城凛花だ。
葉山が「うわ」と肩をすくめる。
「雪城さん、今の聞こえてた?」
「これだけ近ければ聞こえるでしょう」
凛花は振り返らずに言った。背筋はまっすぐで、机の上に置かれた手元も乱れがない。話に参加しているのに、どこか一歩引いた静けさがある。
黒金は少し嬉しそうに身を乗り出した。
「雪城ちゃん、思ったよりちゃんと会話してくれるんだね」
「失礼ね」
「いや、なんかもっと、こう……近寄ると凍らされる系かと」
「人を何だと思っているの」
その返しに、葉山が笑いをこらえきれなくなる。
教室の空気が少しだけやわらいだ。
凛花は無表情に見えて、案外こういう会話を切り捨てない。
ただ、自分から積極的に輪の中心へ入るタイプではないだけだ。
そして今、彼女は落ち着いた顔をしながらも、内心では少しだけ困っていた。
黒金は、自然に氷凪と話している。
途切れない会話。
ためらいのない距離。
それが少し羨ましい。
凛花は一年生の頃から、同じ学年にいる氷凪青という存在を意識していた。
学年二位。無口。人付き合いを必要最低限で済ませるくせに、誰かが困っているといつの間にかさりげなく手を貸している。目立つことを避けているようでいて、結果として目立ってしまう人間。
何度か話してみたいと思ったことはある。
けれど、きっかけがなかった。
凛花自身も、得意ではないのだ。何でもそつなくこなせるように見られがちだが、雑談だけは昔から苦手だった。何を話せば自然なのか分からない。変に意識すると、余計に言葉が出てこなくなる。
だから今も、斜め後ろで交わされている青と黒金の会話を聞きながら、心の中で小さく羨ましがることしかできない。
(いいな……)
(私も、もう少し普通に話せたらいいのに)
表情には出さない。
出したつもりもない。
だが、机の上に置いた指先がほんのわずかに動いたことを、もし誰かが見ていたなら気づいたかもしれない。
黒金はペンケースを机の端に置き直すと、またこちらを見た。
「氷凪くんって、志望校どこなの?」
「東都大学」
即答だった。
黒金は一拍置いてから、ふっと笑う。
「やっぱり」
「何が」
「いや、なんか氷凪くんって最初からそこしか見てなさそうだから」
「実際そうだし」
「ぶれないねえ」
「黒金は?」
聞き返すつもりはなかったが、会話の流れでそうなった。
黒金は少し意外そうな顔をして、それから嬉しそうに口元をゆるめる。
「一応、私も東都大」
「へえ」
「『へえ』だけ?」
「そうなんだなって」
「もっとこう、応援するとかないの?」
「頑張れ」
「雑っ」
葉山が後ろで笑いを漏らす。
「でも珍しいじゃん、黒金さん。東都大志望なんて初耳かも」
「言ってないだけ」
「なんで?」
「見た目でバカだと思われがちだから」
それは冗談半分だろうが、半分は本音かもしれない。
実際、教室の何人かもその会話に反応していた。
「黒金さん東都大なんだ」
「すご」
「意外じゃない? いや失礼だけど」
「だからそういうのあるじゃん」
黒金は肩をすくめる。
「まあ、言われ慣れてるからいいけど」
それでも声音は明るかった。
無理をしている感じはない。ただ、軽く見られることにも慣れているのだろう。
凛花はその会話を聞きながら、少しだけ視線を落とした。
彼女もまた、言葉にしようとして飲み込む。
(……私も、東都大学なのだけれど)
もちろん、言おうと思えば言える。
けれど、今ここでわざわざ自分から会話に入っていくのは、なぜか難しかった。黒金の自然な流れの中へ、自分だけが後から入るのは不器用さを晒すみたいで、ほんの少しだけ怖い。
その沈黙を、葉山が軽い調子で破った。
「そういえばさ、雪城さんって全国模試一位常連だよね」
空気が一瞬で変わる。
教室の近くの席の連中まで「え?」と反応した。
黒金が目を見開く。
「マジで?」
俺も驚いて、斜め右前を見る。
校内一位なのは知っていた。だが、全国模試までそのレベルだとは知らなかった。
凛花は少しだけ間を置いてから、静かな声で答える。
「常連というほどではないわ」
「いや、十分でしょそれ」
葉山が即座に突っ込む。
黒金は素直に感心していた。
「え、すご……。私、全国模試って一桁載っただけでも騒ぐやつかと思ってた」
「騒ぐのは自由でしょう」
「雪城ちゃんは騒がなそう」
「騒がないわね」
「だよね」
黒金がけらけらと笑う。
そのやり取りに、周囲もどこか納得したような空気になる。
葉山は面白そうに俺をつついた。
「青、ライバル近くにいるけど感想は?」
「別に」
「出た、無感情」
「感情がないとは言ってない」
「じゃああるんだ」
「うるさい」
凛花はその会話の続きに、小さく息を整えたあとで言った。
「氷凪くん」
名前を呼ばれて、俺は顔を上げる。
凛花は振り返りはしなかったが、少しだけ横顔をこちらへ向けていた。
「分からないところがあったら、教えるわよ」
さらっとした口調。
だが、教室の空気がほんの少しだけ止まる。
黒金が「おお」と目を丸くし、葉山がにやにやし始める。
俺は短く答えた。
「大丈夫です」
間髪入れずに。
葉山が後ろで吹き出した。
「冷たっ」
黒金も苦笑する。
「氷凪くん、それはちょっと冷たくない?」
「今のままで足りてる」
「いや、そういう問題じゃなくて」
凛花は一瞬だけ黙った。
失敗したかもしれない、と胸の奥で思う。
せっかく自分から言えたのに、あっさり断られた。
もちろん、表情には出さない。
出さないが、内心はほんの少しだけへこんでいた。
(……そうよね。いきなりすぎたかしら)
(でも、断り方が本当に氷凪くんらしい……)
黒金はそのやり取りを見て、少しだけ複雑な気分になる。
雪城凛花。
成績一位、見た目も完璧、育ちも良さそうで、男子からも女子からも一目置かれている存在。
そんな相手が、自分から氷凪に話しかけた。
その事実に、ちくりと胸のどこかが反応した。
けれど次の瞬間、氷凪が一刀両断したので、妙に安心してしまった自分もいる。
(この人、本当に誰に対してもこうなんだ……)
それはそれでおかしくて、黒金は少し笑いそうになる。
葉山は楽しそうに会話を転がした。
「青ってさ、ほんと勉強以外に興味ないよな」
「そんなことはない」
「じゃあ何に興味あるの」
「……」
答える前に、葉山が先に言った。
「勉強と妹」
その瞬間、俺は振り返って葉山を睨んだ。
葉山は「やべ」と言いながらも、どこかすまなそうではあった。




