第30話 知らなかったこと
# 第30話 知らなかったこと
青が教室を出ていったあと、扉が静かに閉まった。
その音がやけに大きく聞こえた気がして、黒金結愛は少しだけ視線をそちらへ向けた。
昼休みの教室は、さっきまでと同じようにざわざわしている。弁当を広げている生徒、スマホを見ている生徒、テスト前のノートを確認している生徒。どこにでもある日常の光景だ。
けれど、結愛たちの周りだけは、ほんの少し静かだった。
「青……最近忙しいのかな」
結愛がぽつりと言う。
さっきの会話が、まだ頭の中に残っている。
――週末はだめなんだ。
それだけ言って、青は帰ってしまった。
嘘をついている感じはしなかった。
でも、何かを隠しているような気はした。
葉山颯が椅子をぐらぐら揺らしながら言う。
「まあ、忙しいだろうな」
「生徒会の仕事?」
星崎真凛が首をかしげる。
「それもあるかもな」
葉山はそう言ったあと、少しだけ言葉を濁した。
「……ていうか」
「?」
結愛が見る。
葉山は頭をかいた。
「言っていいのかな」
「なにが?」
「いや、その……」
葉山は少しだけ周囲を見回した。
教室は騒がしい。
誰もこちらの会話を気にしていない。
それを確認してから、小さく息を吐いた。
「青に口止めされてるんだけどさ」
「え?」
結愛と凛花が同時に顔を上げる。
葉山は声を少し落とした。
「青、毎週末病院行ってるんだ」
「病院……?」
凛花が静かに聞き返す。
結愛も目を瞬かせた。
「え、青どこか悪いの?」
「いや違う」
葉山はすぐに首を振る。
「青じゃない」
そして、少し間を置いてから言った。
「妹」
「妹?」
凛花が繰り返す。
結愛はすぐに思い当たった。
「陽葵ちゃん?」
「そう」
葉山がうなずく。
「妹が病気で入院してる」
一瞬、空気が止まった。
結愛は驚いた顔をした。
「え……」
それは知らなかった。
妹がいることは聞いていた。
でも、入院しているなんて。
「入院してるなんて聞いてない」
「青、あんまり人に言わないんだよ」
葉山は肩をすくめた。
「毎週末お見舞い行ってる」
結愛はしばらく言葉が出なかった。
頭の中で、さっきの青の表情を思い出す。
――週末はだめなんだ。
あのとき、少しだけ視線を落としていた。
理由は、それだったのか。
「陽葵ちゃん、大丈夫なの?」
結愛は少し心配そうに言った。
葉山は考えるように答える。
「青が言うには、大丈夫らしい」
「らしい?」
「うん。でも、ずっと入院してるみたいなんだよな」
沈黙が落ちる。
凛花は静かに机を見ていた。
胸の奥で、さっきの青の言葉がもう一度よみがえる。
――週末はだめなんだ。
その意味を、今になって理解した。
あのとき青は、嘘をついていなかった。
ただ、説明しなかっただけだ。
たぶん、心配をかけたくないから。
あるいは、誰にも知られたくないから。
どちらにしても、氷凪青らしいと思った。
「今度さ」
結愛が言った。
「お見舞い行きたいね」
葉山が少し驚いた顔をする。
「お、いいじゃん」
「だって妹ちゃんでしょ?」
結愛は笑う。
「青、妹のこと大事にしてそうだし」
「それは間違いない」
葉山がうなずいた。
「青も喜ぶと思うよ」
凛花は静かに言った。
「……そうね」
そして小さく微笑んだ。
その笑顔は柔らかかった。
◇
数日後。
星嶺高校は期末テストに入った。
教室は静まり返っている。
普段は騒がしい葉山でさえ、さすがに黙っている。
答案用紙が配られる。
「始め」
教師の声。
一斉にペンが動き出した。
青はいつものように淡々と問題を解いていた。
無駄な動きはない。
ページをめくる音だけが静かに響く。
結愛も真剣な顔で問題に向かっていた。
体育祭が終わってから、勉強時間をかなり増やしていた。水泳部も引退した今、使える時間は多い。
(今回……いけるかも)
そんな感覚が、少しだけあった。
前の席では凛花も集中している。
彼女の背中はまっすぐで、迷いがない。
その姿はいつも通りだった。
ただ、青は一瞬だけ視線を向けた。
凛花は問題を解くのが速い。
けれど今日は、ほんの少しだけ手が止まる瞬間があった。
(……?)
気のせいかもしれない。
青はそれ以上考えなかった。
試験は続く。
英語。
数学。
古典。
化学。
数日間にわたる期末テストは、あっという間に過ぎていった。
◇
そしてテスト最終日。
チャイムが鳴る。
教師が言う。
「そこまで」
その瞬間。
教室の空気が一気に緩んだ。
「終わったー!」
葉山が叫ぶ。
「自由だー!」
「うるさい」
星崎が笑う。
「でもわかる」
結愛も大きく伸びをした。
「やっと終わったー」
「夏休みまであと少しだな」
葉山が言う。
「でも結果怖い」
星崎が顔をしかめた。
「それはある」
結愛も苦笑する。
青はいつものように静かだった。
テストが終わったからといって、特別はしゃぐわけでもない。
ただ、教科書を鞄にしまう。
それだけだ。
◇
数日後。
校舎の廊下には人だかりができていた。
掲示板の前。
期末テストの順位表が貼り出されている。
「見た?」
「まだ!」
「今回どうだった?」
そんな声が飛び交う。
葉山が青の肩を叩いた。
「青、見に行こうぜ」
「ああ」
二人は掲示板の前に立つ。
紙には学年順位が並んでいた。
葉山が上から目を追う。
そして。
「……え?」
思わず声が出た。
青も目を止める。
一位。
そこに書かれていた名前は。
**黒金結愛**
だった。
「黒金一位!?」
葉山が驚く。
青は静かに言った。
「結愛」
少し離れた場所では、結愛も順位を見ていた。
「……え」
自分の名前を見て固まる。
「えええ!?」
星崎が叫ぶ。
「結愛一位じゃん!」
「うそ!?」
結愛は何度も順位表を見直した。
本当に。
一位だった。
葉山が笑う。
「すげーな」
青も小さくうなずいた。
「努力してた」
「まあな」
葉山が言う。
しかし。
青の視線は、別の名前にも向いていた。
三位。
**雪城凛花**
凛花は今までずっと、学年一位だった。
それが三位。
(凛花が一位じゃない)
青は静かに考える。
(どうしたんだ)
教室に戻ると、葉山が大声を出した。
「黒金すげー!」
「天才ギャル!」
星崎も笑う。
結愛は照れたように頭をかいた。
「偶然だよ」
そのとき。
「結愛」
凛花が言った。
「おめでとう」
静かな声だった。
結愛は笑う。
「ありがと」
二人は普通に話している。
けれど青は、少しだけ気になっていた。
凛花の表情は変わらない。
落ち込んでいる様子もない。
それでも。
(やっぱり……)
青は思う。
(何かある)
その疑問を残したまま。
星嶺高校は、夏休みに入った。




