第18話 黒金家
# 第18話 黒金家
夜の住宅街は静かだった。
街灯のオレンジ色の光が、歩道を淡く照らしている。
氷凪青は、隣を歩く黒金結愛の様子をちらりと見た。
公園での騒動から少し時間が経ったが、結愛はまだどこか落ち着かない様子だった。
ストーカー事件は解決した。
それでも、あの出来事の余韻は二人の間に残っている。
しばらく歩き、やがて一軒の家の前で結愛が足を止めた。
「……着いた」
青はそう言って周囲を軽く確認する。
住宅街は静かで、人の気配も少ない。
特に怪しい様子はない。
「じゃあ、俺はこれで」
青は淡々と言った。
「明日からは帰りも大丈夫だろ」
結愛は少しだけ寂しそうに笑った。
「うん……青のおかげ」
しばらく沈黙が流れる。
結愛は小さく息を吐いた。
「……そっか」
「今日で終わりか」
青は首をかしげる。
「何が」
「送り迎え」
結愛はそう言って、少しだけ視線を逸らした。
青は数秒考え、あっさり答えた。
「危険がなくなったなら必要ない」
合理的な答えだった。
結愛は苦笑する。
「青らしいわね」
そして、ふと思いついたように言った。
「ねえ青」
「ん?」
「ちょっと寄っていってよ」
青は眉を上げる。
「?」
「夕飯、ごちそうする」
「いや、いい」
即答だった。
「急に悪い」
「いいのいいの」
結愛は青の腕を掴んだ。
「お礼くらいさせてよ」
「引っ張るな」
「ほら来て」
ぐいぐいと玄関へ連れていかれる。
青は軽くため息をついた。
「……わかった」
「わかったから引っ張るな」
結愛は満足そうに笑う。
「あ、そうだ」
「妹さん大丈夫?」
青はポケットからスマホを取り出しかけて、やめた。
「あとで連絡する」
「そっか」
結愛は玄関のドアを開けた。
「ただいまー!」
すぐに奥から足音が聞こえた。
ぱたぱたと小さな足音。
「お姉ちゃんおかえり!」
「おかえりー!」
現れたのは、小学生くらいの男の子と女の子だった。
二人は結愛の後ろに立つ青を見て、ぴたりと止まる。
じーっと見つめてくる。
結愛が振り向いた。
「あー紹介するね」
「この人はお姉ちゃんの同級生」
「氷凪青」
「今日は一緒に夕飯食べる」
青は軽く会釈した。
「こんにちは」
「氷凪です」
「よろしく」
結愛が子供たちを指差す。
「弟の琉生」
「妹の乃愛」
女の子が一歩前に出た。
「乃愛です!」
そしてすぐに聞いた。
「青、お姉ちゃんの彼氏?」
青は一瞬言葉を失った。
「……」
続いて男の子が言う。
「琉生です」
「青、お姉ちゃんを幸せにしろよ」
青は結愛を見た。
「結愛」
「これはどう答えればいい」
結愛は慌てて言った。
「乃愛」
「今のところ同級生だから」
「琉生」
「お姉ちゃんは今でも幸せ」
少し照れたように言う。
乃愛は納得したのか、うんうんと頷いた。
「じゃあ青、上がって!」
青は少し戸惑いながら靴を脱ぐ。
「お邪魔します」
リビングへ通される。
広くはないが、きれいに整った部屋だった。
テーブルの上には教科書やノートが広げられている。
琉生の宿題らしい。
結愛が言った。
「青、ちょっと待ってて」
「すぐ夕飯作る」
そう言うと、制服の上からエプロンをつけ始めた。
その姿を、青は何気なく見ていた。
キッチンに立つ結愛。
金メッシュの髪。
エプロン。
ギャルの印象とは少し違う、家庭的な姿だった。
横から声がした。
「なあ青」
琉生だった。
「お姉ちゃん美人だろ?」
青は一瞬だけ考えた。
そして、無意識に答えていた。
「ああ」
その瞬間。
公園の光景が頭に浮かぶ。
結愛の顔。
近づいた距離。
唇の感触。
青は一瞬思考が止まる。
琉生がニヤニヤした。
「青」
「お姉ちゃんとキスした?」
「!!」
青は即座に否定した。
「してない」
「してない」
琉生は肩をすくめる。
「なーんだ」
「お子ちゃまだなー」
青は何も言わなかった。
そのとき、乃愛が近づいてくる。
小さな絵本を持っていた。
「青」
「これ読んで」
青は絵本を受け取る。
「どれ」
ソファに座る。
乃愛は当然のように青の膝に乗った。
青は特に気にせず本を開く。
「むかしむかし、あるところに……」
静かな声で読み始めた。
乃愛は楽しそうに聞いている。
琉生も横から覗き込んできた。
「そのうさぎ弱そうだな」
「でも頑張る話だろ」
青が言う。
「まだ読んでないのにわかるの?」
「だいたいそういう話だ」
乃愛が笑った。
「青すごい!」
青は淡々とページをめくる。
乃愛はだんだん青にもたれかかる。
安心しているようだった。
読み終えると、乃愛が言った。
「もう一回!」
「……」
青は少しだけ考えた。
「一回だけだ」
「やったー!」
琉生が言う。
「青って子供の扱いうまいな」
「別に」
「陽葵がいるから慣れてるだけだ」
青はそう言った。
琉生は少し考えたあと言う。
「青の妹?」
「ああ」
「優しい?」
「……普通だ」
乃愛が青の腕をつつく。
「青、次のページ!」
「今めくる」
青は落ち着いた声で読み続ける。
乃愛はすっかり懐いていた。
その光景を。
キッチンから結愛が見ていた。
フライパンを握ったまま、手が止まる。
青が乃愛を膝に乗せている。
絵本を読んでいる。
琉生も横で笑っている。
穏やかな時間。
結愛の胸が、少しだけ熱くなった。
青は子供に慣れている。
優しい声。
自然な距離。
乃愛は完全に懐いている。
結愛は思った。
(青って)
(こういうところ)
(好きなんだよな)
乃愛が笑う。
青もほんの少し笑う。
それを見た瞬間。
結愛の心臓が強く跳ねた。
(やばい)
(この人)
(絶対いいお父さんになる)
結愛は顔を赤くした。
(無理)
(もう)
(結婚したい)
フライパンの中で油が小さく弾けた。
結愛は慌てて料理に戻った。
しかし頬の熱は、しばらく消えなかった。




