第24話 六月と体育祭、そして少しだけ近づく距離
# 第24話 六月と体育祭、そして少しだけ近づく距離
六月に入り、星嶺高校には少しずつ体育祭の気配が漂い始めていた。
昼休みになると、校庭ではすでにリレーの練習をしているクラスもあり、廊下では応援団の話をしている生徒の声も聞こえてくる。
三年生にとっては、最後の体育祭。
どこか浮き足立った空気が、校舎全体を包んでいた。
そんな中、三年A組のホームルームが始まる。
教壇に立った如月雫が、クラスを見渡しながら口を開いた。
「では、学級委員長の氷凪くんと黒金さん。体育祭の種目割り振りをお願いね」
教室のあちこちから「おー」という声が上がる。
如月は続けた。
「あと、進路の三者面談も近いから、各自しっかり考えておくように」
「はーい」
クラスが軽く返事をする。
その言葉の中で、青の心に引っかかったのはひとつだけだった。
三者面談。
青の表情が、ほんのわずかに曇る。
しかし、その変化に気づく者はいなかった。
結愛が立ち上がり、教壇の前に出る。
「じゃあ、まず立候補でいこうよ。やりたい種目ある人、どんどん手挙げてー」
明るい声に、教室の空気が一気に柔らかくなった。
すぐに手を挙げたのは葉山だった。
「青!スウェーデンリレーやろうぜ!」
突然名前を呼ばれ、青は葉山を見る。
「……わかった」
「アンカーな」
「それでいい」
結愛が名簿に書き込みながら笑う。
「はい決まりー。葉山くん、氷凪くん、あと二人必要だね」
「おい誰か走れー!」
「颯、俺も出る!」
「じゃあ俺も!」
男子が次々と手を挙げ、リレーのメンバーがあっという間に決まる。
結愛が黒板に書きながら言った。
「ちなみにA組、今年は優勝目指してるから。よろしくね!」
青が小さく眉を上げる。
「本気なのか」
葉山がニヤッと笑う。
「当たり前だろ。三年最後だぞ?」
「青、手抜くなよ?」
「手は抜かない」
青の短い返事に、葉山は満足そうにうなずいた。
そのとき、後ろの席から元気な声が上がる。
「はいはーい!」
星崎真凛が手を挙げていた。
「結愛、二人三脚やろうよ」
「お、いいね」
結愛が笑う。
「私たち息ぴったりだし」
「絶対勝てるって!」
教室のあちこちから笑い声が上がる。
葉山がすかさず茶化す。
「転んで二人とも顔面ダイブする未来が見える」
「うるさい!」
真凛がチョークを投げるふりをして、さらに教室が笑いに包まれた。
結愛は黒板を見ながら次の種目を読み上げる。
「次、騎馬戦。男子中心になるけど、誰かやる人ー?」
「俺やる!」
「俺も!」
男子たちが盛り上がる。
葉山が青を見る。
「青も騎馬戦いけるだろ」
「合理的ではない」
「なんでだよ」
「落ちたら怪我をする可能性がある」
「お前ほんと合理主義だな!」
教室から笑いが起きた。
その後も種目は次々と決まっていく。
綱引き。
障害物競走。
大玉転がし。
そして借り物競走。
そのとき、結愛はふと視線を横に向けた。
「凛花は?」
凛花は少し驚いたように顔を上げる。
「何かやりたいのある?」
「私は……」
凛花は一瞬考えた。
「運動は、あまり得意ではないから」
少し遠慮するような言い方だった。
しかし結愛は、まったく気にした様子もなく言う。
「いいのいいの、そんなの気にしないの」
「みんなで出るから楽しいんじゃん」
その言葉に、凛花は少し目を見開いた。
青はその様子を見ていた。
結愛はこういうとき、自然に人を輪の中に入れる。
誰かを一人にしない。
それは多分、計算ではなく本能なのだろう。
結愛が続けた。
「凛花って頭いいしさ、借り物競走とか向いてそうじゃない?」
「お題見てすぐ判断できそうだし」
凛花は少し考え、うなずく。
「……そうね」
「では、借り物競走にするわ」
結愛が嬉しそうに笑う。
「よし、決まり!」
そのときだった。
凛花が結愛の方を見る。
「ありがとう……黒金さ――」
言いかけて、止まる。
ほんの一瞬の沈黙。
そして凛花は言い直した。
「……結愛ちゃん」
結愛が目を丸くする。
「え?」
凛花は少しだけ照れたように視線を逸らした。
「あなたのおかげで、参加しやすくなったわ」
結愛は一瞬驚き、それから大きく笑った。
「いいじゃん、その呼び方!」
「なんか距離近くなった感じするし!」
真凛が身を乗り出す。
「おおー、凛花が結愛ちゃんって呼んだ!」
葉山も笑う。
「歴史的瞬間だな」
教室が少しだけ盛り上がった。
これまで凛花は、結愛のことを「黒金さん」と呼んでいた。
それはクラスメイトとしての距離の呼び方だった。
けれど今、初めて。
凛花は彼女の名前を呼んだ。
その後も、種目は次々と決まっていった。
応援合戦。
クラス対抗リレー。
借り物競走。
そして最後にはクラス全員参加の大玉転がし。
気づけば黒板は種目でいっぱいになっていた。
教室の空気は思った以上に活気に満ちていた。
青はその様子を静かに眺める。
体育祭なんて、ただ騒がしいだけの行事だと思っていた。
だが――。
こういう空気も、悪くない。
放課後。
体育祭の準備で、生徒会も忙しくなっていた。
生徒会室では書類が山のように積まれている。
凛花がペンを置き、ふと顔を上げた。
「青」
「ん?」
「三者面談、いつなの?」
青は少し考える。
「たしか、明日だ」
凛花が首をかしげる。
「たしか?」
「……ああ」
凛花は小さく息をついた。
「私も明日なの」
「学校に親が来るのって、少し緊張するわよね」
青は少し間を置いた。
「……そうだな」
短い返事。
だが、いつもより少しだけ声が重かった。
凛花はそれに気づく。
しかし、それ以上は聞けなかった。
生徒会の仕事を終え、青は廊下を歩く。
帰ろうとしたとき、教室の扉が開いた。
「青?」
結愛だった。
隣には女性が立っている。
結愛の母親だろう。
どうやら三者面談が終わったところらしい。
青は軽く会釈する。
「結愛も三者面談、お疲れ様」
「青はいつ?」
「明日だ」
結愛は肩をすくめる。
「三者面談ってさ、ちょっと緊張するよ?」
「覚悟しときな?」
冗談っぽく笑う。
「じゃ、私帰るねー」
結愛は母親と並んで廊下を歩き出した。
少し離れたところで声が聞こえる。
「あの子が、この前来てた彼氏?」
「彼氏じゃないってばー!」
結愛の笑い声が響く。
青はその背中を見送った。
親と並んで帰る姿。
それはきっと、特別なものではない。
当たり前の光景だ。
それでも――。
青は静かに目を伏せた。
明日の三者面談。
そのことを思うと、胸の奥が少しだけ重かった。




