第15話 凛花の相談
# 第15話 凛花の相談
翌日の放課後。
星嶺高校の校舎は、昼間の喧騒がゆっくりと静まり始めていた。
授業が終わったばかりの時間帯だが、すでに帰宅する生徒や部活へ向かう生徒で廊下の人影はまばらになっている。
遠くから聞こえるのは、グラウンドの運動部の掛け声と、どこかの教室から漏れてくる笑い声くらいだった。
そんな中、生徒会室の中ではまだ仕事が続いていた。
長机の上には整然と並んだ書類の山。
各委員会から提出された活動報告。
文化祭準備の進捗資料。
来月の学校行事のスケジュール。
それらを一枚一枚確認しながら、氷凪青は淡々と作業を進めていた。
青の動きは普段から無駄がない。
だが今日の作業スピードは、いつもより明らかに速かった。
理由は一つ。
今日は黒金結愛と一緒に帰る予定だからだ。
昨日、結愛からストーカーの相談を受けた。
下駄箱に入っていた手紙。
隠し撮りされた写真。
帰り道で感じる視線。
まだ断定はできない。
だが青の経験上、そういう違和感は大抵外れていない。
(まずは帰り道の安全確保)
(同時に相手の行動パターンを確認)
青の頭の中では、すでにいくつかの対応策が組み立てられていた。
だからこそ、生徒会の仕事は早く終わらせておく必要がある。
青は最後の書類をめくり、小さく息を吐いた。
「……これで一通り終わりか」
その声に反応するように、向かい側の机から声がした。
「氷凪くん」
顔を上げる。
そこには雪城凛花が座っていた。
長い銀色の髪が夕日を受けて柔らかく輝いている。
背筋はまっすぐ。
姿勢も表情も、まさに生徒会長という言葉が似合う整った雰囲気だった。
だが、その目にはほんの少し迷いが見える。
青は短く答える。
「はい」
凛花は一度視線を落としてから言った。
「相談の件なんだけど」
青はすぐに姿勢を正す。
「はい、伺います」
その瞬間。
凛花の眉がほんの少し動いた。
「その前に」
「はい?」
「同級生なんだから、敬語やめてよ」
青は一瞬沈黙した。
数秒考える。
「……」
「一応、生徒会長ですし」
「それに学年一位ですし」
「敬語の方が自然だと思う」
青は真面目に答えた。
凛花は小さく息を吐いた。
「そこ気にする?」
「気にする」
「私は気にしないわ」
凛花は少し困ったように笑う。
「それに……」
言葉が止まる。
ほんの少し頬が赤くなった。
「できれば、名前で呼んでほしいんだけど」
一瞬だけ。
生徒会長ではなく、普通の女子高生の顔になる。
青の内心。
(……かわいい)
もちろん口には出さない。
青は少し考えたあと言った。
「わかった」
「じゃあ……凛花?」
その瞬間。
凛花の表情がぱっと明るくなる。
だがすぐに言う。
「うん、それでいい」
そして少しだけ意地悪そうに微笑んだ。
「私も名前で呼ぶから」
「青」
その呼び方に、青の胸が少しだけ跳ねた。
凛花が名前で呼ぶ。
それだけで、二人の距離がほんの少し変わった気がした。
「それで」
青は咳払いする。
「相談って?」
凛花は周囲を見回した。
「ここじゃ話しにくいわ」
「場所を変えましょう」
「わかった」
二人は生徒会室を出た。
◇◇◇
校舎裏。
人の少ない場所。
グラウンドの掛け声が遠く聞こえるだけで、この辺りは静かだった。
青は周囲を確認して言う。
「この辺でいいか」
「ええ」
凛花は頷いた。
しかしすぐに相談には入らなかった。
代わりに、少しだけ青の顔を見る。
「昨日」
「黒金さんと帰ってたわよね」
青は少し驚く。
「見てたのか」
「偶然よ」
凛花はそう言ったが、少し気になる様子だった。
青は隠す理由はないと思った。
「結愛がストーカーにあっている可能性がある」
凛花の目が見開かれる。
「え?」
「相談を受けた」
「昨日はその確認も兼ねて一緒に帰った」
青は続ける。
「凛花には迷惑かけないようにする」
しかし凛花は首を横に振った。
「違う」
「生徒を守るのも生徒会の仕事よ」
「私にもできることがあれば言って」
青は少しだけ考える。
凛花は責任感が強い。
だからこそ巻き込みたくない。
「ありがとう」
「でも凛花を危険な目には合わせられない」
「今回は任せてくれ」
凛花の胸が高鳴る。
(きゅん……)
だが表情には出さない。
「……わかった」
「でも報告はしてね」
「わかってる」
青は頷いた。
「それで」
「凛花の相談は?」
凛花は俯いた。
数秒沈黙。
そして小さな声で言った。
「最近……」
「朝の電車で」
言葉が止まる。
青は急かさない。
凛花が続けるのを待つ。
「脚とか……お尻を触られてる気がするの」
青の目が鋭くなる。
「……痴漢か?」
「わからない」
凛花は首を振る。
「数分のことだから」
「ただ手が当たってるだけかもしれない」
「私の勘違いかもしれない」
「でも……」
声が震える。
「毎朝、同じ電車なの」
「同じ車両で」
「同じ時間で」
涙が浮かぶ。
「だんだん怖くなってきて」
青は静かに言う。
「話してくれてありがとう」
ティッシュを差し出す。
「怖かったと思う」
凛花の目から涙がこぼれた。
「私……」
「生徒会長だから」
「こんなことで騒げないし」
「相談もできなくて」
「毎朝電車に乗るのが怖いの」
その瞬間。
凛花は青に抱きついた。
「……怖かった」
青は少し驚く。
しかし拒まない。
青の頭の中では別の思考が動いていた。
(朝の電車)
(時間固定)
(犯人も同じ通学客)
(なら捕まえる方法はある)
いくつかの作戦が浮かぶ。
◇◇◇
しばらくして凛花が離れる。
顔が赤かった。
「ご、ごめんなさい」
「涙で制服濡らしちゃったね」
青は言う。
「大丈夫」
「すぐ乾く」
凛花の胸の奥で小さな声。
(好き)
青は言った。
「それより」
「明日から一緒に通学しよう」
凛花は目を見開く。
「え?」
「私、会長の仕事あるから朝早いわよ」
青は頷く。
「構わない」
「俺も副会長だ」
「会長の仕事手伝う」
凛花の頬が赤くなる。
「ありがと」
「でも勉強は?」
青は少し照れた。
「……いいんだ」
凛花は小さく笑った。
その笑顔は、さっきよりずっと安心していた。




