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星嶺高校の氷凪くんは、たぶん恋を知らない。~恋愛偏差値0のアオが、学年1位の美少女とギャルを救い救われる話~  作者: にめ
3学期:春休み

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第80話 夜は、少しだけ本音に近い(2)

# 第80話 夜は、少しだけ本音に近い









 夜の灯りを映したその瞳には、照れと、懐かしさと、少しだけ恋の色が混ざっていた。


 青の喉が、わずかに詰まる。


「……な」


 うまく言葉にならない。


 紬はそんな青を見て、いたずらが成功した子どもみたいに、にやりと笑った。


「だから、妹でもいいかなって」


「だめだ」


 青は反射的に言った。


 その声は、自分でも少し驚くほど即答だった。


 紬がぱちりと目を瞬く。


「早いです」


「俺の妹は、陽葵だけだ」


 それは考えるより先に出た言葉だった。


 言ってしまってから、胸の奥に少しだけ痛みが走る。


 だが、不思議と後悔はなかった。


 陽葵という存在だけは、誰かの代わりにしたくない。


 たとえ冗談のやり取りの中でも、それだけは譲れない線だった。


 紬は数秒だけ黙って、それから頬をふくらませる。


「ぶー。強いですね」


「当然だ」


「じゃあ、なんならいいんですかー」


 少しだけ空気が軽くなる。


 青はそこでようやく呼吸を整え、小さく考え込んだ。


「……そうだな」


「はい」


「無事に大学に行って、卒業して、社会人として自立できたら、かな」


 紬の表情が、わかりやすく固まった。


「先が長すぎます……」


「当たり前だ」


「えぇ……」


「受験もまだだろ」


「それはそうですけど」


 紬は恨めしそうに青を見る。


「じゃあ、その時になったら、付き合ってくれます?」


「……」


 青はすぐには答えられなかった。


 未来の約束は、簡単に口にするものじゃない。まして相手は年下で、これからいくらでも変わる可能性がある。


 けれど、そこで何も返さないのも違う気がした。


 青が言葉を探していると、紬はさらに畳みかけるように言った。


「というか、結婚してくれます?」


「結婚?」


 今度こそ、青は本気で素っ頓狂な声を出した。


「なんでそうなる」


「だって、社会人になったら結婚しかないじゃないですか」


「そうなのか?」


「はい、そうです」


「初めて聞いた」


「今、私が言いました」


「根拠がない」


「気持ちはあります」


「それは根拠じゃない」


 紬はむっとした顔でぬいぐるみの耳をいじった。


「青先輩、理屈ばっかりです」


「理屈のない話をされている」


「ロマンですよ」


「そうか」


「そこは『そうだな』じゃないんですか?」


「無理がある」


 二人でそんなやり取りをしているうちに、青はふと我に返った。


 何の話をしていたはずだったか。


 室内遊園地を出て、夜になって、夕飯の話をして――そこから、なぜ結婚の話にまで飛んでいるのか。


「ちょっと待て」


「はい?」


「俺たちは、何の話をしている」


 紬も数秒考えてから、はっとしたように口元を押さえた。


「あ……」


「夜ご飯の話では?」


「……そうでした」


 その間の抜けた返答に、青は思わず息を漏らす。


 笑ったつもりはなかったが、紬はすぐに目を丸くした。


「今、ちょっと笑いました?」


「笑ってない」


「笑いました」


「気のせいだ」


「ずるいです」


 紬もつられるように笑い出す。


 さっきまでの少しだけ深い空気は、いつの間にか、またやわらかなラブコメみたいな明るさに戻っていた。


 それが、少しありがたかった。


 紬が陽葵の話をしてくれたこと。病院での過去を打ち明けてくれたこと。その重みは確かに胸の中に残っている。


 だが同時に、紬はそこに沈みきらせない。


 必要以上に傷に触れず、それでいて、見ないふりもしない。


 その距離感が、青には心地よかった。


     ◇












 レストラン街へ向かう頃には、二人の間の空気はすっかり落ち着いていた。


 夜のモールは昼間よりも照明が目立ち、ガラスや床に光が反射して、どこか非日常めいて見える。飲食店の前にはそれぞれの看板やメニューが並び、通りには食欲を誘う香りが漂っていた。


「何がいい」


 青が聞くと、紬はうーんと考える。


「さっきパンケーキ食べたので、ちょっとしょっぱいものがいいです」


「それはそうだろうな」


「でも、おしゃれなお店もいいですし……悩みます」


「紬は本当に悩むのが好きだな」


「好きで悩んでるわけじゃないですよー」


 結局、二人は和風の定食と軽い甘味がある落ち着いた店に入ることにした。


 あまりかしこまりすぎず、それでいて静かに話せる店だった。


 案内された席に座ると、紬はほっとしたように息をつく。


「なんだか、一日が長かったような、短かったような……不思議な感じです」


「ああ」


「でも、すごく充実してました」


 水の入ったグラスを両手で包みながら、紬は笑った。


 注文を終えて少しすると、店内の落ち着いた空気も手伝ってか、二人の会話は昼間よりゆっくりになっていった。


「今日、いちばん楽しかったの、どこですか?」


 紬がそう聞いてくる。


 青は少し考えた。


「決める必要があるのか」


「あります」


「どうして」


「知りたいからです」


 真っ直ぐに見られて、青は視線を少し外す。


「……桜」


 答えると、紬は嬉しそうに目を細めた。


「私もです」


「そうか」


「あと、パンケーキも。あと、室内遊園地も。あと、今も」


「増えてるな」


「欲張りなんです、私」


「知ってる」


「えへへ」


 紬は楽しそうだった。


 料理が運ばれてくると、さすがにパンケーキよりは落ち着いた表情になる。だが、一口食べた瞬間にはまた幸せそうに頬をゆるめていた。


「美味しいです」


「それはよかった」


「青先輩、今日はよかったしか言ってない気がします」


「そんなことはない」


「あります」


 そう言いながらも、紬は嫌そうではない。


 むしろ青の少ない言葉の中から、自分に向けられた温度をきちんと拾い上げているようだった。


「青先輩」


「なんだ」


「今日は、ありがとうございました」


 少し改まった声だった。


 青は箸を置き、紬を見る。


「紬」


「はい」


「礼を言うのはこっちだ」


 昼にも似たようなことは言った。けれど今は、もう少しだけ具体的に言うべきだと思った。


「紬には、いろいろ助けられた」


 病院のことを思い出していたわけではない。


 だが今日の会話のあとでは、その言葉に前より深い意味が宿ってしまう。


「陽葵のことも……ありがとう」


 紬は一瞬だけ目を見開き、それからとてもやわらかく笑った。


「私のほうこそ、陽葵ちゃんに会えてよかったです」


 その言葉に、青は静かに息をついた。


 やはり紬は、変に慰めようとはしない。ただ、大切だった人を大切だったまま話してくれる。


 それがありがたかった。


「……俺もだ」


 短くそう返すと、紬の目が少しだけ揺れた。


「今の、もう一回言ってください」


「断る」


「えー」


「十分だろ」


「十分ですけど、保存用に欲しいです」


「意味がわからない」


「心の中に保存します」


「もうしてるだろ」


「ばれました?」


 紬は楽しそうに笑う。


 その笑顔を見て、青も少しだけ肩の力を抜いた。


 食事の後半は、大学の話や、紬の受験の話、春休みの予定など、ごく普通の会話が続いた。


 青が大学の手続きで慌ただしくなること。


 紬は新学年に向けて勉強も頑張らなければならないこと。


 それでも時々、紬はふいに「今日は特別でした」と言いたげな目を向けてきて、そのたびに青は視線の置き場に困るのだった。


     ◇






 食事を終えて店を出ると、夜はさらに深くなっていた。


 モールの賑わいはまだ残っているものの、昼間ほどの明るさはなく、全体が少しずつ帰るための時間へ傾き始めている。


 二人は駅へ向かって、ゆっくり歩いた。


 紬はぬいぐるみの入った袋を大事そうに抱えている。紙袋の取っ手に指をかけたその仕草が、妙に慎重で、今日一日の思い出ごと運んでいるみたいだった。


「青先輩」


「なんだ」


「今日は、ほんとにほんとに楽しかったです」


「ああ」


「これ、何回言っても足りないです」


「そんなにか」


「そんなにです」


 紬は立ち止まり、少しだけこちらを見上げた。


「また、こうして会えますか?」


 夜風が二人のあいだを通り過ぎる。


 それは軽い問いに見えて、実際はそうじゃないことがわかった。


 卒業したからこそ、会うには理由がいる。約束がいる。今までのように、同じ校舎に行けば自然と顔を合わせる関係ではなくなった。


 だからその問いは、これからも繋がっていたい、という願いそのものだった。


 青は、少しも迷わず答えた。


「ああ」


 その瞬間、紬の顔にぱっと灯りがともる。


「約束、ですからね」


「わかった」


「言質取りました」


「そんな大げさなものじゃない」


「私にとっては大きいんです」


 紬はそう言って、やわらかく笑った。


 駅の改札が見えてくる。ここで本当に終わりだとわかると、今日という一日が急に惜しくなる。


 それはきっと、紬だけではない。


 青もまた、その感覚を否定はできなかった。


「じゃあ、また連絡します」


 改札の前で紬が言う。


「ああ」


「青先輩もしてください」


「必要があればな」


「必要、作ります」


「何だそれは」


「ふふっ。じゃあ、おやすみなさい」


「まだ早い」


「じゃあ、気をつけて帰ってください」


「紬もな」


 紬は少しだけ迷うように立ち尽くしたあと、最後にぺこりと小さく頭を下げた。


 それから改札の向こうへ消えていく。


 人の流れに紛れていくその背中を、青はしばらく見送った。


 やがて姿が見えなくなってから、静かに息を吐く。


 胸の中には、今日一日の記憶がいくつも重なって残っていた。


 春らしい服装で現れた紬。パンケーキを嬉しそうに食べる顔。桜の下での笑顔。室内遊園地ではしゃぐ声。病院での過去を語る、少しだけ静かな横顔。


 そして――。


 自分の知らないところで、自分の行動が誰かの中に残っていたという事実。


 青は夜空を見上げた。


 星は街の明かりにかき消されて、ほとんど見えない。けれど見えないだけで、そこにないわけじゃない。


 人の記憶も、たぶん同じなのだろう。


 忘れたつもりでも、失われたつもりでも、どこかで確かに残っている。自分では覚えていないような小さな出来事でさえ、誰かにとっては消えないものになることがある。


 陽葵との時間も、きっとそうだ。


 なくなったわけじゃない。


 今もどこかで、こうして自分の中に、誰かの中に、静かに残り続けている。


 夜は昼よりも静かで、その分だけ、人の本音に近い。


 紬の言葉を思い出しながら、青はゆっくりと帰路についた。


 今日という時間もまた、きっと簡単には消えないのだろう。


 春の夜風はやわらかく、どこか優しかった。


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