第76話 白い世界で、隠せない想い(3)
# 第76話 白い世界で、隠せない想い
夕食と入浴を終え、ホテルの部屋に戻る頃には、外はもう完全に夜だった。
窓の向こうには雪に反射した淡い明かりが広がり、昼間とは違う静けさが山を包んでいる。
凛花と結愛の部屋は、二人で使うには十分すぎるほど広かった。ベッドが二つ並び、窓際には小さなテーブルとソファがある。暖房が効いていて暖かい。
昼間のウェアから私服に着替えた二人は、それぞれ荷物を整理しながら、しばらく何でもない話をしていた。
「今日、青すごい転んでたね」
先に口を開いたのは結愛だった。
少し笑いを含んだ声に、凛花も小さく微笑む。
「ええ。でも午後はだいぶ上達していたわ」
「そうだね。真面目だから、教えたこと全部ちゃんとやろうとするし」
「青らしいわ」
「うん。そういうとこ、ほんと青っぽい」
そこで一度、会話が途切れる。
同じ名前を口にしただけで、空気が少し変わった。
暖房の音だけが、かすかに部屋に流れる。
やがて凛花が、静かに口を開いた。
「……あの」
結愛が振り向く。
「この前のことなんだけど」
言われなくても、何の話かわかったのだろう。結愛の表情が少しだけ真面目になった。
「うん」
「その……結愛ちゃんも、青が好きって言ったでしょう」
結愛は一瞬だけ目を伏せた。
けれど、逃げなかった。
「あ、うん……」
明るさを少しだけ失った声。
それでも、きちんと受け止める声だった。
「……あれ、ごめんね」
「どうして謝るの?」
「だって」
結愛はベッドの縁に座り、指先をぎゅっと握る。
「そんな、凛花と青の関係を壊そうとか、そういうんじゃなくて……」
言葉を探すように、少し間が空く。
「私も、自分の気持ちに嘘つきたくないなって思ったの」
凛花は黙って聞いていた。
結愛は続ける。
「本当は友達として、凛花の背中を押したいって気持ちもあるんだよ。凛花、ずっと青のこと大事にしてきたし、すごく特別なのもわかるし」
その言葉に偽りはないのだろう。
凛花にはわかった。結愛は本当に、自分のことを嫌っているわけではない。
むしろ、大切に思ってくれているからこそ苦しんでいる。
「でも」
結愛は顔を上げた。
「私も青が好きなことは、もう隠せなくて。ごめんね」
その“ごめん”は、卑屈ではなかった。
ただ真っ直ぐで、不器用なくらい正直だった。
凛花はしばらく黙っていた。
窓の外では、雪が静かに降り始めている。
「……結愛ちゃん」
「うん」
「私は、結愛ちゃんに遠慮してほしくない」
結愛が少しだけ目を見開く。
凛花は、自分の膝の上でそっと指を重ねた。
「そして、私も遠慮したくないの」
それは静かな声だった。
けれど、芯は揺れていなかった。
「青のことをどう思うかは、たぶんもう、お互いに隠しても仕方ないでしょう?」
「……うん」
「だから、これからは正々堂々だね」
結愛の目がゆっくりと細められる。
その顔に、ようやく少しだけ笑みが戻った。
「……うん」
そして、結愛は照れたように笑った。
「なんか、凛花ちゃんらしい」
「そうかしら」
「うん。ちゃんとかっこいい」
「結愛ちゃんに言われると、少し照れるわ」
その返しに、結愛がくすっと笑う。
張り詰めていた空気が、ようやく少しだけやわらいだ。
「でもさ」
結愛が、今度は少し悪戯っぽく目を細めた。
「私、ほんとに負ける気ないからね」
「それは私も同じよ」
「わ、即答」
「当然でしょう」
凛花が涼しい顔で返すと、結愛は声を上げて笑った。
その笑いにつられるように、凛花も小さく笑う。
同じ人を好きな二人。
本来なら、もっとややこしくなってもおかしくない。
けれど、この二人は相手のことを軽く扱えなかった。
どちらも青に本気で、同時に相手のことも認めている。
だからこそ、この勝負は安いものにはならない。
## ◇
しばらくしてから、二人は温かいお茶を淹れ、窓際のテーブルで向かい合った。
先ほどまでの張り詰めた空気は薄れ、少しだけ気の抜けた女子同士の会話に変わっていく。
「それにしても、青って大学行ったら絶対モテるよね」
結愛がカップを両手で包みながら言った。
凛花は一瞬だけ視線を揺らし、それから淡々と答える。
「……そうね」
「顔いいし、頭いいし、背高いし、なんだかんだ優しいし」
「否定はしないわ」
「だよねえ……」
結愛は天井を見上げる。
「絶対、大学で変な女子に目つけられるよ」
「“変な女子”という言い方はどうかと思うけれど」
「でも、なんかいるじゃん。ああいう、さりげなく距離詰めるのうまいタイプ」
「それは否定しにくいわね」
二人とも、妙に真顔だった。
少しの沈黙のあと、凛花がぽつりと漏らす。
「……青は、そういうのに鈍そうだけれど」
「鈍いよ。めちゃくちゃ鈍い」
「ええ」
「でも、だからって安心できないんだよね」
結愛のその言葉に、凛花は小さく頷いた。
青は鈍い。
けれど、誰かが本気で手を伸ばせば、いつかその手を取る可能性はある。
それが自分であってほしいと、どちらも願っている。
「結愛ちゃん」
「なに?」
「あなた、ちゃんと告白するつもり?」
かなり直球の問いだった。
結愛がカップを持つ手をぴたりと止める。
「……それ、聞く?」
「気になるもの」
「うわ、凛花ちゃん意外と攻めるね」
結愛は苦笑し、それから少し真面目な顔になる。
「どうだろ。したい気持ちはある。でも、今すぐかって言われると……わかんない」
「そう」
「凛花ちゃんは?」
今度は結愛が聞き返す。
凛花は一度だけ目を伏せ、静かに答えた。
「私も同じ」
それが今の正直な答えだった。
想いはある。
言葉にもしたい。
けれど、焦って壊したくもない。
青がまだ喪失の途中にいることも、二人とも知っていた。
「……難しいね」
結愛がぽつりと言う。
「ええ」
「でも、難しいからって、もうなかったことにはしたくない」
「私も」
短く交わされたその言葉には、確かな重みがあった。
## ◇
一方その頃、男子部屋では別の意味で騒がしい時間が流れていた。
「青、お前今日、ずっと女子二人に挟まれてたよな」
ベッドに寝転がった葉山が、にやにやしながら言う。
「偶然だ」
「偶然で済ませるなよ。結愛ちゃんに手引かれて、雪城さんにフォーム直されて、あれ完全に少女漫画の主人公だったぞ」
「意味がわからない」
「わからなくていいのか、それ」
周りの男子たちも面白がって笑っている。
「氷凪、ほんとモテるよな」
「いや本人に自覚ないのが一番すごい」
「大学行ってもこんな感じなんだろうな」
青はベッドの端に座り、タオルで髪を拭きながら小さく息を吐いた。
「騒ぎすぎだ」
「お前が静かすぎるんだって」
葉山が笑い、それから少しだけ声の調子を変える。
「でもまあ、今の時間、悪くないだろ」
青は返事をしなかった。
悪くない。
たしかにそうだった。
雪の上で転んで、笑われて、誰かに手を貸される。そんな時間が、自分にもあるのだと知った一日だった。
そしてその中心には、やはり凛花と結愛がいた。
考えれば考えるほど、自分の胸のざわめきはうまく言葉にならなかった。
## ◇
夜が更け、ホテル全体が静かになる頃。
凛花と結愛の部屋も、照明を落としてベッドに入っていた。
窓の外では、雪が音もなく降り続いている。
暗がりの中で、どちらもすぐには眠れなかった。
凛花は天井を見上げながら、結愛の言葉を思い返していた。
自分の気持ちに嘘をつきたくない。
そのまっすぐさは、やはりすごいと思う。羨ましいとも思う。けれど、それを認めたところで、もう自分の想いは変わらない。
青が好きだ。
ずっと前から、少しずつ、その気持ちは積み重なっていた。
不器用でも、臆病でも、それでももう、引き返すつもりはなかった。
一方で、別のベッドの上では結愛もまた目を閉じたまま考えていた。
凛花はやっぱりすごい。
綺麗で、頭がよくて、落ち着いていて、ちゃんと青を理解している。
自分にはないものを、たくさん持っている。
でも、それでも負けたくないと思う。
青の隣に立ちたいと思う。
その気持ちだけは、どうしても譲れない。
同じ天井の下、二人は別々の思考を辿っていた。
けれど、その中心にいる人は同じだった。
氷凪青。
雪の夜は静かだった。
白い世界の中で、隠せない想いだけが、少しずつ輪郭を持ち始めていた。




