第76話 白い世界で、隠せない想い(2)
# 第76話 白い世界で、隠せない想い
午前中はそのまま初心者組に混じって何本か練習を繰り返した。
青は何度も転び、そのたびに結愛に笑われ、凛花に淡々と修正点を指摘された。最初はまともに立つことすら難しかったが、数本滑るうちにどうにか形にはなってきた。
「青、さっきより上手くなってる!」
葉山が拍手をしながら笑う。
「そうか?」
「最初は生まれたての子鹿みたいだった」
「例えがひどい」
「でも今は、ちょっと頑張ってる子鹿くらい」
「大して変わってない」
そのやり取りに周囲が笑う。
青は呆れながらも、どこか肩の力が抜けていた。
こうして何でもないことで笑う時間は、久しぶりだった。卒業式以降、心が揺れることは増えても、こんなふうに単純に体を動かして、失敗して、笑われて、それでもまたやる、という時間はあまりなかった気がする。
ふと、リフトで上へ向かう結愛の後ろ姿が見えた。
彼女は本当に上手かった。姿勢が安定していて、滑ること自体を楽しんでいるのがわかる。凛花もまた、スキー板を綺麗に揃えたまま滑っていて、こちらはどこまでも無駄がない。
青は二人を見比べた。
タイプはまるで違う。
けれど、どちらも綺麗だった。
結愛は、雪の上を駆けるようだった。
凛花は、白い景色の中を静かに切り取るようだった。
そんなことを考えた自分に、青は小さく眉を寄せた。
最近、自分は少しおかしいのかもしれない。
## ◇
昼食はゲレンデ脇のレストハウスで取ることになった。
カレーやラーメン、丼ものを前にして、クラスメイトたちは午前中の疲れも忘れたように騒いでいる。
「結愛ちゃん、スノボうまいね」
女子のひとりが感心したように言うと、結愛はストローをくわえたまま笑った。
「簡単だよ。教えてあげる」
「いや、結愛ちゃん基準で簡単は信用ならないって」
「えー、そんなことないって」
別のテーブルからは、凛花の方にも声が飛ぶ。
「雪城さんもスキー上手!」
「何回か、家族で行ったことがあるから」
凛花は控えめに答えるが、その“何回か”のレベルではないのは誰が見てもわかる。
そして青の方には案の定、別の声が飛んだ。
「青、またこけてたよな」
「見てたのか」
「めっちゃ見てた。あれ面白かった」
「……初めてなんだから、仕方ない」
そう返すと、結愛が笑い、凛花は「午後で慣れるわよ」と静かにフォローを入れる。その自然な流れが、なぜか周りの何人かをさらに面白がらせていた。
「氷凪、両手に花じゃん」
「ほんとそれ」
「午前中ずっと雪城さんと黒金さんに教えられてたし」
青はスプーンを持ったまま無言になった。
葉山が向かいの席で、面白そうに笑いを堪えている。
「お前ら、あんまりいじると青がフリーズするぞ」
「してない」
「してるしてる」
そんな周囲のやり取りの中で、凛花はふと視線を下げた。
その顔を見た青は、ごくわずかな違和感を覚えた。
笑ってはいる。
だが、どこか考え込んでいるようにも見えた。
そしてその理由を、彼女自身はわかっていた。
## ◇
卒業式のあと。
あの夕方、後輩たちの輪が少し途切れたとき、結愛に呼び止められたことを凛花は思い出していた。
廊下の隅。まだ校内には卒業生たちのざわめきが残っていた。
結愛はいつものように明るい顔をしていなかった。少しだけ緊張して、けれど逃げない目で凛花を見ていた。
「凛花ちゃん」
「どうしたの?」
「私、言っておきたいことある」
そのときの空気を、凛花は今でもはっきり覚えている。
結愛は一度息を吸って、それから真っ直ぐ言った。
「私、青のこと好き」
凛花は驚いた。
だが、それは予想外だったからというより、ついに言葉になったからだった。
結愛の態度を見ていれば、わからないはずがない。バレンタインも、ホワイトデーも、その前からずっと、彼女の視線の先には青がいた。
それでも、こうして真正面から言われると、言葉の重みはまるで違った。
「……そう」
それが、そのときの凛花の精一杯だった。
結愛は少し困ったように笑ったあと、続けた。
「凛花ちゃんには負けないから」
冗談ではない。
けれど、敵意だけでもない。
その言い方に、結愛らしいまっすぐさがあった。
凛花はそのとき、胸の奥に小さな痛みと、奇妙な感心のようなものを同時に覚えた。
結愛は、自分にないものを持っている。
明るさ。
温かさ。
言葉にする強さ。
迷っても、怖くても、自分の気持ちを隠さない強さ。
凛花には、それがまぶしかった。
自分はずっと、理屈や距離感やタイミングを気にして、肝心なところで踏み込めずにきた。青を大切に思っているくせに、その想いを抱えたまま立ち止まっていた時間が長すぎた。
結愛には勝ち目がない――そう思ったわけではない。
ただ、自分にはない魅力があることだけは、はっきり認めざるを得なかった。
昼食の喧騒の中で、凛花はほんの少しだけ結愛の横顔を見た。
結愛は笑っている。
誰といても、場の空気を明るくできる笑顔だった。
「結愛ちゃん、すごいな……」
小さく心の中で呟いてから、凛花は自分の皿へ視線を戻した。
けれど同時に、思う。
だからこそ、逃げたくはない。
遠慮して譲るような気持ちではないのだと、自分でももうわかっているから。
## ◇
午後は自由行動の時間が増え、上級者組はさらに上のコースへ向かい、初心者組は引き続き練習を続けた。
青は何度か転びながらも、午前中よりはましに滑れるようになっていた。結愛に手を引かれ、凛花にフォームを整えられ、葉山に笑われ、に応援される。なんとも騒がしい時間だったが、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、こうして誰かと同じ景色を見ていること自体が、少しだけ大事に思えた。
夕方になり、冷え込みが強くなってきたところで、クラスの面々はホテルへ移動した。
雪山の中腹に建つリゾートホテルは、思っていたよりも広く、ロビーには暖炉まであった。チェックインの手続きを済ませ、部屋割りが発表されると、あちこちで歓声と悲鳴が上がる。
「え、まじ!? 一緒の部屋?」
「やったー!」
「最悪、葉山と同室とか」
「お前もだろ!」
そんな騒ぎの中で、女子たちの側からひときわ大きな声が上がった。
「結愛ちゃんと凛花ちゃん、同じ部屋じゃん!」
一瞬だけ空気が揺れる。
結愛が「えっ」と目を瞬かせ、凛花もわずかに動きを止めた。
だが次の瞬間には、結愛が明るく笑った。
「ほんとだ。なんかすごいね」
「……そうね」
凛花も静かに頷く。
青は少し離れた場所からそれを見ていた。
凛花と結愛が同室。
偶然にしては出来すぎている気もしたが、もちろん青に口を挟む理由はない。葉山が横でにやにやしていたが、今は見ないことにした。
## ◇




