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「……私、花音先輩――黒崎先輩のファンなんです。いえ、ファンなんて言葉じゃ足りないですね。私が花音先輩に向ける感情は、信仰とか、崇拝とか、そういうものに近いかもしれません」
「美人で、頭がよくて、運動もできて、思いやりもある。花音先輩より素敵な人なんて、この世には存在しないって本気で思ってます。花音先輩は私にとって、憧れで、尊敬の対象で、理想そのもので。私にとっては絶対的な存在なんです」
「だから冴島先輩と初めて会った日、冴島先輩たちが私たちのクラスに勉強を教えに来てくれた時ですね。あの時の休み時間の会話は本当に衝撃的でした。あの花音先輩が、私はもう学年1位じゃないですよなんて、嬉しそうに言うんですから」
「耳を疑いましたよ。あらゆることにおいて他の追随を許さなかったあの花音先輩が、得意な勉強という分野で誰かに負けるなんて、思いもしなかったです。花音先輩に勝ったなんて一体誰がって思ったら、まさか私たちの班を見てくれてた冴島先輩がって話じゃないですか」
「それを知った時、おかしいって思いました。こんなよく知りもしない先輩が、あの花音先輩に勝つなんてありえない、そんなわけがないって。理不尽極まりないですけど、そう思っちゃったんです」
「本当に先輩が花音先輩に勝てるようなすごい人なのか、確かめてやろうと思いました。先輩が花音先輩の弱みを握っているみたいな、裏があるんじゃないかと疑いました。先輩の勉強をする時間を邪魔してやろうと考えました」
「たくさんの負の感情に任せるまま、衝動的に行動を起こして。ダメ元でアプローチしてみたら、多少の紆余曲折があったとはいえなぜか成功してしまって。これはもう後に引けないぞって、先輩との勉強会を始めました」
「でも、冴島先輩と一緒に過ごしてると気づいちゃうんですよね。ああ、この人いい人だって」
「勉強教えてもらってるとき、私がなかなか理解できなくても怒ったり呆れたりせずにわかるまで丁寧に説明してくれました。どれだけ時間と手間をかけたんですかっていうくらい綺麗でわかりやすいノートを作ってきてくれました。いろんな参考書から私のためになりそうな問題を探してきてくれました。くだらないメッセージ送っても毎回律儀に返信をくれて、わけわかんない理由で休日呼び出してもちゃんと付き合ってくれて」
「私のわがままで振り回していいような人じゃないってことは馬鹿な私でもわかりました。でも、途中で止まる勇気が私にはなくて。心の中であれこれ言い訳しながらずっと、先輩の時間を奪い続けました」
「信じてもらえないかもですけど……この勉強会が終わったら先輩に全部話してちゃんと謝ろうって思ってたんです。たとえ許してもらえなくても、できる限りの償いはしようって。結局、それすら私はできませんでしたけど」
「先輩の中学校時代のお話を聞いて、自分に言い訳をするのも限界が来ちゃいました。先輩ほど大変だったわけじゃないですが、実は私も似たような経験があるんです」
「今から1年くらい前、クラスの子たちと仲違いしちゃったことがあって。無視まではいかなくてもかなり露骨に避けられるようになりました。それだけでも私的には結構辛くて、あーもう学校行きたくないなーなんて思っちゃって。そんな時、たまたま花音先輩に助けてもらって。もうお察しかとは思いますが、その時から私は花音先輩に憧れるようになったんです」
「先輩にとって学年首席っていう肩書はただのステータスじゃなくて、自分を守るための鎧だったんだってことを知りました。私よりずっと辛い目に遭ってきただろう先輩の心の支えを、人に嫌われることの辛さを知っているはずの私が、自分の幼稚なわがままで壊してしまったんだって。そう自覚しちゃうと、罪悪感に耐えられなくなっちゃって……」
再び瞳に涙をためていく白石さん。
そういえば交流授業の時、黒崎さんのついている班を羨ましそうに見ていたのは彼女だったことを思い出した。
白石さんから聞いた真相は、概ね灰田さんの推測通りだった。
といっても、クラスメイトとの折り合いが悪かったことなんかは初めて知ったけれど。
どうやら、彼女はその経験から僕と自身を重ねてしまったらしい。
白石さんは相当僕に感情移入してしまっているというか、僕の話を深刻に受け止めすぎている。
今の話をするために、きっと相当な勇気を振り絞ってくれたのだろう。
だから、こんな感想を抱くのは彼女に些か失礼な気はする。
でも、僕の本音は”そんなに気にしなくてもいいのに”だった。
こんな事情を想像できていたわけではないけれど。
別に白石さんが100%好意で僕に接触してきたとは、最初から思っていなかった。
何か僕に伝えていない目的があるんだろうな、くらいは僕だって考えた。
それでも、僕が白石さんの提案を受け入れたのは。
それでもいいやって思ったからだ。
そんなわけがない、じゃなくて、それでもいいや、だ。
裏があっても、騙されても、別に白石さんにならいいかなって思えたから、あの日僕は頷いたんだ。
だから、僕にとって大事なことはたった1つだけ。
わざわざ確かめる必要もないことなのだけど……それを尋ねた。
「ねえ、白石さん。素の僕と初めて会った日にさ、こっちの方がいいって言ってくれたよね。あれって、嘘だったりする?」
「……嘘じゃないです」
特に驚きはなかった。そりゃそうだ。知ってたんだから。
僕は心の中をそのまま言葉にした。
「素の僕を見て、こっちの方がいいって言ってくれた白石さんの力になりたいと思ったんだよ。その決断を後悔するはずがないって信じられたから、あの日の僕は「いいよ」って言ったんだ。実際、今の僕は微塵も後悔してないし、白石さんの話を聞いても嫌な気持ちになんてならなかった。だから、白石さんは何も気にしなくていいんだよ」
まごうことなき本音だった。
でも、白石さんの表情は暗いままだ。
「気にしなくていいって、そんなわけないです……」
そんなわけあるんですよ……。
でも確かに、泣くほど気にしていることを気にしなくていいよとだけ言われても、じゃあ気にしません!とはならないよなぁ。
白石さんが納得できるよう、僕は言葉を重ねた。
「僕が勉強してた動機って基本後ろ向きなんだよ。将来どうしてもなりたい職業があるとか、勉強が好きだとか、そういう前向きな理由で勉強してたわけじゃない。だから僕にとって、勉強の時間ってそんな大切なものでもなかったんだよね」
勉強の時間を奪われて怒れるほど、僕は真面目な人間じゃない。
むしろその逆で、勉強以外にすることを与えてくれた白石さんには感謝している。
「さっき話した通り、僕の学校生活って全然充実してなくてさ。中学校時代は言うまでもないし、高校に入ってからは自分の評価にビビって緊張しっぱなしの日々だし。でも、白石さんは背伸びしてない僕をあっさりと受け入れてくれたから。白石さんと過ごす時間だけはちゃんと楽しかったんだよ。変に肩肘張らずに雑談したり、メッセージのやり取りしたり、一緒に遊びに行ったり。勉強ばっかでつまらない日々を送ってた僕からしたら、むしろありがたかったよ」
臆病な僕が、憧れながらも諦めていた青春らしい時間を、白石さんのおかげで過ごすことができた。
お礼を言うことこそあっても、怒ったり悲しんだりすることなんて全くない。
「あとはほら、白石さん、勉強すごく頑張ってたよね?」
放課後の時間以外に、家でも予習や復習をしっかりしてきていた白石さん。
学校からの課題もある中でそれらをきちんとこなすのは簡単なことではなかったはずだ。
その一生懸命さはもしかすると僕に対する罪悪感からだったのかもしれないけど、動機がなんであれ白石さんが真面目かつ真剣に勉強に取り組んでいたのは間違いない。
「白石さん的には目的じゃなくて手段だったのかもしれないけどさ。僕としては、それだけで十分満足できるっていうか、時間を割いた価値はあったなと思えるというか……」
意図がどうであれ自分の頑張りに対して真剣に応えてもらえたのだ。
それだけで僕が白石さんのために時間を使った甲斐はあっただろう。
「そんなわけだからさ。ちゃんと考えた上で僕も気にしなくていいやって思ってるんだし、そんなに自分を責める必要はないって。ほら、いつだったか言ってたみたいにさ、"私みたいな可愛い子に勉強を教えられて役得ですよね"くらいのスタンスでいいんだよ」
少しくらい笑ってくれないかと思って再び軽口に挑戦してみたものの、やっぱり僕にはセンスがないらしい。
白石さんの表情はいまだに晴れなかった。
「そう言ってもらえるのは、ありがたいです。……今の言葉が嘘じゃないっていうのも、わかっているつもりです。でも先輩、学年1位って肩書を失うかもしれないことについてはどう思ってるんですか……?」
あー、一番気にしてるのそこかあ……。
「1位じゃなくなったなら、それはそれでいいのかなって。僕をやたら過大評価する風潮もなくなって、今みたいに胃が痛い高校生活から解放されるかもしれないし」
「でも、先輩にとって今の地位を失うのは怖いことなんですよね?周りから落胆される可能性があって、そうなるのが先輩は嫌なんですよね?だからこそしんどいって思いながらも、今まで勉強を頑張ってきたんですよね?」
「それはまあ、そうなんだけど……」
そんな話を白石さんにしてしまった以上、違うと言うのは憚られた。
「じゃあ、やっぱりだめですよ。私のくだらないワガママのせいで先輩にそんな思いをさせるなんて……」
な、なんとしても自分を責めるという強い意志を感じる。
あーもう!こうなったら仕方がない!
「ねえ、白石さん。僕が白石さんと過ごす時間を楽しいと思ってることや、勉強を教えた甲斐があったって思ってることは信じてもらえるんだよね?」
「はい……。先輩はお人よしだから、本心からそう思ってくれてるんだろうなってことは、わかります」
「それでもまだ辛そうにしてるのは、僕の成績を下げてしまうことに対する罪悪感のせい?」
「そう、ですね……。先輩がどんな想いで成績を維持していたかも知らないで。何の覚悟もなしにそれを奪った自分のことが許せなくて……」
ワードチョイスが重い。
やっぱり深刻に考えすぎなんだよなあ……。
「よし、それじゃあさ。白石さんに2つ、お願いがあるんだけどいいかな?」
「お願い、ですか……?」
潤んだ瞳でこちらを見つめてくる白石さん。
その表情は庇護欲をそそるような可愛らしいものだったけど、彼女には笑顔の方が似合うなと思う。
「そうお願い。1つ目は、最初の約束通り勉強会をテスト本番までは続けてほしいってこと」
「え、でもそれは……これ以上、先輩の時間を奪うなんて……」
「ここで中途半端に終了ってなる方がもやもやして気持ち悪いから、どうせならやりきりたいんだよね。白石さんのために準備してた色々が勿体無いし」
「…………先輩がそう言うなら、私は構いませんけど……」
「ありがと。白石さん的には気まずいかもだけど、もうちょっとだけ頑張ってくれると嬉しいな」
「はい、わかりました……」
居心地悪そうにする白石さんには申し訳ないけど、僕としてはどうしても自分にできることは全てやったと言い切れるようにしておきたかった。
そっちの方が後悔がないだろうし……全て終わった後に、一番笑えるだろうから。
「それで2つ目は、次のテストに全力で取り組んでほしいんだ。白石さんがよく頑張ってきたのは知ってるんだけど、やっぱり教えた側としては、過程だけじゃなく結果にも頑張りが現れると嬉しいなって思うんだよね」
「それは、頼まれるまでもないです。先輩がここまでしてくれたのに、それを無駄にするような真似は絶対にしません。これ以上先輩に失礼な真似ができるわけないじゃないですか」
プレッシャーをかけるような物言いをものともせず、はっきりと言い切る白石さんに安心する。
今の状態のメンタルをずっと引き摺ってしまうとテストも酷いことになるんじゃないかと不安だったけど、その心配はなさそうだ。
それじゃあ後は――
(僕が、頑張るだけだよね)
白石さんを泣かせてしまった翌日の休み時間。
普段は自席で黙々と過ごすことが多い僕だけど、今日は話したい人がいる。
「黒崎さん、今ちょっとだけいいかな?」
窓際から2列目、その最高尾に座っている彼女に声をかける。
「あら、冴島くんの方から話しかけてくれるなんて、珍しいですね」
「ちょっと用があってさ」
「用ですか……。一体どんなご用で?」
「まあ、大したことじゃないんだけど。いつも黒崎さんにしてもらうばかりだからたまには僕からもと思ったっていうか……」
「……?」
一体何のことだという様子の黒崎さん。そんな様子に少しホッとする。
これで全部お見通しだったら、気合を入れて着込んできた虚勢が吹き飛ぶところだった。
震えそうになる身体を必死に抑えつけて、余裕そうな笑みを作ってみせる。
「黒崎さんには悪いんだけど、次のテストも僕が勝つね」
いきなり挑発めいたことを言われたのが予想外だったのか、ぽかんとする黒崎さん。
しかし徐々にその口角は上がっていき、最後にはとても、とても嬉しそうな笑みを浮かべていた。




