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彷徨う雷雲   作者: 佐伯 蒼太郎
21/26

定まる


            (二十一)


「ひどい腫れ! なんで柔道なのに殴られるの」


 夏美はそう言いながら氷水で冷やしたタオルを加藤の頬にあてる。


「俺が何をしてもいいって言ったからさ」


「それにしたって五人相手なんて無茶よ! もうやめてね、こんなこと」


「五人くらいが相手でこれじゃあ......戦えないな」


 つい、ぼそっと口をついて出た。


「戦えないって、誰と戦うの?」


「いや、まあ、あの時みたいに暴漢が大人数で現れた時にさ」


「そんな時は逃げればいいじゃない」


「ああ、そうだな」


「でも、加藤さんって逃げようとしないわよね、きっと。そんな気がする。でもこ

れからは逃げてね。あの時だって相手がナイフを出した時、加藤さん、殺されちゃ

うと思った。あのときは知らない人だったけど、今はもう......」


「こうして生きているだろ?」


「いつもいつも、そう上手くいくとは限らないわよ。お願いだからもう無茶をしな

いで!」


 そう言って夏美は加藤の肩に両手をまわし頬をつけた。

 加藤はただ黙っていた。黙っているしかなかった。返せる言葉のひとつも無いこ

とは、嫌と言う程分かっていたから。


 興隆会の組事務所の前に来た。

 佐伯組のように裏道ではなく、国道に面していて、小さくはあるが小綺麗なビル

の一階にあった。

 道路のプラタナスの大きな緑色の葉と、興隆会の木製の入り口ドアの真鍮製のド

アノブが、奇妙なコントラストを醸し出している。 

 人の出入りはなかった。


(今日はこれで帰ろう)


 とりあえず場所だけ確認したかった。

 佐伯組でリンチを受けたときは六人しかいなかった。あれが全員かどうかは分か

らないが、まあ十人前後ではないかと当たりをつけていた。

 興隆会は佐伯組よりでかいと聞いている。はたして何人くらいいるのだろう。


「加藤さん!」


 後ろから声をかけられ加藤はビクっとした。


「加藤さんですよね」


 加藤が振り向くと京子と山木だった。

 京子はあの頃のケバケバしい化粧の面影はなくなり、髪は薄茶に染め、淡いピン

クの口紅をつけて、普通の娘になっている。山木も地味なシャツとジーンズで、肩

で風を切っていた面影はどこにも無かったので、気づくまでに数秒かかった。


「誰かと思ったぜ。随分変っちまったな。足でも洗ったのか」


「はい、地獄を見ました......色々と。ようやくけりをつけて、きれいになれまし

た」


「そりゃあ良かった。しかしお前等はいつも一緒だな」


「はい、ヤンチャも一緒だったけど、地獄も一緒にくぐった戦友みたいなもんで

す。ところで加藤さん、さっき興隆会の事務所を見ていましたね。何か用事でもあ

ったんですか?」


「おまえ、石口って男を知ってるか」


「知っているも何も組長ですよ。興隆会の。でも、かかわり合いにならない方がい

いですよ。あの石口って組長は残忍で有名です。俺等がぶらさがってた佐伯組の組

長でさえ、本当はつき合いたくないんです。でも向こうは同じ街だからと、しょっ

ちゅう遊びにくるんですよ。将棋を指しに。石口は将棋が大好きなんです」


「興隆会の組員は何人くらいいるんだ」


「さあ、詳しくは知りませんが、十五、六人くらいだと思います」


「武器はどんな物を持ってる」


「それも具体的には知りません。ただ石口は残忍なだけじゃなくて、結構インテリ

で英語がペラペラらしいです。佐伯組の組員が、興隆会はアメリカのマフィアから

武器を流してもらっていると言っていたのを聞いたことがあります」


 加藤は川西が持っていたSIGも、興隆会から流れてきたのかと合点がいった。


「何があるのか知りませんが、ともかく、あの組........石口とはかかわらない方が

いいです。足を洗った後で、元の仲間が組員から聞いた話らしいんですが、高速道

路のいざこざで、アベックを水に沈めて殺しちゃったらしいですよ」


「なに!」


 どうやって興隆会の組員から聞き出そうかと考えていた。しかし、それをすれ

ば、組全体が加藤に用心を敷くのは間違いなかった。


「なんでも、でかいコンクリートの貯水槽に二人を閉じ込めて、組員にバルブを開

けろって言ったらしいです。さすがにその組員も、素人相手にそれはないだろうと

思ったようですが、アベックのその男ってのが無茶苦茶強くて、ステゴロで鳴らし

た石口も危うくなって、一人の組員がその男を撃っちゃったらしいです。それで、

証拠隠滅のために、何もしていない女まで一緒に....その組員はその後、少しこっち

がおかしくなっちゃったみたいです」


 山木はそう言って頭を人差し指でさしてクルクルと回した。


「そんなヤバい話を、 どうしてその組員は話したんだ。石口にバレたらエライ目に

合うだろうに」


「なんか、堪えられなかったみたいですよ。いくらヤクザでも、ここまで冷酷にな

れるかって。誰かに話して楽になりたかったみたいです」


「そうか、武井はよく戦ったんだな」 胸を突いて、こみ上げて来るものがあっ

た。


「武井って?」


 涙を見られまいと、山木の言葉に答えず、背を向けて歩きはじめた。

 加藤の頭には、水かさの増してゆく貯水槽の中の二人が映像のように浮かんだ。


(武井のことだ、最後の最後まで綾を守ろうとしたんだろう。どんなに苦しかった

だろう。悔しかっただろう。待ってろよ、もう少し待っていてくれ)


 日は落ちて、街がキラキラと虚飾の光を放ち始めていた。加藤は、自分がどこを

どう歩いたのかも覚えていなかった。



 金曜の練習が終わったあと、土屋に飲みに誘われた。土屋の家ではなく、飲み屋

でというのは珍しいなと思った。

 社宅には夏美が来ているので、遅くなると連絡を入れた。

 夏美は「あんまり遅くならないでね」と言いながら、受話器の向こうでふくれて

いるのが声から分かった。

 居酒屋、掘りごたつ風の小上がりに座る。 

 なんだかいつもの土屋と違う。何かを言いよどんでいるような雰囲気がして、二

人ともぎこちなかった。

 ビールがきて、土屋は救われたようにコップに注いだ。


「いやあ、加藤さん評判いいですよ。工場長にも、よく働く男を連れて来てくれた

と、私が褒められちゃいましたよ」


(今日誘ったのは、そんなことを言うためじゃないだろう)


「柔道部のメンバーも、最近練習が面白くてしょうがないらしく、ほぼ全員が出席

してきています。こんなことは部創立以来、初めてですよ」


 それから、あまり、どうということもない世間話がだらだらと続いた。何か話を

切り出そうとしているのが分かる。土屋は正直な男なのだ。


「あのう、ちょっと小耳に挟んだのですが、加藤さん、女性とつき合っているんで

すか?」


「ああ、事務所にいる三枝っていう女だ。まずいかな」


「いえ、私も喜んでいます。末は結婚を考えているのですか」


「いや、それはまだ分からない。歳が離れているし、美知子のこともあるし」


「歳の差なんて関係ないですよ。もしそうなったら、年下で僭越かもしれません

が、私に仲人をやらせてください」

 焼き鳥がきた。塩とタレ。どちらも美味いがタレは絶品だった。

(土産に、二人に持って帰ってやろう) そう思う。


「まだ、そんなところまでいってないよ。大体、彼女の親....... お袋さんだけらし

いが、コブつきの男、しかも、もとホームレスじゃ、良い顔もしないだろう」


「そんなこと、言わなけりゃ分かりませんよ」


「それに......」


 今度は加藤が言いよどんだ。


「まだ復讐のこと......諦めていないんですね?」


 土屋が小声で言う。


「ああ」


 しばらく間があった。


「私、加藤さんが女性とつき合ってると聞いて、なんだかほっとしたんです。この

まま一緒になって幸せになってくれたらと。加藤さんの今までの生活、壮絶すぎた

から......みっちゃんのためにも.......」


「俺も何度それを考えたか。でも、どうしても許せないんだ。あいつだけは、石口

だけは」


「石口っていうのですか......とうとう突き止めたんですね」


「ああ」


「やっぱりか。そうだよな。加藤さんがそんなに簡単に諦めるはずはないと思って

いました。でも、もしかして、そういう平和な生活になったらと、私も夢を見てい

ました」


「いつも心配してもらっているのに、申し訳ない」


「いえ、そんな、頭なんか下げないでください。それがやっぱり加藤さんらしいの

かもしれません。そうであるのなら、私で力になれることがあったらなんでも言っ

てください。お手伝いしますから」


「いや、誰の手助けも受けない。」


 加藤は急に小声になる。


「人殺しになるかもしれないからな」


 家に帰ると二十二時を回っていたが、二人とも起きていた。


「いつもすまない」


 加藤はそう言って夏美に頭を下げた。


「いいのよ、たまに遅くなるくらい。私も加藤さんと飲みたいと思ってワインを持

って来たの。飲む?」


「ああ、いいね。ほら、焼き鳥」


「わあい」と言って、美知子が包みを開けると、一串取って頬張った。


「うまいか?」


「おいし〜い!」


 そういう美知子を見るのが、加藤にとって何よりの喜びだった。

 と同時に、ポリバケツを漁らせていた自分の不甲斐なさを思い出して、心の底か

らすまないと思うのだった。


 布団は洋間に敷いた。

 あの時から、美知子の寝る和室と分けて寝るようになった。美知子はそのことに

ついて何も言わない。

 加藤は夏美の身体の虜になっていた。

 その時だけは、全てのことを忘れて溶けていられた。夏美の声が隣の部屋の美知

子に聞こえぬ様、それだけに気を配りながら。


              

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