助っ人の話
自動車が家に着くと、何やら表が騒がしかった。ちょうど、来客があったところに居合わせたらしい。
来客は上品な壮年の男女二人で、一見して夫婦者に見える。中年の母と娘たちという構成の槙野家を訪ねる客人としては、あまり見ない年齢だ。
彼らを観察する聡子の視線に気づいたのか、客人は綺麗に背中の伸びた礼を、二人揃ってした。
「聡子様ですね。はじめまして、風間と申します。横におります妻と一緒に、本日よりこちらでお世話になります」
「……え?」
とても礼儀正しい挨拶ではあるけれど、初対面の人間から『今日からお世話になる』と言われても困る。それは、礼儀正しければいいというものではない。
聡子の戸惑いをよそに、晴臣は鷹揚に頷いた。
「おお、来たか」
「お知り合いですか?」
「うちの家令だ」
「家令?」
「洋風に言うならば、執事と申しましょうか。奥向きのことは私めにお任せください」
穂村家の家政を掌る家令の風間氏と、屋敷の掃除はもちろん、屋敷全般の管理に長けた"ハウスキーパー"の風間夫人。
彼ら夫妻を、晴臣はわざわざ穂村家から呼び寄せたらしい。
「俺もこれからこの家に住む以上、まずは生活環境を整えないとな。同居する利便性を不便さが上回って悩みが増えるのは本末転倒だ」
「……環境が整ってなくて不便な家で、悪うございましたね……」
確かに、使用人にも暇を出して家族だけで暮らしている槙野家では、いろいろと行き届かないところもあるだろう。
日頃満たされた生活をしてきた晴臣にとってはなおさら、この家に不満を抱くのも分かる。
だが、よそから連れてきた人に、自分の家のことを任せるなんて――聡子が内心で不満を燻らせていることに気づいたのか、風間は穏やかに微笑んで言った。
「奥様。そう難しく考えずとも、私どもを便利に使ってくださればよろしいのです。花の女学生でしょう、少しお友達と遊びに行く時間を作ったって罰は当たりませんよ」
「それは」
この数年、遊びに行く余裕なんてなかった。
やつれた母と病弱な妹の世話をして、収入のない家をどうにか支えるためには、聡子の好きに使える金も時間もなかった。
一人の細い肩に背負ったその荷を少し下ろしてもいいのだと、風間は言った。そのために晴臣は彼らを呼び寄せたのだと。
何やら都合のいい夢でも見ているような気がして、聡子は呆然と呟いた。
「……本当に、いいの?」
「もちろんですとも。好きなだけお過ごしください、と言いたいところですが、個人的には、晴臣様が拗ねない程度に収めていただけるとありがたいですが」
「おい、聞こえているぞ。誰が拗ねるんだ、誰が!」
「これは失敬」
茶目っけのあるからかいに、晴臣がすかさずつっこむ。
彼らのやりとりを聞いてくすくすと笑う風間夫人が「奥様は荷物を置いていらっしゃいませ。お茶の準備をいたします」と促した。
促されるまま自室へと足を向けて、廊下の途中で気づいて立ち止まる。
「……『奥様』じゃないけれど」
これは期間限定の、見せかけだけの婚約だ。
こんなものに慣れたらいけないと、聡子はぶんぶんと頭を振った。
わざわざ呼んだだけあって、風間夫人の料理の腕前は素晴らしかった。
手土産として渡された和菓子とともに差し出された茶ですら、家にあったものと同じ茶葉かと疑うほど深い旨みがある。
驚けば「茶葉の蒸らし具合を変えました」と控えめにはにかまれたが、聡子には手品のようにしか思えなかった。
「わあ、美味しい!」
せっかく甘いものがあるなら、と呼んだ爽子も、目をきらきらさせて風間夫人の手際を見て、和菓子にかぶりついている。
日頃は食が細いのに、今日は随分進んでいる。
これで元気になってくれるなら、聡子の分までいくらでもあげたいと思うのに、妹は、和菓子を一個食べきったところで、ぴたりと手を止めてしまった。
「爽ちゃん、もういいの? 美味しかったでしょう?」
「うん。でも、身体が怠くて、食べる気がしないの。ごはんも、作ってもらったのに、ごめんなさい」
和菓子を惜しむような目で見て、風間夫人に礼を述べて去る様子からするに、爽子は味の好き嫌いの問題ではなく、本当に食欲が湧かないせいで食べられなかったのだろう。
「妹さんは何か持病があるのか」
食器を片付けに風間夫人が席を立ったとき、晴臣が直截に尋ねてきた。
他人の持病だなんて軽々しく聞いていいことではないだろう、とは思いつつ、これから同じ家で暮らす彼にとっては、他人事でないのは分かる。
愉快な話ではないけれど、聡子は呼吸を整えてから、口を開いた。
だって――。
「……妹は元から身体が弱くて。特にこの頃は、心配な咳も出るようになってしまって」
「結核の可能性は?」
「……っ」
――人から人に感染する病気がある。その中には、死に繋がる不治の病だってある。
何も知らずに同居させられては困る、と晴臣が警戒するのは当然だ。
だから、聡子としても隠すつもりはないし、彼にも早く伝えておくべきだと思った。
「病名は? 医師の診断は受けているのか? 感染する病なら、隔離するなり――」
「あの子を、山に捨てろとでも仰るの?」
自分でも驚くほど、凍てついた声が出た。
分かっている、晴臣は間違っていない。
感染する病の患者は隔離しないと周りに迷惑がかかる。肺を病む結核なら、患者本人のためにも空気の綺麗な土地で過ごさせた方がいい。
だから、爽子が結核なら、高原の療養所にでも入れるべきだ。――だが、家族として、それを受け入れられるかは別の話だ。
「……あなたにとっては、不便で、遠ざけたいものなのでしょうけれど、ここは私の家で、あの子は私の家族なの」
あなたは、渋々ここに来たから、この場所に何の価値も感じていないのだろうけれど。
この家をより良い場所に、より過ごしやすい場所に変えようとする晴臣の行動は明らかに正しくて、だが、変えられたその空間に、聡子がどこか居心地悪く感じていた理由。
ここは聡子が育った場所で、聡子の居場所で、そう簡単に離れられはしないし――結局のところ、離れたくもないのだ。
「勝手に我が家に土足で入ってきて、踏み荒らさないで!」
感情的に言葉をぶつけると、彼はまっすぐに目を見返してきた。




