故人の話
志乃の助言通りに「縁あって婚約することになった」と簡潔に説明すれば、女学生たちの追及の手は多少は緩んだようだった。
「聡子さん、帰ろうか」
どうにか放課後までを乗りきって、時間通りに来た迎えの車にそそくさと乗り込む。長く留まって、これ以上の注目を集めるのは避けたい。
運転席の晴臣は、制服の上着を脱いだシャツ姿だった。
「お仕事帰りですか? 指輪について調べるのとは別に?」
「ああ。これに拘って他の仕事を免除してくださるほど、二辻閣下はお優しくない。『表沙汰にできない仕事は余暇でやれ』と仰せだ」
「それは……お疲れ様です」
普段の仕事は普段通りにやれ、それに加えて指輪の件は私生活を削って対応しろ、だなんて、単純に考えれば仕事量は倍に増える。
随分人使いが荒いんだな、と同情の目を向けると、晴臣は軽く頭を振った。
「もう慣れた。昔から横暴なガキ大将だからな」
「昔からのお知り合いなんですか? ご学友?」
そういえば、昨日、晴臣が母と話していたときにも、二辻侯爵のことを指して『あいつ』と口走っていた。
純粋な上司と部下の関係だけではないのだろう、と見当をつけて言うと、案の定だった。
「通う学校もずっと同じだったが、それ以外でも子どもの頃から会う機会は多かった」
「子どもの頃から?」
「二辻家は辰巳兵衛公の奥方の親戚で、穂村家は辰巳家の家老の家系だ。辰巳家で祝い事があれば、お互い必ず出席せざるを得ない立場だった」
「なるほど、幼なじみなんですね」
それは立派な幼なじみ以外の何者でもない。
合点した聡子がぽんと手を打つと、晴臣は渋い顔をした。
「幼なじみ……まあ、間違ってはいないか。そんなに親しくしていたつもりもないが。子どもの頃の俺たちは顔を合わせるとすぐに喧嘩を始めて、肇様に止められてばかりだった」
「肇様……あっ、指輪の持ち主の?」
「ああ」
頷いて、晴臣は遠いところを見るような目をした。今はもういない人を思い出すかのように。
「穏やかでお優しい方だったよ。あの頃はまだ帝大の学生だったはずだが、年の割に落ち着きがあって、俺たちは肇様の言うことなら素直に聞く気になった。……あれからたった数年のうちに亡くなるなんて、誰も思っていなかった」
「……若くして亡くなられたんですね」
昨日の二辻の言いぶりからして、辰巳肇が安らかな死を迎えたようには思えなかった。仮に老衰死や病死なら『誰かが辰巳肇を殺した』という疑い自体、出ないだろう。
いざ、辰巳肇がおそらく二十代前半の若さで亡くなったと聞かされると、その死の裏にある事情が気にかかってくる。
もしも、本当に父が死に関与していたら――不安を募らせて黙り込む聡子に、晴臣はちらりと視線を寄越した。
「死因が気になるか?」
「……はい」
「海難事故だ。君はまだ生まれていなかっただろうが、当時はかなり話題になった」
「海難事故というと、海で溺れた、とか?」
「いや。少し前にタイタニック号が沈んだ事故があっただろう? あれと同じように、肇様の乗っていた船が座礁して、ほとんどの乗客が助からなかった」
数年前、英吉利の豪華客船が氷山にぶつかって沈没した話は大きな話題になっていて、聡子の記憶にも新しかった。
最新設備を備えた豪華客船でもそんな不運に遭えばひとたまりもないのね、と思っていたけれど、辰巳肇の身にも似た不運が降りかかって、彼は生きながらに海へと投げ出されたのだろうか。
「優秀な方だったから、帝大を出た後に、留学の話が持ち上がったんだ。遠い異国に行けと言われて、さすがの肇様も悩んでいたようだが、国のためにと亜米利加に渡って、帰路で帰らぬ人になった。自慢の息子を突然に失った兵衛公と奥方の悲しみは深かった」
それはそうだろう。将来有望な息子の早すぎる死を、急に眼前に突きつけられたのだから。
ましてや、遠く離れた海での沈没事故だ。辰巳公爵夫妻は、息子の遺体どころか、彼が身につけていた遺品の一つすら、回収できなかったはず。
「形見の一つもないのに死を受け入れて送り出せと言われても酷だ。ご夫妻は、ご自宅に残っていた息子を偲ぶよすがを一つ残らず集めた。だが、その集めたものの中に、この指輪はなかったんだ」
「え?」
どういうことだ。
この指輪は生前の辰巳肇の持ち物で、辰巳肇は遠い場所で死んだのに――どうして、指輪だけがここにある?
「これほど大きなダイヤモンドがついた指輪だ、普通に売れば足がついて、流通経路を追えないはずがない。何より、肇様は親から贈られた指輪を金のために売ったり、粗末に扱って失くすような方じゃない。指輪が辰巳家に残されていないなら、肇様が留学の時も持って出たはずなんだ。彼が身につけたまま、冷たい海に沈んだはず」
彼が留学前に日本で指輪を売った形跡もない、海の向こうに持って出たはずの指輪。
その指輪が、辰巳肇とも外国とも何の接点もない槙野家の蔵に眠っていた理由なんて――。
「誰かが船の沈没のどさくさに紛れて、肇様の亡骸から奪ったのか? それとも……指輪欲しさに肇様を殺して、遺体を遭難者に紛れさせて海に捨てたのか? それが、転々と人の手を渡って、ここにたどり着いた」
想像を限界まで巡らせても、ろくでもない経緯だとしか思えなかった。
唇を震わせる聡子をじっと見据えて、彼が言う。
「どちらだとしても、俺は犯人を絶対に許さない」




