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花に嵐、袴にサーベル〜没落華族令嬢と失われた指輪の謎〜  作者: 美海@『承香殿の身代わり姫君』発売中
第一章

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婚約の話

「まあ! なんという良縁なの!」


 家に帰り、狂喜する母を見て、聡子は乾いた笑みを浮かべた。最初から期待はしていなかったが、やはり、止めてはくれなかったか。


『は、母に聞いてみないと……私では決められません』


 内務省でのあのとき、二辻の『結婚したら?』という提案に頷けるはずもなく、母の意向を確認しないと、という逃げ口上を口にして済ませようとはしたのだけれど。


『じゃあ、晴臣はこのまま、聡子嬢を家に送っていってあげなよ。ついでにご母堂に話をするといい。『二辻侯爵からの紹介の縁談だ』と僕が一筆書いてあげよう』

『待っ……!』


 そんなことをされれば、結婚は本決まりになってしまう。

 侯爵から紹介された縁談を断るような非礼を冒す者がいるはずもなく、ましてや、ただでさえ聡子の母は娘を早く嫁がせたくて仕方がないのだ。

 二辻侯爵も信を置く内務省勤めの官僚との縁談で、とまで話したところで、母には「絶対に結婚しなさい」と言われることが目に見えている。


「まあまあまあ! 晴臣さんは、伯爵家のご出身なんですのね?」

「はい。祖父の養子に入った関係で、苗字は『穂村』ですが生家は……」

「なんて素晴らしいの! お家柄も良くて、まだお若いのにご職業も立派で、言うことなしね!」


 案の定、帰りの遅い聡子を怒鳴りつける用意をしていた母は、聡子と連れ立ってきた晴臣を見て首を傾げ、侯爵に紹介された縁談を聞いて驚き、次の瞬間には強硬に「この人しかいない」と積極的に売り込み始めていた。

 急に降ってわいた縁談を訝しむだとか、嫁に出すことになった娘を惜しむだとかの気持ちは、全くないらしい。


「ああ、そうだ。聡子さん、女学校は辞めなさいね。晴臣さんにとって恥になるでしょう」

「っ、お母様、それは……っ!」


 当たり前のように言われた言葉に、聡子は噛みつこうとして、途中で言葉を切った。

 不本意な縁談ではあれど、格上の伯爵家の出の晴臣との縁談が持ち上がったことは事実だ。嫁に入って恥ずかしくないようにと、花嫁修行に集中するようにと退学するのが普通ではある。

 まして、晴臣は、聡子を監視するために婚約を受け入れたのだから、彼が勤めに出ている日中、聡子が女学校のために外出して彼の知らない交友関係を持つのを嫌がるだろう。

 聡子に女学校を辞めさせるべき理由はいくつもあって、聡子がそれに異を唱えたところで、誰も聞き入れてはくれないだろう。


(こんな、偽物の縁談のために……!)


 仮に、学校を辞めて、その後で晴臣が不本意な縁談を取り止めると決めたらどうなる?

 そのせいで、聡子の人生が狂ってしまうとしても、誰も助けてはくれない。

 聡子の瞳にじわりと涙の膜が張ったとき、あっさりと否定する声が聞こえた。


「いえ、そんなことはありませんよ。私としては聡子さんには、女学校に卒業まで通っていただきたい。上の学校まで進みたいなら、その分の学費も私が出します」


 晴臣だった。

 彼は聡子のことをよく思っていないのに、どうして助けてくれるのだろう。

 訝しんで彼を見上げると、彼は滔々と嘘八百を並べ立てた。


「名家の夫人としてふさわしい教養がないと困るのですよ。英語に仏蘭西(フランス)語に獨逸(ドイツ)語くらいは修めておいてもらわねば、私が恥をかきます。それに、女学校で築いた人間関係を社交に活かしてもらいたい」

「そ、そうなんですの? それなら……聡子さん、全て、晴臣さんの仰る通りにするのよ」


 いかにもそれらしいことを言われて、気圧されたらしい母はこくこくと頷くばかりだった。


「あくまでも、今はまだ婚約期間ですからね。結婚は、聡子さんが私の妻としてふさわしい人物かを見定めてから……」

「え? でも、二辻侯爵閣下からのお手紙には『結婚を前提に今日から同居させてください』と書かれていますけれど」

「っ、あいつは本当に余計なことをっ! ……ごほん、同居はしますが、婚約止まりです。ええ、あくまでも、婚約で」


 どうやら、晴臣がおとなしくこの家まで着いてきたのは、二辻に勝手に結婚の話を進められるくらいなら、「結婚はしない。あくまでも婚約するだけだ」というところに着地させるためだったらしい。

 それで、監視の役目が終われば、「聡子が結婚相手としてはふさわしくなかったので破談にしました」という理由をつけて他人に戻るつもりなのだろう。

 彼の思惑ほど上手く事は運ばずに、一枚上手の侯爵の仕込んだ手紙によって『同居』は決まってしまったけれど。

 正式な婚約の書類を取り交わして、両家で一枚ずつ持つように分けると、母は安堵したらしく、珍しくにこにこと機嫌を良くした。

 そのまま「晴臣さんのために寝所を用意しますね」と去っていく。


「あの……っ、ありがとうございました!」


 二人で部屋に残されて、聡子は、晴臣に頭を下げた。

 彼のおかげで女学校に通い続けられることになったのだ。

 彼としては「聡子が卒業してから結婚する」と言うことで、聡子が上の学校に進めばそれだけ結婚を先延ばしにできる。先延ばししているうちに婚約を解消できれば、という下心ありきの言葉だろうが、聡子がそれに助けられたことは事実だ。

 素直に感謝して礼を言うと、晴臣はぽつりと口にした。


「華族女学校には、俺の遠縁の娘がいる。学校ではその娘と過ごしていることにすればいい」

「ええと……どういう意味ですか?」

「学校の中まで見張る気はないということだ」


 学校では、監視の目は気にせずに好きに過ごせばいい。――意外にも、平穏を約束する言葉に、聡子の口元も緩む。

 彼は彼で、不本意な縁談を押しつけられた被害者だ。私たちは苦労を共にする仲間として、上手くやっていけるかもしれない――。


「ちょっと!? なんで私の部屋に入ってきてるんですか!?」

「へっ!? いや、ここが客室だと聞いたんだが!?」


 ほんの数刻後、その平穏はすぐさまぶち壊されたのだけれど。

 聡子が明日の学校の支度を終えて、そろそろ寝所に移ろうかとしていた頃合いに、聡子の部屋の襖がすっと開いた。

 そこに立ち尽くす晴臣を見て、思わず羽織の前を合わせる。だって、後は寝るだけだと思って、寝巻きの薄手の浴衣に髪も下ろしたままの気の抜けた姿なのだ。

 こんなところを、今日会ったばかりの男性に見せたくない。


「すまない。槙野夫人の案内が間違っていたのかもしれない。……俺に、他意はない!」


 謝りつつ弁明する晴臣の方も風呂上がりらしく、整髪料をつけていた前髪も下ろし、気軽な浴衣姿だ。

 彼の狼狽した様子からは、彼が意図して夜這いをかけようとしたとも思えない。それに、聡子の母がこの部屋を彼に「客室だ」と伝えたということは――。


「……まさか」


 嫌な予感がして、寝所に続く襖を開けると、そこには二組の布団がどんと並んで鎮座していた。

 明らかに、聡子以外の何者か、母がこの部屋に入って、布団の準備を整えている。


「……ご母堂は、君に早く片付いてもらいたいようだな」

「申し訳ありませんっ!」


 日頃、華族令嬢らしい慎みを、なんて言っているくせに、縁談がまとまった途端に、娘をさっそく差し出して既成事実を作ろうとするなんて、あまりにも品がない。

 関係を持ってしまえば簡単には捨てられないだろうという魂胆なのだろうが、聡子も晴臣も、それを望んでいないわけで。


「……いい機会だから、先に整理しておく。俺は、君と結婚するつもりはない。肇様の指輪の件に片がつくまで、婚約者の立場で君を見張るだけだ。なし崩しに嫁に取ることもしないから、当てにするな。分かっていると思うが、俺が君に恋情を向けたりすると思うな」


 責任を取るつもりなど微塵もないという宣言は、聞きようによっては女性の心を傷つけるものだっただろうが、聡子としても同感だった。

 彼にしてみれば、犯罪の容疑がかかっている没落した男爵家の小娘をわざわざ正妻にしてやる旨みなど何一つないのだから。

 あくまでも監視の利便性と、二辻侯爵への体裁の関係で婚約を結んだだけ。そして、聡子も、今すぐに殺されたり幽閉されたりするよりは遥かにましだからと、この婚約を受け入れただけだ。

 そこに愛など微塵も存在しない。


「この婚約は必ず解消する」

「ええ。私も、そうなることを願っています」


 二組の布団の端と端に寄るようにして、枕を並べる。

 ある意味で初夜、新枕(にいまくら)だったのかもしれないが、夜のうちに二人が言葉を交わすことは一度たりともなかった。

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