名家の話
――辰巳公爵家の跡継ぎの証。
辰巳公爵家の名前は、聡子でも知っている。というよりも、華族に限らず、その名を知らない者はごく少数だろう。
辰巳兵衛公は、江戸幕府から数十万石を与えられた大大名だったが、幕末に開国論を唱え、倒幕派の志士をも重用した改革派の若き君主だった。
明治新政府の重鎮たちとしても、自身に庇護を与えてくれた元主君を、恩義の上でも面子の上でも、厚遇しないわけにはいかなかったのだろう。
明治維新後、辰巳兵衛公は華族制度の下で公爵位を与えられ、元老として政府に睨みを利かせ、老年に至った今も絶大な発言力を保持しているという。
同じ華族という括りとはいえ、吹けば飛ぶような零細男爵家の槙野家とは天と地ほどに立場が違う。
(その辰巳家の指輪が、どうして、うちに?)
困惑する聡子をよそに、晴臣は上役の男を窘める――というよりは叱りつけるように怒声を発していた。
「二辻閣下! 軽々しく部外者の前で口にしていいことではありません!」
晴臣が口にした『二辻』という苗字にしても、聡子はその名を公家の流れを汲む名家『二辻侯爵家』の名でしか知らない。
公爵家の指輪を、侯爵が動いて探している――聡子は、天上人の事情に足を踏み入れてしまったのではないか。
冷や汗を流す聡子が身元に思い当たったと察したらしく、二辻侯爵は「いかにも、僕が二辻司だ」と鷹揚に認めた。
「僕がそこそこ有力な家に生まれたことと、内務参与官の職責上、華族がらみの犯罪の話は、僕に集まることになっていてね。それで、今回の話も聞きつけたわけだけど……ああ、晴臣。そんなに怖い顔で睨むなよ。聡子嬢は部外者ではないだろう? 思いきり、事件の関係者だ」
「ですが! 彼女の口から、辰巳家が跡継ぎの死を受け入れずに探していると漏れれば、どうなるか!」
「あはは、何? 晴臣って、まさか、彼女を生きて外に出す気があるの? ここで口を封じてしまえば、話が外に出ることもない」
口封じなら殺せばいいだけだろう、と言いたげな口調を聞いて、聡子は背筋を凍らせた。
彼らにとって、聡子は虫けらのようなもので、その命に価値も感じず踏み潰していいと思っているのかもしれない。
(特に、さっき、あれほど乱暴に連れてきた穂村さんにしてみれば、私なんてどうなってもいいと思っているのでしょうね)
ちらりと晴臣の顔に視線を送った。
相変わらずの仏頂面で、聡子のことが気に食わないのは目で見て分かる。
どんな酷い目に遭わされることか、と落ち着いた心地もせずにいたのだけれど、意外にも、彼は二辻の「殺せばいい」という意見には頷かなかった。
「彼女が窃盗犯なら重罰は当然ですが、罪を否認している以上は、無実かもしれないでしょう」
「まあ、無実だったらさ、命は奪わないとして、生涯幽閉すれば済む話で」
「閣下。無実の者に罰を与える理屈はありません。罪がないのなら解放すべきです」
「ちぇっ」
厳しそうではあるけれど、規律を重視する人なのだろうか。
晴臣に「聡子が無実なら罰してはならない」と説かれて、子どもっぽく口を尖らせた二辻は、聡子に話しかけてきた。
ふてくされて渋々と、という様子を隠す気もないらしい。
「それで、君は、この指輪をどこで手に入れたの?」
「私は何もしていません! 家にあっただけで……」
「この指輪はね、辰巳兵衛公が、息子の肇様の成人祝いに作らせた品でね。これほど大きなダイヤモンドなら、息子が生活に困ったときに売れば楽に暮らせるだろうと持たせたんだ。世に二つとない逸品だよ」
「それは……」
「ねえ、そんなに高価な指輪を、仮に売りに出されていたとして、君の家族が正規の手段で買えると思う?」
この石が本物のダイヤモンドだというなら、売り値はとてつもなく高額になるはずだ。
それを買い取るだけのお金なんて、槙野家には逆立ちしたって用意できない。父がまだ家にいて、家禄を得られていた時分であっても。
「……それは、買えるとは、思いません」
「だよね。あり得そうなのは、金に困っていた槙野男爵が、良からぬお仲間と一緒にどこぞから盗んだのか、それとも、もしかしたら――彼らが指輪の持ち主だった辰巳肇を殺して奪ったのかもしれないね?」
「違……っ!」
どうやら、この指輪の正当な持ち主だった辰巳肇は、既に故人であるらしい。……そうか、だから、辰巳家も、その命を受けた彼らも、指輪に血眼になってこだわっているのかもしれない。指輪の今の持ち主が、辰巳肇の死に関わっているかもしれないから。
指輪が辰巳肇のものなら、それが槙野家の蔵にあるのはおかしい。誰かが、槙野家に持ち込んだのだ。
持ち込んだ人が聡子の父だとしたら、父はどういう手段でこれを手に入れた?
大きなダイヤモンドの指輪を買う財力なんてないのに、父が手に入れたとしたら――。
嫌な想像がどうしても頭をよぎった。
「……分かりません。父がどういう方々と付き合いがあったのか、私には」
父なら絶対にそんなことをしない、と言いきれるだけの信頼を持つことはできなかった。あの事件以来、父には家族には見せていなかった面があることは知っている。
言い返せずにうなだれた聡子を、二辻は冷ややかな目で見ていた。
「ふーん。……あーあ、ふりだしに戻ってしまったね」
「そのようです。どうやら彼女は何も事情を知らないように見えます」
「じゃあ、殺すのはやめた方がいいんだっけ? この後は一生幽閉?」
さらりと口にされた将来に、聡子が肩を窄めて縮こまっていると、晴臣は二辻を窘めた。
「ですから、無実なら解放すべきだと申し上げたでしょう。……監視下には置きますが、家に帰した方がよいかと」
「えー? 晴臣、非現実的なことを言うものじゃないよ。一生見張るつもりかい? それだけの手間と人手をかけて? ここはもっと手軽な方法で済ませよう」
「お言葉ですが、手間を惜しんで無辜の民を傷つけることは許されません」
聡子のため、というわけではないのだろうが、例外を許さず規律通りに進めようとする晴臣は、頑として態度を変えない。
指示に逆らい続ける彼に、うんざり顔になった二辻は、やけになったように口にした。
「うーん、お堅いなあ。分かった、分かった。だったらさ――君が、彼女と結婚してあげたら?」
――脈絡もなく、突拍子もない唐突な提案を。
「「は?」」
初めて、晴臣と声が揃った。
彼とは気が合うことはなさそうだが、さすがに、この提案への驚きは一致しているらしい。
「いい考えじゃない? 晴臣はどうせ聡子嬢のことを見張らないといけない、このクソ忙しい中、それも一生! 聡子嬢だって監視付きの身じゃあ、ろくな結婚もできないよ。だから、君たち二人で結婚したら? 一緒に住めば、監視だって無理なくできるじゃない」
「待ってください、先走りすぎだ!」
「聡子嬢、晴臣のことはどう思う? 我が友人ながらいい男だと思っているんだけど。見た目はいいし、家柄もいい。仕事の稼ぎも安定している。融通が利かない性格は玉に瑕だが、夫にするなら遊び人よりはいいだろう」
そんなことを言われても。
いくら好条件を並べられたところで、この流れで「じゃあ結婚します」と言う者がいるはずないだろう。
途方に暮れて彼を見ると、同じく「不本意だ」と言わんばかりの顔で聡子を見ていた彼と、目が合った。




