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花に嵐、袴にサーベル〜没落華族令嬢と失われた指輪の謎〜  作者: 美海@『承香殿の身代わり姫君』発売中
第一章

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出会いの話

 指輪を質に入れて、半月ほど経った日のことだった。

 質屋の主人の目利きによれば、あの指輪の石は安価な水晶だそうで、大した金額にはならなかったが、先月末のツケを支払うには足りた。

 今月の支払いのことは、今月考えるしかない。だが、他に売れるものはあっただろうか――。


「槙野さん、ちょっといいかしら」

「っ、痛っ! あっ、はい!」


 裁縫の時間中、物思いに耽りながら針を進めていたせいで、急な呼びかけに驚いて、指を刺してしまった。

 見れば、担任の女教師が廊下から手招きしている。

 授業中にわざわざ呼ぶくらいだから、何か急な連絡があったのだろうか。例えば、親戚の不幸だとか。

 聡子は指先に絆創膏を貼ると、裁縫の教師に授業を抜け出すことの断りを入れて、職員室へと伴われた。


「先生、どのようなご用ですか?」

「詳しくは、穂村様から説明があるそうよ」

「穂村様?」


 誰だ、それは。聡子の知り合いにはいない名前である。

 疑問は余計に深まるばかりだったが、どうやら、その穂村という人物が聡子を訪ねてきたらしい。


「失礼いたします。槙野さんを連れてきました」


 親戚の遣わした使者か何かだろうか、という予想が外れたことは、一目見て分かった。

 応接室にいたのは、黒い制服に身を包んだ男だった。

 きっと教師からは「椅子に掛けてお待ちください」という案内があっただろうに、すらりとした立ち姿を晒している。それは、彼がここに長居するつもりがないことの表れなのかもしれない。

 正面に銀の徽章があしらわれた制帽は被ったまま、丈の短い黒羅紗のマントも肩に羽織ったままだった。腰にはサーベルも佩いている。


「……警察のお方?」

「違います」


 一見して警察官の制服らしく見えたからそう言ったのだが、彼にはぴしゃりと否定された。


「私は、内務省警保局付き特任官の、穂村晴臣(ほむらはるおみ)と申します」

「内務省の方……?」


 内務省は国家警察を管轄する組織、要は警察の元締めだ。

 制服の意匠は似ているが細部が異なるのも、関連する組織でありつつ、警察より上位に位置づけられているからだろう。


「はじめまして……槙野、聡子と申します」


 先に名乗られたからには、こちらも名乗らないわけにはいかない。

 おずおずと名前を口にして、頭を下げた聡子に、彼は鋭い視線を送ってきた。

 整った顔立ちから表情が抜け落ちて、じっと見つめられると、恐ろしささえ感じる。


「ええと……穂村様は、私に何かご用がおありで?」

「お前が、槙野聡子で間違いないな」


 内務省の官僚が女学校を訪ねる理由も、女学生を呼び出す理由も無さそうなものだけれど。

 人違いではないかと思って口を開くと、彼の目的が『槙野聡子』であることをあらためて繰り返された。


「そうですが、何か……っ」

「来い」


 頷いて認めた途端に、腕をぐいと掴まれた。

 そのまま部屋の外に出た彼に、引きずるように歩かされる。


「ちょっと! 何なの、離して!」


 助けを求めて教師を見たが、彼女も戸惑った顔をするばかりで、止めてくれる様子はない。

 穂村晴臣に直接に文句を言っても受け入れられず、聡子は彼が正門の前に待たせていた自動車に放り込まれた。

 黒くて角ばった車体に、窓は内側から布を張られて目隠しをされた車だ。まるで、人目を避けようとしているかのような――この車を見て思い出すものがあった。


(お父様を、探しに来た人たちが乗っていた車と同じ……)


 父が賭博をしていたと発覚してから、槙野家を訪ねた警察官たちは皆、こんな車に乗っていた。

 後から思えば、臣民の範となるべき華族たちが大勢集まって賭博に興じていた、という事件は、平民からの批判と失笑を集めた一大スキャンダルで、新聞や雑誌の紙面を連日賑わせていた。

 華族制度そのものを揺るがしかねない醜聞に、政府の重鎮も華族のお偉方もたいそうおかんむりで、ことを内密かつ迅速に処理しようとしていたのだろう。

 その指令を受けた警察官たちも、逃走した槙野男爵がいつ自宅に戻ってくるかと、何日も槙野家に詰めて、聡子たちはその間不安で眠れない夜を過ごすことになった。


(今になって、またこんなに厳重に護送されるなんて、まさか……お父様が見つかったの?)


 結局、二年前に父が槙野の家に帰ってくることはなく、その後の行方も分からないままだ。

 今になってようやく父が見つかったとして、聡子を連れていって身元の確認をさせようとしているのかもしれない。

 そうだとしたら、この罪人のような扱いにも納得がいく。

 抵抗を諦めた聡子は、到着まで口を閉ざした。


 結論から言うと、聡子の推測は、半分ほどは正しくて、残りの半分は間違っていた。


「例の指輪を売った女を連れてきました」


 車を降りてからも、同じように晴臣に連行されて、彼の上役らしき人物の前に引き出された。


「……指輪?」


 つい、口をついて言葉が溢れた。

 指輪を売った、と言われれば、先日質に入れて今頃は質流れしているだろう、あの指輪のことが頭をよぎる。

 だが、あれは、ただの安い指輪だったはずだ。わざわざ内務省に取り締まられるようなものではない。


(それよりも、あの指輪のことだとしたら、この人たちが用があるのはお父様ではなくて……私?)


 彼は、聡子から何かの話を聞き出すためにここに連れてきた。父の件ではなく、指輪の件を――さっぱり事情が分からない。


「ご苦労様。……おや、華族のご令嬢だったのか」


 晴臣の上役は、どことなく異国情緒のある男だった。髪の色が茶色がかって淡く、鼻筋が通っているからそう見えるのだろうか。

 榛色の目が聡子の紫色の袴に向く。華族女学校の制服だと分かって、値踏みするような目だった。


「ええ。面倒ですね」


 晴臣も「華族だから面倒だ」と言いたげに、ため息まで吐いている。

 そんな態度を取られると、ふつふつと怒りが湧いてきた。面倒も何も、聡子を巻き込んだのは彼の方ではないか。


「……何なんですか、あなたたち。いきなり学校に押しかけて、無理やりこんなところまで連れてきて!」


 こちらは学校から無理に連れ出されて、今日の授業も早退させられている。それどころか、内務省の官僚が聡子を訪ねてきたと知れたら、また「槙野家に何かの容疑がかかっているらしい」と嫌な噂も立てられるだろう。

 迷惑を被ったのはどちらだと思っているのか!

 聡子が責めると、晴臣は不快そうに眉を上げた。


「犯罪者を法に則って裁くために連れてきただけだ。それを非難される筋合いはない」

「まあ、待ちなよ。晴臣」


 上役の男は、晴臣を名前で呼んだ。彼らは仕事の上司と部下というだけではなく、親しい間柄なのだろうか。


「彼女も事情が分からず混乱しているんだろう。ここは、令嬢らしく取り扱うべきじゃないか?」


 晴臣を窘める内容と柔和な口調に、こちらの彼なら分かってくれるかもしれないと、希望を抱きかけたのだけれど。


「で、何だったっけ、君の名前」


 直後に続いた言葉に、聡子は顔を引き攣らせた。

 この男はこの男で、名前すら知らないくらい、聡子に何の関心も持っていない。人ひとり連行させておいて、それだけ無関心であることの方が、空恐ろしく感じられた。


「……槙野、聡子と申します」


 名乗るのは、二年前から気が進まない。

『槙野』の名前を聞いて、悪い反応が返ってくることもままあったからだ。

 運の悪いことに、今回もそのようだった。


「槙野……ああ、槙野男爵の娘か! 賭博事件の!」

「……っ」


 身なりがいいなと思ったら、この男はやはり華族の出だったか。

 槙野男爵の醜聞を知られている。そうであれば、その後に続く反応も分かっている。


 ああ、あの槙野男爵の娘ね。きっと、家族も親と同じで問題があるのね、という――。


「その節は、醜聞で皆様のお耳をお騒がせして、大変申し訳ございませんでした。ですがっ! 父のしたことはともかく、私は、悪事など何も為してはおりません!」


 父が悪いことをしたから、聡子も同じように悪事に関わったと思われているのかもしれない。

 それは違うのだ、分かってほしい、と聡子が必死に言い募ると、晴臣は目を怒らせた。


「とぼける気か! この指輪を売ったのはお前だろう!」


 彼が胸ポケットから取り出したのは、ハンカチに包んだ指輪だった。

 あのやけに大きな石の指輪。大人が大騒ぎすることもないガラクタ一歩手前だったはずの。


「え、ええ。それは、私が売りました。家にあったのを見つけて、少しでも値がつけばと思って」

「この指輪が縁もゆかりもない槙野家にあった。そのこと自体が、お前の家が関与している証拠だろう!」

「槙野家が何に関わっていると? こんなの、ただの古い指輪で……!」


 これが家にあったからって、何が問題だと言うのだろう。

 混乱する場を収めるように、飄々とした声が言った。


「――これは、辰巳(たつみ)公爵家の跡継ぎの証さ」


 この指輪は、華族の中でも最高位にある者が持つはずのもので、聡子が目にすることすらあり得ない代物だったのだと。

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