問いの話
昨日着てきた制服の袴には、ひどい皺がついてしまっていた。
今日はやむなく女学校を休むことにして、朝食を終えた後に晴臣の身支度を手伝い、出勤する彼を玄関まで見送りに行くと、彼は握った拳を差し出してきた。
「これ、渡しておく。君が持っているべきだ」
――君は、肇兄と彼が愛した女性の娘だから。
渡された指輪は、石の重みで聡子の掌をごろりと転がった。それと、聡子の胸元に揺れる指輪とを見て、晴臣が言う。
「……こうして並べて見ると、俺ももっと良い指輪を贈ればよかったな。男として悔しい」
「そんなこと!」
不甲斐ないと自嘲する声を、聡子は慌ててかき消した。
正直言って、聡子は辰巳肇と紘子のことを今も『親』だなんて思えていないし、彼らの贈り物に何の思い入れもなく、特段ロマンチックとも思わない。
むしろ、聡子の純粋な好みだけで言うなら、肇の指輪はごてごてと大仰で身につけにくそうだと感じていた。
何より、晴臣からもらった指輪だって、聡子には分不相応な贈り物なのに。
「晴臣さんのくださった指輪の方が、ずっとずっと大切です! 素敵な指輪で、こっちの方が好きです!」
「そうか。気に入ってくれたか。じゃあ、着けてくれないか?」
「えっ」
戸惑って立ちすくむ聡子に覆いかぶさるように、彼は両腕を聡子の背後に回した。抱きしめられる――かと思えば、首の後ろのネックレス金具を外しただけだったらしい。
彼は、鎖から抜き取った指輪を、右手に持って示した。
「手を貸して」
「は、はい……」
おずおずと差し出した左手に手を添えられて、薬指に指輪を通される。
藤澤百貨店であつらえた指輪は当然ながら聡子の指にぴったりと合って、眩いダイヤモンドがきらりと輝いた。
「……俺の、婚約者だ。俺のだ」
嵌った指輪を彼の筋張った指がなぞり、言い聞かせるように、噛みしめるように呟くのが聞こえて、聡子は顔をほてらせた。
まるで、彼から本当に大事に思われているような気がして、恥ずかしい。
「指にはこの指輪をして、もう一つは首に提げておくように」
彼に言われるまま、こくこくと頷いて、肇の指輪を鎖に通していた聡子は――はたと気づいた。
「……待って。よく考えたら、どうしてこの指輪がここにあるの?」
考えてみれば、おかしい。
胸騒ぎにざわつく気持ちを堪えて、聡子は晴臣に訴えかけた。
「聡子? どういう意味だ?」
「こんな立派な指輪、貧しい家の借金の形に売られた芸者が自分のお金で買えるものじゃないわ。誰か、贔屓にしていた男の人から贈られた物だと、見て分かったはずよ。自分の妾にした女性が、自分以外の客からの贈り物を大事に持ってきたら、いい気持ちはしないでしょう?」
肇が紘子に指輪を贈ることは分かる。
紘子が、槙野男爵に身請けされてからも、肇への未練ゆえか、いざというときの自分の財産として残しておくためか、妾宅まで指輪を隠し持ってくることも理解できる。
だが――そうだとしたら、この指輪は、紘子の死後も妾宅に残されて、妾宅で発見されなければ、おかしい。
聡子がこの指輪を見つけた、槙野家の蔵まで移動した経緯は、これまでの話から分からない。
例えば、何かの拍子に、槙野男爵が妾宅でこの指輪を見つけて取り上げたとしよう。
そうだとして、これが憎たらしい恋敵からの贈り物だということは明らかで、そんなものをわざわざ残しておく理由もない。
特に、槙野家は長らく資金難だったのだから、売ってしまえばよかったし、男爵もそう考えるのが普通だろう。
指輪をそのままの形で売れば足もつくかもしれないが、石を指輪から取り外して小さな数個の石に砕いて売っても、それなりの値段はついたはずなのに――誰もそうしなかった。
指輪は元の形を損なわれることもなく、蔵の机の抽斗に、静かに眠り続けていた。
「指輪に足が生えているわけもなし、これは誰かの手で、槙野家に持ち込まれたのよ。妾宅で亡くなった千紘さんでもなく、まだ赤ん坊だった私でもない、『誰か』が屋敷に出入りして、指輪を置いていった」
その『誰か』が、残された本当の謎の答えを知っている。




